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子どもとの暮らしで思うこと、あれこれ。

子ども、現在2歳の男の子。

誰と会ってもフレンドリーで人懐っこくて
あまり騒いだりしないし、お店で走り回ったりもしない。

親戚に預ければ素直にそこで遊んでいる、手のかからない良い子、である。

身体は小さいが、主張はする。
気は少し弱いが、優しさがある。

我が子ながら本当に素晴らしい子だな、と思うのだけど
そんな子でもわたしは気が滅入ってしまうことが多々ある。


***


家で2人きりだと、「一緒あそぼ〜」と絶えず誘われ家事は進まないし
こだわりが強いので、行きたい方向に行けなかったり、思い通りにならないとわかると、思いっきり泣き叫ぶ。


でもそれって、やっぱり子どもの成長の上では自然のことだし
母にわがまま言えないような環境にはしたくない、と色々と聞き入れているつもりなのだけど

それでもゴネ続けられるとたまには疲れてしまうんだ。


本当に可愛くて心から愛しているけど
24時間365日は一緒に居られない。


わたしもわたしの時間が欲しい!と何度思ったことだろう。


そしてその時間を捻出してきたし、たくさん協力してもらっている。


睡眠を削って、夜遅くまで家事や作業をしたり
親戚に頼らせてもらって預かってもらったり
保育園の一時保育を利用したり
ベビーシッターさんに来てもらったり


やってみて、自分の時間を作るのにこんなに労力が必要だなんて思わなかった。


本当にひとりの時って、何でも出来たんだなぁ…としみじみ感じるようになった。


だって、お手洗いまで自分の行きたいタイミングで行けなかったりするから。


お手洗いが自由に行ける、一人で寝られる、夜中起きなくていい、ゆっくり食事できる。


そういうことの尊さがわかるようになった。


それは子どもがいなかったら本当の意味ではわからなかったことで

だから、わたしは子どもが居るとたくさんの瞬間が美しく思えるなぁ、と気づくようになった。



子どもが真剣に何かを見つめる眼差し
ただわたしに向かって駆け寄ってくれる小さな足
落ちないようにと頑張ってわたしの腕を掴む可愛い手
美味しいね〜、と100%の笑顔を向けてくれる瞬間
ままー と遠くから手を振る全力の身長84cm


子どもがいなかったら、そんな瞬間は知らなかったし、毎日の発見が増えた気がする。


子どもが見つける毎日の「あたらしい」に導かれて
わたしは一日一日を愛おしく思うようになった。


いつか終わるこの生活がどれだけ尊いのか
いつか離れてしまうその体温を感じようとわたしは「今」に目を向ける。


昨日まで言えなかった言葉が、今日言えるようになって
またひとつ世界を認識する。


その成長を間近で見られる幸せ。


わたしはたまに疲れながらも
それでも
今日も生きて、触れられて、「大好きだよ」と伝えられてよかった、と思いながら眠る。


どうしようもなく一人になりたいこともあるけど
一人になって満足したら、すぐにまた恋しくなる。


そんなスパイスも楽しみながら
これからも子どもとの生活をより深く味わっていきたいなと思う。

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