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過小評価される次期総理・菅義偉について

やたらワイドナショーやネットニュースでは、「本当に菅さんでええんか?」みたいな論調が多い。

私は経済は好きだが、政治は別にそんな好きじゃないのでなんとも言えないが、話を聞いていると、今まで調整役、いわゆる裏方のような仕事をしていた菅さんに国のトップである総理大臣の仕事が出来るんだろうか。という話である。

こういう話は別に政治に限らず色々なところであると思う。今回は安倍総理はたまたま健康状態の悪化という理由で辞任したが、小渕元総理のような突然死じゃないので、それならば前もって何らかの「引き継ぎ」の準備はしてきたんだと思う。

安倍総理辞任の記事でも書いたが、リーダーというのはあくまでも「決断する人」であって、部下が効率的に動いて、適切な判断力があるならペテン師だろうが誰でもいい、という話をした。

日本人はなんだかリーダーというものに過剰に期待をしすぎというか、全責任をリーダーに擦り付けるような論調が多い気がする。

確かにリーダーが最終的に責任を取るのは組織の構造上、一番トップということになるだろう。だが、現実として政治家のような世界でトップであることは同時にトップを降ろされるような部下の圧力にさらされ続けるということでもあると思う。

それは御存知の通り日本は議院内閣制で与党と野党というものがあり、野党があることないことやたら追求していくシステムが前提にある。部下にも派閥があって、私は○○派だからあなたが総理大臣でも、私には関係ないです。みたいなスタンスもあるかもしれない。

内部分裂を前提としている政治の世界だからこそ、ちゃんとできるのか?という目もあるだろうし、同じ人間が長く続けることが一概に良い結果を生むのか疑問というのも政治の世界だと思う。

内部分裂を前提とした組織で、それをまとめるのがリーダーだと言われてしまうと確かにそうなのだが、仕事においては金だけ貰えればいいという人もいれば、とりあえず目立って偉くなりたいというような人もいる。

ワイドショーでもネットニュースでも、もちろんこの記事を書いている私もほとんどの人は政治の世界で何が行われているのかを知らない。

いろいろツイッターで自分の活動を発表している政治家も多いが、本当に知らせるべきでないことを拡散しないし、名前の知らない議員など、本当に何をしているのかわからない。

カジノ誘致で捕まった人がいたが、カジノはそういうダーティーなイメージが先行しやすいから、慎重にやろうね。と言ってた矢先にまんまと賄賂を受け取ったりしてしまうのである。

私もそうだが、基本的に日本人は政治の世界を信用していないということを前提に話が進んでいる。ブルネイやブータンや亡くなってしまったタイの王様のような熱狂的な国民の支持は日本には無く、政治のおかげで私達がいい生活が出来てるわ、という実感がないことによると思う。

むしろ政治家は国民の生活の足を引っ張るような存在で、税金を自分たちの出世のために利用して、国民を貶めているような人間だと見られがちである。それはマスコミがそのようなイメージを植え付けているのも良くないと思う。

そこで菅さんに戻るが、長い間、官房長官をやっていたので、菅さんを全く見たことも聞いたこともないという人はいないと思う。令和の発表も菅さんが行ったし、何か報告することがあれば基本的に菅さんがマスコミに向けて質疑応答することが多い。

そのような印象から、菅さんはあくまでも政府の補佐的な役割で、司会の隣にいる女子アナみたいな、自分が表立って場を作ったり、改革を進めていくような人間じゃないというイメージが有るのかもしれない。

全く知らない人物じゃないからこそ、そのように見られがちな人物である。

ただ、無派閥にもかかわらず多くの議員の支持があり、官房長官にまで上り詰めて最終的に総裁選を出馬発表だけで出来レースにしてしまうほど票を集めている人間は、多分そんな無能な人間じゃないはずという考えが一般的だと思う。

見た目と話し方などが、表立って演説などをするタイプの人間かというと、私達の受け取る印象そのままに「なんか元気なさそうだな」と心配になるタイプではあるかもしれないが、それなら一層、なぜ多くの議員の支持があるのか気になる。

