私が外国語を学ぶ理由
今日は、私が「なぜ外国語を学ぶのか?」についてお話ししようと思います。
今は新型コロナウイルスの影響で海外旅行なんて夢のまた夢。大学でドイツ語を学んでいると話すと、「何で学ぼうと思ったの?」と聞かれることも多いのですが、行けるか分からない土地の言葉を学ぶことの意味を聞かれたら、私はこのように答えます。
「世界中の本を読みたい!」と思ったから。
1.世界中の本を読みたい!
そんなの無理だよ、と思う方が大半、いえ、誰だってそう思うでしょう。でも、そんな途方もない夢を小学生の頃に抱いたことが、私が外国語を学ぶ最大の動機になっているのだと思います。
この世には数えきれないほどの本があるので、たとえ一生本にかじりついていたって、その全ての本のうちの何千分の一、いえ何万分の一だって読むことはできないでしょう。
内容の難しい本もあるでしょうし、何より、日本語以外の本を読むなんて、「世界中の本を読みたい!」と思った時の自分にはありえないことでした。
その頃、小学校には英会話の授業というものがあるにはありました。しかし、それで英語が少しでも分かるようになったかというと、「英語って無理」という感想を抱いただけでした。
英会話教室に行っている子どもならまだしも、アルファベットもよく分かっていなかった私にとって、小学校での英会話の時間は苦痛といっても差し支えないものだったのです。
それにも関わらず、外国語で本を読みたいという憧れが、私の心の中で育ち始めていました。
小学校高学年の頃は海外の児童文学にハマっていて、それらの本が本当が英語で書かれているのだということを意識すると、「私は、この本を、本当には味わい尽くせていないかもしれない」と思うようになったからです。
そして、英語を学べば、さらにその本を深く味わえると固く信じ、中学校できちんと英語を学ぶのを、心底楽しみにしていました。
2.英語の勉強をしてみたものの……
しかし、中学校に入り、高校に進学して、さらに大学受験をする中で、英語という外国語は、テストのため、自分の学力を証明するための「教科」になってしまいました。
新しい世界を覗くための言葉というより、自分の努力を可視化するための道具のようになってしまったのです。
もちろん、受験を控えている時期にそんなことを考えても仕方のないことです。「教科」として英語を学ぶよりほかはありません。でも、心のどこかで、もっと別の関り方があるのではないかと思い続けていました。
例えば、「赤毛のアン」を原書で読めたら。
「ハリーポッター」でもいいし、
「ナルニア国物語」でも、
「若草物語」でもいい。
英語で本が読みたい……
でも、大学に入っても、理想としていた英語との関わり方はできないままでした。
英語の課題に追われ、英語の新聞を読んで要約したり、英語の発表の準備をしたり、英語でレポートを書いたりしていると、「もう、英語は今日は終わり!」という気持ちになってしまうのです。
だから、大学でやっと英語の授業を取りきった時、「さぁ、ここからが始まりだ」と、思いました。
英語という外国語でやりたかったことが本当にできる、と思ったのです。
私にとってはそれが、洋書を読むことでした。
3.ドイツ語を学んでみて
私は、大学では英語以外の言語にも触れたいと思って、ドイツ語を学ぶことにしました。(ドイツ語を選んだ理由は他にもいくつかあるのですが、長くなるので、またの機会に!)
