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ちゃんとする、からの脱却。
"ちゃんとしてる"ことがいいことだと思ってた
ちゃんと、って、なんだ?
忘れ物しないこと?
時間に遅れないこと?
嘘つかないこと?
約束破らないこと?
ルールを守ること?
そのどれもが、そうなのかもしれない。
そしてその全てを"完璧"にすることだと思っているかもしれない。
でも
遅れるし
忘れ物するし
道間違えるし
決まりを覚えられないし
たまに嘘もつく。
だから
わたしはダメだ
ダメな人間だ
ってずーっと思ってた。
それなのに
きっとできるはずだ
わたしはできるはずだ
そうやってまた
"ちゃんと"しようとする。
…
できることもある。
頑張ってたら人並みでいられる
だからずっと頑張ってきた。
外れないように
目立たないように
変だって思われないように。
みんなに
ちゃんとしてていい子だと思われたかったから
ずっとちゃんとできない自分を心の中でイジメていた。
お腹痛いのはデフォルト
そうなると、自分への苦言とか、ジャッジメントとかが普通になっていく。
「ほら、またできなかった」
「不器用だからうまくやれないんだよ」
「どうせわたしなんて」
「どうせ」
「どうせ」
…
誰かに言われる前に、自分で自分を責め続けた。
するとね。
胃が痛くて、腸が痛くて、
肋間神経痛で胸がチクチクするんだよね。
頭の中は自分を責める言葉でいっぱいになって
窮屈で苦しい。
小学生の時にはその状態になってて、
それが普通だと思ってたけど、
ある日それは普通じゃないと知る。
普通は胃腸は痛くないし、
頭だって重くないらしい(!)
お腹痛いのが普通だったのに、
みんなはそうならないなんて…!?
どうしたらそういう状態になれるのか、
その時は全くわからなかった。。
できなかった自分ですら生きていられる
そして今。
わたしは胃腸のお薬と無縁の生活をしている。
その時わからなかった身体の状態に
今なっている。
胃も胸も痛くないし、
頭だってちゃんと余白がある。
そうなれたのは、全ての義務感から一つずつ足を抜いていったから。
「しなければならない」の解除。
ちゃんと、を完璧にこなせない自分を許すこと。
ただ居るだけの自分を許容した時に
ちゃんとしてなくても生きていられる、と知る。
誰かからの「ちゃんと」の世界で生きるのをやめると、
ただの自分、というものが見えてくるのだと思う。
一方で、
それが「できない自分」、だったり
「できた部分で評価されてきた自分」とも向き合わないとならないんだけどね。
できた!を追いかけないこと、についてもまた改めて書こうかと思いまーす。
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