総理のメインの仕事というのは決断することである。課題であった政府のデジタル・ガバメントに関しても菅さんが議長を務めて、話を進めているようだし、三大キャリアのケータイ電話の料金が高いので値下げしてください、というのも菅さんが取りまとめている。政策への決断力という意味では自分は結構期待していたりする。

だいたいの人が言っている外交面での不安というものがあるが、そこは今までの総理もうまく出来ていたのか、というと疑問ではある。

たまたま安倍首相はトランプ大統領といい関係を築けたが、安倍さんから菅さんに変わり、もしかするとトランプ大統領からバイデン氏に変わったとしたら、それはそれでいい関係を築けるかもしれない。

アメリカとの関係があまり進展しなくても、もしかすると韓国や北朝鮮との関係は解決へ向かうかもしれないし、ロシアや中国と馬が合うかもしれないし、人が変わるのだから多少は各分野での変化が出ると思うが、そこは仕方がないことだと思う。リーダーが変わるというのはそういうことだし、変わらなかったらそれはそれで別に良いと思う。

どうしても今まで上手く行っていたものを手放したくないという心理が人間にはある。だが、そういうのは手放したほうが良い。手放したほうが良いというか、安定的に続くものだと考えないほうが良い。

確かにコロナ対応が日本にとって最善のものだったかというと、そこは意見が分かれそうだが、常に最善を選択できる能力というのは、かなり難しい。

それこそが判断力とか決断力と言われる部分だろうが、人間なら誰しも間違いがあるし、間違えないように一発で成功させようと選択すべきか、実験的に軌道修正しながら選択ができるのか、人間のタイプも違えば、政策によってどちらが最適なのかも異なる。

そもそも政治の世界に最善というものがあるのかはわからない。それは未来になってわかることで、日本がもしコロナで大量の死者が出ていたとしたら、きっと今行っている政策とは別の形が正解ということになる。

いよいよ延期されたオリンピックまで一年を切って、本当に開催できるのか疑念は払拭できていない。

さすがにこれ以上延期ということはないだろうから、ここで絶対に開催できるような準備を整えなければいけない。

なんだかオリンピックどころじゃないし、こんなコロナで大変な時期にオリンピックで盛り上がって良いのかなという意見もある。

そんな意見は東日本大震災のときもお祭りだの、各方面で似たような状況があった。日本は災害を経験しているからこそ、こういうどうにもならない事態にある意味慣れているとも言える。

そのような対処を考えることで、他者をリスペクトして成長してきたというのが日本の文化のベースにあると思う。

逆境をバネにするという意味では、これほど世界的な平和の祭典を行うのに絶好のチャンスはないとも言える。オリンピック開催地を決める時、東日本大震災などの地震が問題だと言われながらも日本が勝ち取ったわけだが、今回のコロナに関しては世界中の人々が同時に同じ経験をした世にも珍しい現象だろう。

オリンピック中止説も無いわけではないが、本当の意味で平和の祭典になることは間違いない。多くのスポーツや芸能の分野でコロナの影響を受けた人は多い。

何もなければ、スポーツすることの何が平和なんだ?と何も気づけなかったが、今の私達には普通にスポーツが出来る状況というのは、本当に平和だからこそ出来るんだ。と認識している。

政治の世界も多少似ていると思う。政治家をこいつで大丈夫か?頼りないぞ。と言える状況というのは、ある意味平和である。国によっては殺されるし、どちらの国が普通かと言われても、どちらの国も普通だろう。

リーダーというのは、リーダーだけで成り立つわけではない。補佐してくれる人間がいるから、りーだーという人間が当然存在するわけである。

菅さんは以前まで補佐的な役割だった。だが、総理になれば自分が先導を切って決断を迫られる場面が多いだろう。総理の近くで補佐的な役割を長きに渡ってこなし、総理の仕事を客観的に見てきた人間で、良い点も改善点も見えていただろう。

総理という仕事の表も裏も知っている。それは、総理にうってつけの人物ではないだろうか。と自分は思ったりしている。


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