記憶の忘却と回帰ー『この世界の片隅に』に関するツイートまとめ

 『この世界の片隅に』、複線が散りばめられ、記憶力が試される映画で、何度も見ることで気づくことがたくさんある。原作を読んでない人が、映画冒頭の幼少期に化け物の籠の中で出会った少年が、周作さんということに、おそらく一回目で気づく人は少ない。そういうのがたくさんある。

 幼少期を描くわずかな描写で、すずの兄が出てくる。怖い兄なので「鬼イちゃん」。しかし出征してしまうと映画から姿を消し、途中すずが手紙を書くが返事が来ないという話が、すずの里帰り中に交わされる。その後死の報がもたらされるが、あまりにあっさりしており、観客も重みを感じにくい。

 だが「戦争ではあまりにあっさり人が死ぬ」ということを描く故にこれは重要な場面だ。母親は「あいつがそんな簡単に死ぬもんかね」ときっと反抗したように言葉を吐く。すずは「人があっさりいなくなる」ことを実感し、(水原と納屋で過ごすことを許した)周作さんと正面からぶつかってみようと変わる。

 戦争では人はいつあっさりいなくなるかわからないからこそ、関わりのある人にはしっかり思いを伝えて関わっていこうと、すずが決意する場面であり、兄の死は重みがある。

 兄については、幼少期に水原が自分の兄が訓練中に海で死んでしまったのに比べればましだと言う場面がある。しかしすずの兄も死んでしまった。水原もまた死ぬかもしれない。戦争で死んでいく若い男たちの系列に、もちろん周作さんもおり、周作の生死が映画の焦点のひとつとなる。

 すずが化粧をして周作さんを見送る場面があるけれど、あれも夫の死を覚悟して送り出す場面なのではないか。

 経子について。経子の家族が「あれが米を炊くといつも焦がしてしもうじゃけ」と言う場面がある。モダンガールだった経子は、家事は苦手だったのだろう。ところが出戻った後は完璧な家事ぶりを披露して、すずから嫁としての居場所を奪わんとする。

 時代や人生の波にもまれ、モガであることを捨て家事の技量を上げるほかなかった経子。経子はすずと家事をする者の座をめぐって、経子にとっては弟の周作さんの奪い合いをする観があるが、やがて関係は変わる。変わったのは娘の死がきっかけとなるが、経子とすずが家族として仲良くする場面は、どの場面も胸を打つ。何が起こったのだろうか。

 『片隅』、刈谷さんと知多さんが良いよね。トンカラリ隣組が流れる中、何をするにも角を突き合わせてギャーギャー喧嘩しているおばちゃんたち。いるいるという感じで可笑しい。そして、すずにまとめてノックアウトされる。そして、肩を寄せ合わせて寒さをしのぐ。本当に仲が悪いわけじゃないんだよね。

 ところが、刈谷さんは夫と弟が戦死し、息子は広島で被爆して、刈谷さんは近くまでたどり着いた息子を、息子と気付けなくて後悔する。全てを失ってしまう。『片隅』に出てくる遊郭の女りんは、『千と千尋』のりんとどこか重なるのだけど、よく考えてみると、すずと千尋も重なってくる気がするな。

 周作さんはすずについて、「ここんところにほくろがあるから、すぐすずさんとわかる」と言う。死体のみわけすら付かなくなる原爆以降の世界で、ほくろがすずの固有性を保証する記号となる。漫画だとただの点、しかしそれが重要なのだ。

 原作は漫画であり、すずは映画を描く者であり、点は最も原初的な記号だ。ここにおいて原爆以降の人間の固有性の問題と、漫画論が接続する。

 『この世界の片隅に』、すずの兄は幼少期の描写だけで印象を残さず戦死するが、兄といえば『火垂るの墓』。火垂るが妹を守れなかった兄の物語だとすれば、『片隅』は兄を失った節子が戦争を生き抜いていく物語と言える。しかし『片隅』でも「守れなかった」は主題となる。もう一人の節子としての晴美。

 火垂るの親戚の家でいじめられるエピソードは、『片隅』ではすずが経子にいじめられるエピソードになる。すずは一見大人しく従っているが、ストレスハゲが出来るほどで、実家に逃げ帰ってもおなしくなかった。しかしこの作品の場合、広島の実家に戻ることは被爆することを意味する。

 火垂るで兄が妹を連れて親戚の家から逃げ出したことが死に繋がるのとパラレルな関係にある。耐えることで自分を守れるか。経子とすずの和解のまさにそのときに原爆投下が行われることには必然性がある。すずは実家に戻ることを翻意し、北條家にいさせて下さいと言う。すずは自分の命を守れたのだ。

 『片隅』が複雑なのは、経子もまた火垂るの兄の立場かもしれないことだ。出戻りの居候の身で、しかも晴美を守らなければならない。経子も晴美を守るために必死であり、だからこそすずを攻撃する。しかしむしろ追い出されるかもしれないのは経子の方で、経子は常に居場所を失う不安を感じていたはずだ。

 近代家父長制における妻と、夫の姉妹については、近代文学研究で蓄積がある。『三四郎』において男が妻を家に迎え入れる前には、男の姉妹はどこかに嫁に行かなくてはならない。でないと新妻をいじめる可能性があるから。美禰子が結婚相手を探して焦るのはこの玉突き効果のためで、三四郎も翻弄される。

 経子とすずの北條家での対立は、経子の性格が原因ではなく、近代家父長制の中で女が置かれた位置によって強いられたものだ。故に経子とすずの和解には近代家父長制を乗り越える女同士の連帯が描かれると言ってよい。その点、火垂るの「兄」と「妹」の物語が家父長制を最後まで引きずるのと対照をなす。

