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それでも、そんな自分を愛する。


できない、という自分を見つけて、寄り添ってあげてみた話。


とにかく、生活が苦手。

戸籍を取りに行きたかったのに、本籍のない市役所に行ってしまったり

そのタイムロスが仇となって、やりたかったことの半分しかできなかったり

顔写真付きの身分証明書が無いから保険証と年金手帳を用意したはずなのに、手帳が無いとか

電車も上りに乗りたいのにひたすら下りのホームで待っていたりとか

挙句、一度下り電車に乗ってしまって閉まるギリギリに気づいて降りたりとか

そんなことが一日で起こるダメさを持ってて、それが毎日遺憾無く発揮されている、それがわたしです。


幼少期の頃から忘れ物や遅刻してしまうことは毎日で
大丈夫?って言われることにも慣れて

もう大丈夫じゃない、がデフォルトになってきた最近…w

それでも前は、わたしはこの自分のポンコツを愛せずにいて

きっとできるはずだ
ちゃんとしてるはずだ

と、謎の期待をかけてたの。

20年以上も。笑


いちいち落ち込んでいられない

毎度毎度、何かやらかすたびに凹んでて、

でもそれって自分に期待してるからで。

「こんなはずじゃない…」って。

期待してるのにできない自分に苦しんでた。


でもね。

何故か今日、

前向いて生きてくしかないな…

ってふと、思ったの。笑

今、ね。なぜか。

でも心からそう思えた時、なんだか心がジーンとして
少し優しくなれたような気がして嬉しかった。


ジャッジをするのは怖いから

たぶん、結構傷つきやすい人種です。

だから強く居たくて、強く見られたくて、

なんでもできる人になりたかった。

できない人をジャッジしては
わたしの方ができる、と思いたかった。

人のことをどうこう言うのは

自分が負けたくない、という恐れだったり
自分をまだマシだと思いたい優越感だったり

とにかく、自分のことを傷つかないようにと守りたくて守りたくてたまらないから。

だから他人からジャッジされることを極度に恐れ、これ以上言われないようにと自分で自分を裁いてみせる。

だけど、本当は弱くて堪らない人。

わたしは、そんな人だった。


自分の中の要素に気づく

それまでは   傷つかないことが良い、

強気で覇気があって、ガシガシ行動できてちゃんとしてる人が良い、
って思ってて

だから「繊細」を形容してる人はなんか嫌いで。

むしろ人間とは元来繊細な生き物なんだから、わざわざ言うことじゃない、とまで思ってた。笑

でも、今思えば繊細も、ポンコツも、ドジも
全てわたしの一要素だったんだね。笑

押し殺した要素たちが、現実を通してわたしに語りかけてくれてただけだった。

本当は弱くて繊細でドジでポンコツなんです。

(なぜか強調して書くw)

認められなかったから、他人にその要素を見るとモヤモヤしてたのだなぁと、今ならわかる。


それでもポンコツな自分を愛する

つくづくポンコツだなあ、とため息をついた日。

わたしは小さな頃の自分を思い出した。

一生懸命生きてて、できないこともたくさんあるけど、それでも自分の好きなことにまっすぐで。

そんな小さな小さな自分が愛おしくて。

きっと大人になったらちゃんとできる
大人になったらキャリアウーマンみたいになる

そんなイメージを抱いてた自分が可笑しくて可愛くて
だけど ほんとは生まれてからずーっとわたしは変わってないんじゃないかな、とやっと気づいたの。

29歳になった今も、わたしは生きてて、できないこともたくさんあるけど、好きなことにまっすぐ生きている。

だからもう、ポンコツポンコツとジャッジして責めるのはやめてあげることにした。

そんなところも自分。
期待も卑下もせず、そのままの自分を見る。

今まで、ただそれだけのことがとっても難しかったなあ。

でももう、ポンコツでもなんでもいい。笑

どこまでいっても、わたしはわたしだから。

そんな、わたし。


マツダレイナ

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