アリスとテレスのまぼろし工場に関するなんやかんや

 恋を知ったんだ! 死ぬもんか!

 タイトルの映画の内容は、その一言で語れる。いやこのセリフはGのコレンギスタのものであり、それは、この映画の監督を務めた岡田磨里が降板させられたと噂のある作品のものなのだが、まぁ、大体はこれだったというしかないものだ。

 どんな世界でも少年少女を恋をして、世界を変える。それは時に、命の危険さえも考えずに前に突き進む原動力になるものだろう。
 それがずるいと嫉妬して、いい大人でもそんな風に生きてやるぜー! となった色ボケ中年が劇中には出てきたが、それはそれでいいのだと思う。明確なパートナーを選び取っていないならば、という条件は尽くし、劇中の色ボケ中年は冷静に考えると兄嫁に発情していたので、あまり共感は出来なかったが、それはたぶん計算されていたので問題はない。

 もうひとつ、この映画を端的に表した台詞があり、これはPVで聞けるものだ。

 未来はあなたもの。でも、正宗の心は私のもの。

 これがすべてだった。一見するとこちらは呪いの言葉だが、映画を観ればわかるが、この上ない激励だった。

 当たり前の話をするが、未来のない人生は辛いというか、それは生きているとは言えないものだろう。生きるとはつまり未来に向かって突き進んでいくものだ。時には休むこともあるが、それはあくまで再び走り出すための充電であって、永遠に止まるとすればそれは死んだときでしかない。

 ネタバレだが、劇中の登場人物の九分九厘が現実では死んでいる、と思って問題がないはずだ。だから彼らはどれだけ恋を知って未来へ走って見ても、未来も、そこにあるあらゆるもの――美しいもの、苦しいものなど森羅万象ありとあらゆるものとの出会いもない。彼らは所詮、どこにも行かないし、死んでいるのだから同じ景色しか見られない。

 だがそれでも、それがわかっていても、恋の成就を得たことにより、主人公とヒロインは成長して、唯一生きている彼女を、未来のある世界に送り届けた。彼らに未来はない。だが、未来に向かう誰かの後押しはできる。たとえ彼ら自身がそれで死ぬことになっても、だ。

 とはいえ、この映画は自己犠牲だとかそういう映画ではない。

 若いうちには人生を左右するだけの重さを持つ恋。

 それよりも長い時間付き合っていかなくてはいけない未来。

 君はどっちが欲しい?
 
 と、問いかけた映画だったと、俺は思う。

 しがないおじさんである俺は、未来が欲しいと思ったが、鑑賞した若者の中にはきっと、成就した恋を求める子たちもいただろう。それでいいのだと思う。もしそのために躓いて走れなくなったら、代わりに立ち止まるしかできなくなったおじさんの未来をあげるから――また走り出して。君にはそれができるんだよ、と優しく語りかけて、背中を押してくれる誰かがいる。一人は辛いけど、君の心に寄り添ってくれる誰かが必ずいるから、怖がらないで……。

 そして、そういう答えを出した映画だったと、俺は思う。

 しかしそれはあくまで、心に寄り添っているだけだ。肉体的には存在しない誰かかもしれない。それでも、だ。

 未来へ 未来へ 未来へ 君だけで行け

 そう応援してくれる誰かが絶対にいる。

 この映画は、そういう 希望の映画だった。
 でも、それには少しの痛みがある――敗れた初恋のように、小さくてかすかな、でも忘れられない痛みこそがきっと、希望なのだろう。

 希望があるから、人は何度でも走り出せる――笑顔で。

 そういう映画が、俺は好きだ

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