 経子とすずの間に挟まれる周作さんの苦労は、作中であまり描かれてないけれど、心中思うところはあったはず。苦労し困っていたと思う。しかも自分は家を明けなければならなくなる。すずに「こんなにこまいのに、この家を守れるんかのう」と言う周作さんは、しかしすずを家の責任者として認めてるよね。

 周作さんは自分が死ぬかもしれないからこそ、家長の権限を女たちに委譲することを意識せざるを得ない。女たちが連帯して家を守る『片隅』、家長の意識やプライドにこだわり自滅する『火垂る』。周作さんは水原に納屋で泊まるよう言うとき、「今夜はわしが家長だ」と言うよね。当然家長の意識がある。

 最後の場面で孤児を北條家に引き入れることは、戦後、そして原爆後の家族のあり方を提示する上で意図があるはずだ。晴美の代わりというのは当然誰もが思う。次の世代を担う子どもがいないと、未来への希望がない。しかし、それなら周作さんとすずの間に子どもが生まれるという結び方もあったはずだ。

 すずの妊娠出産による結び。しかし、直感的にそれはなんか嫌だというのもわかるよね。なぜ嫌だと思うんだろう。

 ぼくの父は終戦の半年前に産まれている。戦中は国力増強のために「産めよ増やせよ」運動があって、戦後のベビーブームと繋がっている。これが団塊世代。すずが周作さんとの間に子どもを作ることは「産めよ増やせよ」に加担することになる。当然そういう話はあったはずだが、作中からは排除されている。

 すずに対して周りが「早く子どもを作れ」と言う場面はあってもおかしくないのに排除されている。そして晴美のこともある。晴美を死なせてしまったすずが、周作さんとの間の子を産むことは、経子に対して残酷すぎる。故にすずの子でも経子の子でもない孤児の子どもが、北條家の子どもとして望まれる。

 残酷な話。すずはすでに一度晴美を危険に晒している。最初の空襲で晴美と一緒にいるときに、すずは絵にしたらどうなるか空想し、避難が遅れ、周作さんの父にかばわれる。ところが、義父が死んだと思いきや熟睡していただけで心配させた、という笑い話に終息してしまい、反省する機会を逸してしまう。

 水原は「ほんにすずは普通じゃのう」と喜ぶが、戦時でも変わらないすずののんびりした普通さ故に、すずは晴美を守れない。晴美の死によってやっとすずは思い知る。「ずっとぼーっとしたままでいられたらよかったのに」。水原がよいと言ったすずの普通さは、戦争を通じて失われてしまうのだ。

 映画の構造上、一度見ただけで全ての伏線には気づけないと思うんですよ。映画はすずの人生の中で、印象的なエピソードを拾っていくけれど、日常的なちょっとしたエピソードも多いし、それは時間の流れの中で忘却されていくし、やがて時間をおいて回帰してくるものもある。

 人生はそういうもので、ましてすずはぼーっとしてるのだから、すずにとって映画で描かれるエピソードの全てをはっきり覚えているわけはない。それを観客もなぞる構造で、映画は意図的に作られている。

 そう言えるのは、すずの記憶が全て回帰してくる場面があるからだ。言うまでもなく、存在した右手の記憶を次々想起する場面がそれ。

 記憶の忘却と回帰が、この映画のテーマであり、映画の構造にもそれは組み込まれている。

 りんは、映画が経子とすずの対立を描く第三項として要請されているのだと思う。もしかしたら経子やすずがりんの立場になっていたかもしれない。特に自立した女として働いていたモダンガールの経子。ウェハーがわかる経子とりん、知らないすず。

 空襲の中、「日々の努力で2000馬力まで来た」と言う祖父に、「敵は何馬力なん?」と聞く晴美は幼いながらに、順調に濃いミリオタ女子に育っている。

 晴美に軍艦の知識を与えた「お兄さん」は、周作さんではなく、周作の兄弟で、すずに「いずれ会わせる」と言ったのに、その後出てこない。戦争を生き抜いたのだろうか。

 『この世界の片隅に』、呉に空襲があった翌日、「芋がよく焼けとる」と空襲でおいしく焼けた芋を食べる場面がある。呉は一面焼け野原になってるのだけど、こうしたユーモアを口にする。ユーモアで困難を乗り越える庶民の力は、こうした細部に描かれている。

 何かにつけ「よかった」というのも庶民の力。(晴美は死んだけれど)「あんただけでも助かってよかったと思っとるんよ」。すずは、「よかった、よかったって何がよかったのか」と反発しつつ、「わたしもこの町の人たちみたいに強くしぶとくなりたいよ」と思うが、これも困難を乗り越える庶民の力だ。

 『片隅』、すみちゃんと話すシーンで、「ゆがんどる。お兄ちゃんが死んでよかったと思うとる」とすずが思うのがなぜなのか分からない。右手を失って、すみちゃんに広島に戻ってきたらと勧められるタイミング。

 2018年5月25~6月12日のツイートを再掲

 中尾麻衣香『核の誘惑』に、「原爆のキノコ雲を呉の海軍鎮守府で目撃したと述べている中曽根康弘は、国会議員になった当初から科学技術振興に強い関心を抱いていた。そのきっかけとなったのが、サイクロトロンの破壊であったと述べている。周知の通り、中曽根は戦後日本の原子力政策を押し進めていくことになる」とある。『この世界の片隅に』の遠景に後の首相が存在している。参考文献は、中曽根康弘「原子力の神話時代」『日本原子力学会誌』第49巻第2号(2007年)とのこと。

 2018年01月31日のツイートを再掲。

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