レイナ マツダ

女優、モデル。脚本とか絵描いたり、たまにレビュー書いたり。3歳児とお腹の赤ちゃんの母親…

レイナ マツダ

女優、モデル。脚本とか絵描いたり、たまにレビュー書いたり。3歳児とお腹の赤ちゃんの母親だったり。

最近の記事

「ママはぼくがいないほうがいいの?」と言われた日。

どんなに最悪な母親でも どんなに愛情深い母親でも 恨まれるときは恨まれる どんなに愛しても どんなに手をかけても 伝わらないこともある それでも、伝え続ける。 わたしはただ、 あなたが生まれてきてくれて嬉しい、と。 そしてあなたのことが大好きだと。 わたしがわたしのしたいように生きるのは あなたのことが嫌いだから ではない。 そこには何の関係性もなくて わたしは、わたしの衝動が大切なだけ。 恨まれてもいい ダメな母親だったと言われてもいい ただただ わたし

    • ほとんどの人は腹黒さを抱えている、と思う。

      自分の性格の悪さを真っ向から認める。 自分の口の悪さが、たまに清々しい。 そんなことを、思った最近。 そこを引き出してくれる回りの人や状況。 ムカつきや怒りをいつの間にか通り越して、気がつけば感謝が湧く。 性格良い、ってことの良さなんて 人にとって、ってだけで 性格の悪さを認められることが自分の人生の肯定になっていく。 見せかけの性格の良さなんていらない。 性格悪くていい。 ふと出る発言に自分で驚く。 こんなに性格悪かったんだ、って 早く認められれば楽にな

      • 「母親」であるということ。

        世間で言う「母親」じゃなくて、 「息子を生んだ張本人」という意味での、母親。 巷で言われる「母親」には、興味がない。 巷で言われるそれは、多分、きちんとした料理を作ってあげることとか、ニコニコしてることだとか、外遊びに連れて行くとか、教育とか、なんか、そんなようなことをする人のことかな?と思う。 普段私は、息子のことが好きで、彼にもっと元気いっぱい遊んでほしい、学んでほしい、って思う。ただ思う。 そういう気持ちが湧くから、 ご飯食べよう、水分とろう、歯磨きしよう、遊

        • "決める"こと。

          なにかを「やる」と決めることは なにか「できない」ことを認めなくてはいけない。 何かを始めるのに怖い時は、 何かに気づくのが怖い、のかもしれない。 人よりも覚えの悪い自分 緊張してしまう自分 なかなか人気の出ない自分 正直に言い切れない自分 文章化が下手くそな自分 自分ってこんなに出来なかったっけ? と体感するのが怖いのかもしれない。 踏み出さなければ知らなくて済んだ色んなこと。 でも恐怖心と出会うことができるって まだまだ成長できる ってこと。 人より覚えの悪い

        「ママはぼくがいないほうがいいの?」と言われた日。

          自分のこと可愛いと思うと仲間外れにされるという思い込みがまだ残ってた、って話。

          かわいいからいじめられる かわいいから仲間はずれにされる かわいいから嫌われる そんな、自分かわいいブロックの話。w いつからか モデルとか女優、をしてるってことが、自分の中で大義名分になってた。 一般的に、自分のことをかわいいとか美しい、と思わないといけない職業、みたいな。 だから思っててもセーフ、みたいな。 むしろ職業だから当たり前やん?みたいな。w でも いつかなにもやらなくなったら、わたしはどーしたらいいんだろう。 そんなことをふと、考えてた。 とい

          自分のこと可愛いと思うと仲間外れにされるという思い込みがまだ残ってた、って話。

          子育ちの日々。

          人間だから、いい日もよくない日もあって その日その日で、 今日はこの人の笑顔を受け止めてあげられたかなぁ、とか思う。 子どもはいつでも有り余るほどの愛を投げかけてくれていて (それは親自身が裸で受け止めたら涙が止まらないくらいの大きな愛) いつだってママと遊びたいし ママに見ていてほしい。 (もちろんひとりで遊んでることもあるけど) わたしは全部を全部受け止められるかっていうと、そうでもなくて 「次何しなくちゃいけないんだっけ?」と頭を働かせていたり、腰が痛いだの頭痛

          子育ちの日々。

          子どもとの暮らしで思うこと、あれこれ。

          子ども、現在2歳の男の子。 誰と会ってもフレンドリーで人懐っこくて あまり騒いだりしないし、お店で走り回ったりもしない。 親戚に預ければ素直にそこで遊んでいる、手のかからない良い子、である。 身体は小さいが、主張はする。 気は少し弱いが、優しさがある。 我が子ながら本当に素晴らしい子だな、と思うのだけど そんな子でもわたしは気が滅入ってしまうことが多々ある。 *** 家で2人きりだと、「一緒あそぼ〜」と絶えず誘われ家事は進まないし こだわりが強いので、行きたい方向

          子どもとの暮らしで思うこと、あれこれ。

          感謝ってなんだろう。

          大好きな鳥本愛さんが「みんなでやろー!」と呼びかけてくれたのに便乗して (鳥本愛さんブログ記事 https://ameblo.jp/kira-ring710/entry-12436720682.html ) 今日から『ザ・マジック』の28日ワークを始めてみました。 (この直後、ノートと本に思いっきりコーヒーぶっかけてしまった。笑) 端的に言うと、感謝を見つけて数えていく、というのがはじまりなのだけど、 これがまぁ奥深くて! 感謝を考える まず、"感謝"って、なん