ドイツ語を学んでいると言うと、「じゃあ、将来は翻訳家・通訳士になるの?」と聞かれることもしばしばです。けれど、外国語を学ぶ意味は人それぞれでいいと思うのです。
受験のために刷り込まれた「四技能を満遍なく強化しなければならない」という思い込みがあまりにも強いので、そのような問いが投げかけられるのではと私は密かに思っています。
第二外国語を学んでいると、その第二外国語も、四技能を身に着けることを目的に学んでいると思われがちなのですが、そうではありません。私個人にとっての一番の目標は、ドイツ語の本を読めるようになること、そして、ドイツ語の映画を、字幕なしで楽しめるようになることです。
「私はドイツ語でこんなことができます」と言えるようになるためにやっているのではありません。単純に、好きでやっているのです。
資格を取るとか、それで仕事をしようとか、そういうことではないのです。
もっと単純に、次の一文が読みたいと思って辞書を引く時間。
そして、あぁ、こういう話だったんだ、と分かる瞬間。
それが好きなのです。
ただ、今でこそ堂々と自分は好きだからやっているのだと言えるのですが、大学に入ってしばらく、私はドイツ語を学ぶことについて悩んでいました。
もしかすると、この記事を読んでくださっている方の中にも、語学学習に葛藤を抱えている方もいらっしゃるかもしれません。
でも、あなたが楽しいと思うなら、胸を張って勉強していいのだと思います。
資格を取りたければ取ってもいいし、取ることに意義を感じないなら、取らなくてもいいのです。
世界には英語以外の言語が沢山ありますし、その中からどんな言語を選ぶのかは、あなたの自由です。
いつ旅行に行けるか分からないからといって、新しい言語を学んではいけないということもありません。
自分自身が、これで世界が広がると思うなら、何をどう勉強してもいいのだと思うのです。
4.今度は韓国語も学んでみる?
さて、ドイツ語を学ぶことを通して「好きな言語を、自由に学んでいい」ということに気がついた私は、今年に入って韓国語を学び始めることにしました。
第三外国語として韓国語を選んだのは、主に2つの理由からです。
①韓国語で歌を理解したいから
②昔から気になっていたから
1つ目の「韓国語で歌を理解したい」というのは、以前、”スキな3曲”についてお話しした記事で触れたことがある歌がきっかけでした。
ここで紹介した3曲の中に韓国の歌手のIUさんの”Celebrity”があるのですが、この歌を聞いているうちに、「韓国語が分からなくてもこの歌が美しいことは分かるけれど、韓国語で聞いてそのまま理解できるようになりたい……」と思うようになりました。
また、韓国は自分が初めて行った海外であり、ショートホームステイをしたこともあるので、長いこと気になっていた言語でもありました。(韓国語が話せないのにホームステイに行き、ほぼ英語と感覚だけで乗り切ってしまったので、今でも韓国語は挨拶レベルなのです)
そういうわけで今年から韓国語を学ぶことにしたのですが、言葉を習得するのには途方もなく時間がかかります。
韓国語は完全に独学なので、英語やドイツ語とはまた違った大変さもありました。そもそもどうやって勉強するか、というところから考えなければならないからです。
でも、ハングルが読めた時の嬉しさは、小学校で、ノートにどんどん平仮名を書いて覚えていった時の喜び、自分の名前が漢字で書けるようになった時の満足感を思い起こさせてくれました。
そしてふと、こんなにも新しい言語を学ぶのに惹かれるのは、「世界中の本を読みたい」という夢のためだけでなく、言葉に対する初心を忘れたくないからなのかもしれないと思いました。
日本語は、あまりに自由に読み書きできてしまうのですが、別の言語を学ぶと、1からのスタートになります。
英語のアルファベットも、ドイツ語のウムラウト(ä, ö, ü)やエスツェット(ß)も、韓国語のハングルも、初めは記号のように見えます。
でも、それが自分にとってなじみ深いものになってゆき、単語を一つずつ覚えてゆき、やがて文法を理解し、最終的に読み書きできるようになるまでのこの行程を経ると、今、日本語で自由に語れることの貴重さ・不思議さのようなものを感じることができるのです。
そして、言葉を新しく覚えると、目の前のモノの見え方も何だか変わるような気もするのです。
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日常生活の中で、語学学習の話を周囲の人たちとする機会がよくあり、そこで思ったことなども踏まえて、今回は、「なぜ自分は外国語を学ぶのか?」ということを深堀りして考えてみました。
こうして言語化することで、「そうそう、自分はこんなことを考えていたんだった」と気がついたこともあったので、それらの気づきが、この記事を読んでくださる方の心にも響いたら、嬉しく思います。
語学学習は、大変なこと、面倒なこともないわけではないのですが、自分なりのモチベーションを見つけて、楽しく続けられる人が増えたらいいな、と思います。
最後まで読んでくださって
ありがとうございます。
また来週、お会いしましょう!
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