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『かぐや姫の物語』を読む② 『源氏物語』空蝉の引用

 『かぐや姫の物語』において、帝がかぐや姫を女御に迎えたいと言っていると翁が姫に伝えるとき、機を織る姫が、蝉の抜け殻を手に取る場面があることに気が付いた。高畑勲は、決して意図なくこのような描写を行う演出家ではない。そこでまず蝉の抜け殻から確認していくと、蝉の抜け殻は「空蝉」と呼ばれている。蝉の抜け殻の様子は、古来から虚しい様を喩えとされているが、「空蝉」の語源は、「現(うつ)し人(おみ)」であり、つまり、現実世界に生きる人間のことである。仏教では、人間の生は儚く虚しいものとさ

    • 『かぐや姫の物語』を読む① 燕の子安貝と石上中納言の残酷な死

       高畑勲の遺作『かぐや姫の物語』は、見るたびに、新たな発見がある作品だ。私は古典の授業では、必ず『かぐや姫の物語』を生徒に見せるようにしているのだが、毎年のように生徒と一緒に映画を見ることによって、細部のふとした描写に物語に深く関わるものが織り込まれていることに気づく。    今回、気が付いたのは、翁と嫗が赤ちゃんの姫を連れて外に出る場面で、燕が雛に餌を食べさせる場面が入っていることだ。これは子育てのモチーフから自然に挿入された描写であるが、しかし、燕と雛といえば、石上中納言

      • 〈矛〉としての論理ー「矛盾」と「こころ」と新自由主義

         楚の商人が、矛と盾を持って、「この盾の頑丈なことは、どんなものも突き通すことができないほどだ」、「この矛の鋭いことは、どんなものでも突き通すことができるほどだ」と言って矛と盾を売っていたのを見て、ある人が、「では、あなたの矛であなたの盾を突いたらどうなるのか」と質問したところ、商人は何も答えることができなかった。  このような、故事成語の「矛盾」のエピソードを、学校の古典の授業で習った人は多いと思うが、「矛盾」の出典が、諸子百家の一つ、法家の『韓非子』であり、儒家を批判す

        • 〈男性性〉としての「虎」ージェンダーから読み解く「山月記」

           中島敦の短編小説「山月記」は、高校の現代文教科書における定番教材となっている。若くして科挙に合格しながら職を辞して、詩人を目指しながら、他者と切磋琢磨して努力することを放棄した末に、虎となり果てた李徴の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」は、高校生にとって、心に「刺さる」物語であることが定番教材となった理由であるだろうが、しかし、現代のジェンダー論を通して「山月記」を見た場合に、高いプライドや強烈な上昇志向、他者の賞賛を浴びたいと願う名誉欲、他者を避けようとする自閉的な傾向、周囲

        『かぐや姫の物語』を読む② 『源氏物語』空蝉の引用

        • 『かぐや姫の物語』を読む① 燕の子安貝と石上中納言の残酷な死

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          清岡卓行「ミロのヴィーナス」と読者論

           高校現代文の定番教材である、清岡卓行「ミロのヴィーナス」を授業で扱った。この教材を扱うのは四度目だが、今までは定番教材という以外、あまり深く考えたことがなかった。どちらかといえば、古臭い文章で、なぜこれが定番教材になっているのだろう?と疑問を感じながら授業を行っていたと思う。しかし、今回授業を行っていく中で、この定番教材が長く教科書に掲載されている理由が理解できた気がしたので、今回、noteにまとめておきたい。  この教材のポイントは、「両腕が失われた形で発見されたミロの

          清岡卓行「ミロのヴィーナス」と読者論

          テスト作成の注意点(現代文編)

