職業に貴賤はないっていうアレ

 いや、うん、それは事実だと思うのだが。

 職業の中で貴賤はあると思うのだ。
 芸人を例に出せばわかりやすいが、面白いと売れている芸人と、つまらないとされて劇場での多数のグループ参加のライブにさえ呼ばれない芸人では明確に貴賤があるし、某粗品の振る舞いは明らかに貴賤の賤側だと言っても否定はされないわけである。

 この理屈に基づくと。 
 近年は推し活というものが流行り、誰を押そうともそこに貴賤はないが、推し方に貴賤はある、と言うことができる。

 旧ジャニーズの某アイドルが結婚したことに衝撃を受けたファンがいる。それは問題ないし、そのことで嘆くのは別にいい。そこに貴賤はない。

 しかし、その中には風俗業で稼いだ金で推し活をしていた人がいた。これは間違いなく、推し活をする人の中では貴賤の賤側に入る。その人が彼の苗字が欲しかった、とつぶやいていたが、冷静になって欲しい。仮に押し活をしているファンをパートナーにするにしても、推し活の中でも賤しい職に身を落としている人を選ぶ理由があるだろうか。

 推し活そのものは否定しないが、その推し方を選ばないと、結局は自分を傷つけて不幸にするだけである。これはホストにも同じことが言える。ホストとして一定の評価をされるような男が、いくら自分のために金を見継いだとはいえ、わざわざ風俗嬢を選ぶ理由はない。推し活をしている人の中から貴い人を選ぶ権利はホスト側にあるのだから、それは当然だろう。
 
 風俗嬢を悪く言っているのではない。が、その手段を選んだ時点で推し活をする人間の中では、賤しい者、として扱われることを覚悟しなければならない、ということであるし、強者がわざわざそんな人を伴侶にするわけがないのだ。遊ぶ相手にしても、生涯を共にする相手に選ぶような馬鹿はいない。もちろん、騙されていたい、と思うのは勝手だし、やはりそこに貴賤はないのだが、上手に騙されないとやはり、賤しい側にカテゴライズされる。その結果がロマンス詐欺だとか、そういうものに繋がり、人生を破滅させるのである。

 重ねて言うが、風俗嬢は賤しくはない。むしろ、歴史の中で女性を語るとすれば、その存在に言及することは避けられない、歴史的に価値と意味のある貴い職業だとすら思っている。しかし、その中で貴い側にい続ける努力をしなければ、賤しい側に落ちる。なりふり構っていられない時、というものは間違いなくあるのだろうが、本当にそうせざるを得ない時を見誤ると奈落へと一直線だ。人生にはあちこちに落とし穴があり、目が曇っているとそれを見つけることができないのだ。

 だからつまり、そう。

 推し活とは、なりふり構っていられない、という覚悟でやるものではないのだ。所詮、泡沫の享楽、と割り切って楽しまないと、あっという間に賤しい存在に成り下がる。もっとも、意図的にそれを増やしたい、と考える人たちはいるものだ。どんな時代にも、自分よりも下の存在を見下して嘲笑しないと生きている実感を得られない人はいるもので、厄介なことに、そういう輩に限って推される側にいる。

 その不条理と理不尽とどう戦っていく。そのために貴くあるべきだろう、と思ったりするわけだ。

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