〈矛〉としての論理ー「矛盾」と「こころ」と新自由主義

 楚の商人が、矛と盾を持って、「この盾の頑丈なことは、どんなものも突き通すことができないほどだ」、「この矛の鋭いことは、どんなものでも突き通すことができるほどだ」と言って矛と盾を売っていたのを見て、ある人が、「では、あなたの矛であなたの盾を突いたらどうなるのか」と質問したところ、商人は何も答えることができなかった。

 このような、故事成語の「矛盾」のエピソードを、学校の古典の授業で習った人は多いと思うが、「矛盾」の出典が、諸子百家の一つ、法家の『韓非子』であり、儒家を批判する意図があったということまで習った人は少ないのではないだろうか。

 「矛盾」とは、儒家が、「尭の政治はすばらしく、それを継いだ舜の政治もすばらしかった」と主張するのに対して、「尭の治世が良いものだったとしたら、舜は何も改善策を施さなくていいのだし、舜が世の中を良くしたというのなら、尭の世は悪かったのだろう」として、儒家の言説の矛盾をついて批判するために作られたディベート術であった。

 もう一つ、有名な故事成語である「守株」もまた儒家を批判するために作られた『韓非子』の話で、ある男が、兎が切り株に躓いて倒れてしまったことによって兎を獲ることができたという成功体験を持ったことから、それ以来、ずっと切り株を見守っていたが、もちろん二度と兎を獲ることはできなかったという「守株」のエピソードは、古代の君子の人徳による政治を復興せよなどと主張する儒家の愚かしさを批判するための譬え話なわけだ。

 韓非子は法家であり、法による治世を主張する法家の法治主義は、やがて秦の始皇帝が中国を統一していく際に大きな力となった思想である。儒家が理想としたのは、人徳のある君主による徳治による治世であるが、儒家の徳治主義は中国統一の気運の中で、法によって国家を統治していく法家の合理主義にいったん敗れていく運命にあった。法家の思想は合理的/論理的で、君主の人徳を重んじる儒家の道徳至上主義を、論理的な矛盾を突くことで、「論破」していく。近年、新自由主義を標榜する論客たちが、ディベートにおいて相手を「論破」したと宣言する光景が見られるようになったが、そのルーツは、実は、法家による儒家批判にあるかもしれないのだ。

 ところで、高校国語の教科書には、きわめて印象的な、相手の「矛盾をついて論破する」場面が登場する。夏目漱石の小説「こころ」において、先生がKに向かって、「精神的に向上心がない者は馬鹿だ」と言い放って、かつては恋愛に興味を持つ先生に向かって、この言葉を言い放ち、まるで恋愛に興味を抱く先生は、勉強もせず恋愛に現を抜かす、向上心のない馬鹿者だと言わんばかりの物言いをしていたくせに、今、お嬢さんへの恋愛感情を抱いているKの言動不一致の「矛盾」をつく場面だ。

 この小説においては、「利己主義」がテーマとなっていたことを思い出そう。先生はKとの三角関係において、自分さえよければそれでいいという考えに陥っており、これは新自由主義的な思想と言える。それに対してKが体現するのは、「道」を究めることを理想とする、教養主義的な価値観であり、人格の完成を目標としていたように思われる。かくして先生とKの対立は、法家と儒家の対立に準えることができるのではないだろうか。先生は、法家が儒家を批判した「矛盾」をつく論理を使って、恋愛に目覚めたKを追い詰めるのだ。(注1)

 ところで、考えてみたいのは、論理とは、「何でも突き通す矛」であるだろうか、ということだ。確かに法家は儒家に勝利し、先生はKに勝利した。しかし、論理的に正しいということが、いつでも正しいものとして勝利するとは限らず、いつでも絶対というわけでもない。論理的な正しさとは、合理主義的な価値観を前提とするものだ。世の趨勢として合理主義的な思想が必要とされた時代だからこそ、法家は儒家に勝利したし、先生はKに勝利したのであって、やがて世の中が安定すると、儒教は漢の国教として覇権を握ることになる。「こころ」の先生もまた、利己主義的な行動によってKに勝利したわけではなく、明治の終わりとともに、明治の精神に殉じるのだと言い残して自ら死を選んでいく。人間は常に合理主義的に思考をするわけではない。不合理な思想が社会の支配的な価値観となることもあるし、さらに言えば、合理主義的な思想が絶対的に正しいわけではないのだ。「非合理故に我信ず」(出典は、キリスト教神学者テルトゥリアヌスによる3世紀初頭の著作『キリストの肉について』)。思想や宗教とはそういうものだ。

 だから、もしあなたが矛盾を指摘されても、頑として突っぱねればそれでよい。「何が正しいのか」を争う言葉の応酬の前提には、「何をもって『何が正しいのか』を決めるのか」のルールをめぐる応酬がある。論理は絶対ではない。論理というものが力を持つ時代があり、それは道徳や教養主義が力を失った実力主義の時代なのだ、ということを、時代の思想としての「矛盾」は教えてくれる。

注1 漱石のペンネームは、「漱石枕流」という故事成語に由来しているが、これは言い間違いを指摘されたのに対して、屁理屈をこねて言い返す、親友同士の口喧嘩が元になったものであり、漱石は自分が頑固者であると自認していた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?