          感謝ってなんだろう。

          それでも、そんな自分を愛する。

          できない、という自分を見つけて、寄り添ってあげてみた話。 とにかく、生活が苦手。 戸籍を取りに行きたかったのに、本籍のない市役所に行ってしまったり そのタイムロスが仇となって、やりたかったことの半分しかできなかったり 顔写真付きの身分証明書が無いから保険証と年金手帳を用意したはずなのに、手帳が無いとか 電車も上りに乗りたいのにひたすら下りのホームで待っていたりとか 挙句、一度下り電車に乗ってしまって閉まるギリギリに気づいて降りたりとか そんなことが一日で起こるダ

          それでも、そんな自分を愛する。

          できる/できない を追いかけない。

          ○○ができるからすごい。 ○○ができないからだめ。 そうやってジャッジしていると その人そのものが良いとか悪いとかじゃないのに、 "できる"とか"できない"で人を決めつけて見がちになってきちゃう。 そしてそれを自分に対しても全員が全員そうやってジャッジしてるんじゃないか、って思ってなかなか思うように動けなくなってきてしまうんだよね。 もっと言うと 自分が人や自分に対してジャッジしているから 他人からのジャッジが怖くなる。 ええ。。 何を隠そう、まさに、わたしがそ

          できる/できない を追いかけない。

          キンコン西野さんのオンラインサロン〜giveの話。

          先日 キングコング西野亮廣さんから オンラインサロン内の記事で1年以上前のものなら著作権フリーになる、 という衝撃的な発表が。(!) というわけで、今回の記事は『西野亮廣エンタメ研究所』の1年以上前の記事から抜粋して書きまーす! *** まず。 1年前、わたしはまだオンラインサロンには入会していなくて、 でも西野さんの著書『えんとつ町のプペル』のファンでした。 "炎上してた印象が強かったけど、なんて素敵な物語を描く人なんだろう!" そこから気になり始め、西野さんの

          キンコン西野さんのオンラインサロン〜giveの話。

          言葉とか時代とか。

          新年会だの何だのと、なにかと理由をつけて年に何回か会う高校時代の友人と恩師。 もう10年来の付き合い。 恩師の専門は人文系なので、自ずと文学や言語の話になることも多くて。 だから、そんな言葉の話を今回は。 時代とともに言葉は変わる まず、たしかになぁ〜、と思った話。 同じ文脈、言葉を用いたとしても、20年後には全く同じ意味では伝わらない、ということ。 なぜなら時代が変われば言葉のニュアンスや解釈のされ方も変わるから。 それは時代とともに受け取り側の背景や前提知

          言葉とか時代とか。

          子どもとの生活、わたしの時間。

          わたしには、2歳9ヶ月の息子がいます。 めちゃくちゃ可愛くて可愛くて仕方ないのだけど、「母親」というものになってみて、 いかに子どものエネルギーって大きいのか、ということが身に染みてわかってきた。 今までは自分のエネルギーは自分にさえ使っていればよかったけれど、 子どもと暮らすとなると、それだけでいられなくて。 子どもの「ああしたい!こうしたい!」という混じりっけのないエネルギーに日々揺さぶられる。 受け止めてあげるが、やり過ぎない まず、子どもの欲求は「受け止め

          子どもとの生活、わたしの時間。

          自分の想いをカタチにする。〜まずは聞く!

          今日は作品アイデアを共有するFacebookグループにて、とある未公開作品の"想いと目的"についてお話し✴︎ そこで今回は、自分のもつ「想い」との向き合い方をちょっと考えてみたよ。 日常生活はすべてに通ずる すべての活動には想い、が先にあって、 それが商品や芸術表現、講演などになったりすることで その先にある目的を果たそうとする、よね。 それは日常にも同じことが言えて、 どんなに小さなことでも「〜したい」という欲求・想いがあり、ヒトはそれを果たそうと行動する。 例え

          自分の想いをカタチにする。〜まずは聞く!

          ちゃんとする、からの脱却。

          "ちゃんとしてる"ことがいいことだと思ってた ちゃんと、って、なんだ? 忘れ物しないこと? 時間に遅れないこと? 嘘つかないこと? 約束破らないこと? ルールを守ること? そのどれもが、そうなのかもしれない。 そしてその全てを"完璧"にすることだと思っているかもしれない。 でも 遅れるし 忘れ物するし 道間違えるし 決まりを覚えられないし たまに嘘もつく。 だから わたしはダメだ ダメな人間だ ってずーっと思ってた。 それなのに きっとできるはずだ わた

          ちゃんとする、からの脱却。

          自信があるとかないとか。

          自信。 わたしははっきり言って、自信がないタイプ。 でもね、 "自信がないことは生命への冒涜"だと思って、自信を持とう!と意気込んでいた時期があったよ。 自信があることは素晴らしい、と。 でもそればっかりがほんとに素晴らしいのか。 もちろん無いよりあった方がいいに決まってる。 でも…。 そもそも自信って、なんだろうね。 自信、をわたしの中で思い返してみると 「どう?わたしのこと見てよ!」みたいな過激さを持ったものだった。笑 女王様的なのか、なんなのか。 そ

          自信があるとかないとか。