BLOODY ESCAPE 地獄の逃走劇を見た雑記

 今年初の映画として、これでよかった! と思える出来だった。という感想を最初に言っておきたい映画である。映画らしい映画で、そりゃダメな所もあるんだけど、そういうものを勢いと迫力で薙ぎ倒していくような感じで、俺のような映画にはエンタメ性と、細かいことが気にならなくなるくらいの勢いを求める人には、実にいい映画だったと思う。

 とはいえ、このアニメの前日譚というか、世界観を深く掘り下げたテレビアニメのエスタブライフを見ていないと、逃がし屋たちのことや、世界観に入り込みづらい、というのはあった。俺がそうだったが、そういう辺りも最終的に勢いと迫力で押し切るだけの力のある作品だった。

 実際、その辺を知ってしまうと(後追いでアニメを見た)、映画の主人公格の面々がどうして新宿クラスタでくすぶっているのかが、いまいちわからなくなる。映画本編でもあったが、街を閉ざす壁の破壊と突破は容易だし、メンテナンスルートを使って普通に行き来できたりするので、さっさと出て行けばいいのに、とは思う。もちろん、クラスタを離れるとペナルティはあるのだが、それは主題ではないせいかそこまで大きく取り扱われないから、余計になんであの兄妹が新宿クラスタでくすぶっていたのか、とはなる。もちろん、その理由を考察することはできるが、妹の方は街の外に出たい、と言っているのに何もしないでいるのがなぜか、とはなる。

 だが、そこがこの妹の人間性でもあった。いわば、変化は望んでいるが現実には何もできず、命の危険が迫ればそんな夢を忘れて命乞いをしてしまう、というキャラだった。そんな妹がその姿を恥じて、覚悟を決めて立ち向かっていく姿が非常に印象的な映画だった。物語における成長、の部分を担っているのはこの妹であって、主人公のキサラギではなかった。彼はあくまで妹の心の戸を叩き、その願いを叶えることを拒む存在の排除をするための、ある種の完成されたヒーローだったと言える。

 その意味では、とても王道なシナリオだった。閉鎖された環境にいる少女が、外から来たヒーローの影響を受けて、一人前になるというプロットはよくあるものだが、だからこそ、どのような設定があろうとも濁ることなく観客の心を打った。王道を嫌うクリエイターとファンは一定数いるが、王道にはその名をいただくだけの力と理由があるのだ、ということを思い出せてくれるような作品だ。

 短所があるとすれば、3DCGの質がいまいちというか、表情の動きのパターンが乏しかった所だろう。手書きであればもっと細かい顔の芝居も描けたのだろうが、まぁこれはよほど労力をかけないと解決できない問題だし、この作品だけの問題ではないので深くは語れない。が、直近で3DCGを上手いこと使いこなしたアイドルマスターミリオンライブ!のアニメがあったので、どうしても減点してしまう、というのはあった。

 それでも、ちゃんと王道を貫き、繰り返しになるが映画らしい勢いと迫力のある作品。映画館で観る作品のひとつの答え、と言っていいくらいだったと思う。そうでない映画がダメだ、というわけでなく。実際、俺は松居大吾が撮るようなそれとは反対の作品も好きである。日活ロマンポルノナウの企画で作られた「手」という作品がサブスクでまた見られないかな、と思っているくらいだ。「ちょっと思い出しただけ」と「くれなずめ」はアマプラで見られるので、ぜひ見て欲しい。

 というわけで今回はこれで終わり。やはり映画は映画館で観るから魅力を味わえるのだ、と言葉を残して。

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