          ◆表紙と問題冊子 ・表紙は必ず作る。開始のチャイムが鳴る前に、後ろの席まで問題冊子を回して、チャイムと同時にいっせいに始められるようにする。表紙がない場合、後ろに回すときに、問題が見え、生徒が問題についてうっかり口にしてしまう事故が起こる可能性がある。「事故は未然に防ぐ」が鉄則である。 ・問題は、問題冊子にして、解答用紙は問題冊子に挟み込む。試験監督の教員の負担を減らし、チャイムと同時にテストを始めることができない、などのミスを防ぐためである。 ◆本文の掲載 ・本文は

          テスト作成の注意点(現代文編)

          記憶の忘却と回帰ー『この世界の片隅に』に関するツイートまとめ

           『この世界の片隅に』、複線が散りばめられ、記憶力が試される映画で、何度も見ることで気づくことがたくさんある。原作を読んでない人が、映画冒頭の幼少期に化け物の籠の中で出会った少年が、周作さんということに、おそらく一回目で気づく人は少ない。そういうのがたくさんある。  幼少期を描くわずかな描写で、すずの兄が出てくる。怖い兄なので「鬼イちゃん」。しかし出征してしまうと映画から姿を消し、途中すずが手紙を書くが返事が来ないという話が、すずの里帰り中に交わされる。その後死の報がもたら

          記憶の忘却と回帰ー『この世界の片隅に』に関するツイートまとめ

          「個人情報」「迷惑系ユーチューバー」/140字怪談4本

           2020年7月15日から17日にかけて、140字怪談を書いていた。1ツイートの中で起承転結がある怪談になってます。埋もれてしまっていたので再掲しておきます。 個人情報  帰宅すると部屋の前に突然現れた見知らぬ男は狂気を宿した目で言った。 「あなたSNSで最寄り駅や窓から写る写真をツイートしてましたよね。情報を組み合わせれば住所を特定できるんですよ。おかしな男が特定してやって来たらどうするんですか。個人情報に繋がる情報の発信は危険ですよおおお」 迷惑系ユーチューバー

          「個人情報」「迷惑系ユーチューバー」/140字怪談4本

          才能は翼ー『リズと青い鳥』の進路問題

           映画『リズと青い鳥』は、才能が進路を決めることを描く残酷な映画だ。高校三年生の「のぞみ」と「みぞれ」は、ともに所属する吹奏楽部で、少女リズと彼女が助けた青い鳥の物語を元にした楽曲「リズと青い鳥」を演奏することになるが、最初は、快活で自由に振る舞う颯爽とした少女であるのぞみが青い鳥で、彼女に憧れるマイペースな少女で、のぞみに執着し依存しているみぞれがリズであると、自分たち自身も観客も二人と作中作を重ね合わせる。見た目ものぞみは短髪でボーイッシュ、みぞれは黒髪のロングで大人しい

          才能は翼ー『リズと青い鳥』の進路問題

          〈死〉の啓蒙ー小川糸「ライオンのおやつ」評

           小川糸の小説『ライオンのおやつ』(ポプラ社、2019年10月)は、第17回(2020年度)本屋大賞で第2位となった作品である。孤独に生きてきた主人公の女性・海野雫は、医師から余命宣告を受け、瀬戸内の海が見えるホスピス「ライオンの家」で、そこで出会った人々と過ごしていく、という物語である。ホスピスを取り仕切っているのは「マドンナさん」と呼ばれる女性であり、看護師とカウンセラーの資格を持っている。「マドンナさん」のケアによって、患者たちはホスピスでの人々との出会いに感謝し、安ら

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          落ちてるものを拾うー『万引き家族』と是枝映画における〈家族〉という主題

           是枝裕和監督の映画『万引き家族』(2018年)は、カンヌ国際映画祭でパルムドールを獲得するなど、日本の貧困問題を扱った作品として、世界的な評価を得た作品である。親の死亡届けを出さずに年金を受給していた実際の事件を元に作られたこの映画において、祖母・初枝、夫・治、妻・信代、信代の妹・亜紀、長男・祥太という5人の家族は、治の日雇い労働、信代のクリーニング店の仕事、初代の年金で生活しているが、それで足りない分は万引きによって補う生活しており、リリー・フランキーが演じる治は、子ども

          落ちてるものを拾うー『万引き家族』と是枝映画における〈家族〉という主題

          労働としての共感ー映画『ミッド・サマー』と日本社会

           映画『ミッド・サマー』は、スウェーデンの原始的な生活を送る閉鎖的な村、ホルガ村を舞台とした「フォークホラー」(民俗ホラー。「フォークロア」は「古くからある風習・伝承」の意。)として話題になった作品である。ホルガ村は、一見、人々がみなニコニコ穏やかな笑顔を浮かべ、平和で穏やかな生活を送るユートピアに見えるが、この村を訪れた若者たちはこの村が実は、人々に「個」の意識が存在せず、村の維持のために、村のルールに従って死ぬことさえ厭わない、異常なディストピアであることに気づいていくこ

          労働としての共感ー映画『ミッド・サマー』と日本社会

          自己啓発・教育・新宗教ー島薗進『新宗教を問う』と今村夏子「星の子」

           島薗進『新宗教を問う』(ちくま新書)は、明治時代以降に勃興した新宗教研究を総括した本であるが、戦前から戦後において新宗教が勃興した時代と現代が重なり、現代は再び新宗教が拡大していく時代なのかもしれないという感想を持った。  とりわけ興味深かったのは、創価学会の初代会長となった牧口常三郎がもともと教師で、「教育とは子供に価値創造ができるようにしていくことである。自らの力で新しい価値を創造していける人間を育てる。そのための教育が必要だ」という教育観を持つ教師だったことだ(注1

          自己啓発・教育・新宗教ー島薗進『新宗教を問う』と今村夏子「星の子」

          気遣いと共依存ー映画『愛がなんだ』のマゾヒズム戦略

           映画『愛がなんだ』は、原作は角田光代の小説で、徹底的に相手に尽くすタイプの女性の恋愛の意外きわまる行く末を描く、異形の恋愛映画である。ヒロインのテルちゃんは思いを寄せる男性であるマモちゃんにあれこれ尽くすのだけど、うざがられるし、結局のところ愛されず、雑に扱われてしまう。男が好きなのは、煙草を吸い、肌もガサガサで、魅力的とは思えない、がさつな三十女の方なのだけど、理由は「あの人全然気を遣わないじゃん。こっちもその方が楽だし」というものだ。  しかし、かといって、テルちゃん

          気遣いと共依存ー映画『愛がなんだ』のマゾヒズム戦略

          制度化された虐待ー映画『海辺の彼女たち』とベトナム人技能実習生

          ベトナム人技能実習生を題材とする映画『海辺の彼女たち』(監督・藤元明緒)を見たのは、以前から、ベトナム人技能実習生の問題に関心を抱いていたからだ。貧困状態にあるベトナムの若者たちに紹介料として借金をさせて、逃げられない状態にして、怒鳴られながら低賃金で長時間の過酷な肉体労働を強いるために、受け入れ先から逃げ出し、苦境に陥っていく技能実習生たちをめぐる状況は痛ましく、日本でこのようなことが行なわれていることは最初は信じられず、しかし、落ち着いて考えてみれば、腑に落ちるものでも

          制度化された虐待ー映画『海辺の彼女たち』とベトナム人技能実習生

          スクールカーストと革命ー「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の誤謬

           2019年11月刊行の14巻で完結した渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(通称『俺ガイル』)は、2011年3月刊行以来、10年代のライトノベルを代表するシリーズであり、学校内部に存在する「リア充/非リア」の階層構造――すなわち、「スクールカースト」をテーマに掲げたことで、注目された作品であった。しかし、もともと「スクールカースト」の最底辺に位置し、青春を謳歌するリア充たちを呪っていた男子高校生、「ヒッキー」こと比企谷八幡を主人公とするこのシリーズは、結局のとこ

          スクールカーストと革命ー「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の誤謬