フィッシュ&チップス

23歳。大学4年生。イギリスとデンマークでの留学の思い出を書きます

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最近の記事

インヴァネスへの招待

インヴァネスへの日帰り旅行を提案されたのは前日のユニオンスクエアでの別れ際だった。僕は久しぶりの休日をゆっくりすごすつもりでいたのだが、なにやらアレシアとアブスはインヴァネスにあるネス湖について話し合っていた。インヴァネスを知ったのは大学三回生の、シャーロックホームズについてのプレゼンをした時だった。シャーロック・ホームズが着ている長い丈に尖った襟のコートはインヴァネスコートと言われており、その由来はスコットランド北部のインヴァネスにあるのだ。 その会話の矛先が僕に向くことは

    • 1人の時間を求めてしまう

      リアル脱出ゲームが終わるとラジェシは面倒な用事を一つ片付けた後のようにそそくさと去っていった。 ジュジーの提案でアレシアとアブスとユニオンスクエアでコーヒーを飲むことになった。ユニオンスクエアの二階奥にあるスターバックスに入った。僕は一般のカプチーノを頼んだ。ジュジーはお菓子を買ってみんなに僕らに食べていいよと言った。 僕は三人の会話を途切らせたくなかったためあまり発言はしなかった。時々アブスの方を見て簡単な英語を言った。このころになると相手が誰であれ確実に伝わる構文が定

      • リアル謎解き脱出ゲーム

        4月18日木曜日。学校のイベントで「謎解き脱出ゲーム」をした。「BREAKOUT GAMES 」という名前の店で港の一角に構えている。イベントの主催者はよくこんな微妙なものを見つけてきたものだ。参加するメンバーはアブス、レオ、ジュジー、アリシア、そして付き添いの教師としてラジェシだった。ラジェシがいるだけで僕の心はいくらか軽くなった。 アリシアは3週目の授業から入学してきたミラノ出身の27歳だった。彼女はジュジーの親戚で、二人が話すときはイタリア語で会話した。本物のイタリア

        • 白人のジュジー

          4月17日。午後の授業が終わり写真フォルダを見ると覚えのないセルフィーが保存されていた。満面の笑みで親指を立てたザディオだった。画面右下のアブスの右腕が写っていた。「ヘイ、ザディオ、スィー」と言ってインカメラを向けたアブスの様子が目に浮かぶ。 今思うとこの頃と学校に入りたての頃では慣れが違うと思った。僕は3週目に入った頃にはすでに一つの居場所として彼らを受け入れていた。アブスはもちろん、二人の黒人ザディオとジョージ、サリ、ヴィン、講師のラジェシ。留学をハードルが高いと考えて

        インヴァネスへの招待

          再びアバディーン大学へ

          4月15日月曜。午前中の授業が終わると僕はアバディーン大学に出向いていたようだ。ようだ、というのは僕は決して1年以上前の何月何日にどこに行ったかを覚えているわけではない。スマートフォンの写真フォルダを見て一枚の写真から何があったかをつなぎ合わせているのだ。 僕がこの日にアバディーン大学に行った理由はおそらくベルギーのあの子に会うためだろう。どこかで彼女に会えないかと期待しているわけだ。夜が明けても彼女に対する想いが消えることはなかった。僕が彼女について知っているのはアバディ

          再びアバディーン大学へ

          もう二度と会うことはできない

          時計を見ると夜の11時近くだった。明日は朝から授業なのにこれほど遅くまでいるとは思わなかった。 ミュージックホールを出てユニオンストリート沿いに真っ直ぐ帰った。頭の中はベルギーの彼女でいっぱいだった。もう彼女と会うことはこの先ないだろう。電話番号もフェイスブックもインスタグラムも知らない。名前さえ知らないのだ。アバディーン図書館に行けばいつかは会えるだろうか?あんな広い敷地の中で偶然に? メランコリックな音楽が聴きたかった。すぐ頭に浮かんだのはテイラースイフトのNever

          もう二度と会うことはできない

          ケルト音楽を踊る(後) ベルギーの小さな女子大生との出会いと別れ

          「Shall we dance?」と言われたかは覚えていないのだが、彼女が1人でうろうろしている僕を見て声をかけてきたのは確かだ。カミーラはサンドラと、カタリーナはニスィと、まるで僕とペアを組むことだけは避けるようにテキパキとペアを確保していった。彼女も相手を探している状況を遠目から見て知っていたので、自分からそうさせるように仕向けたというのもある。しかし余り物であったにしろ僕を選んでくれたのは嬉しかった。彼女も他の白人同様薄汚い日本人男性なんかを相手にしないと言ってもおかし

          ケルト音楽を踊る(後) ベルギーの小さな女子大生との出会いと別れ

          ケルト音楽を踊る(前編) 社交ダンスの文化

          会場は舞台上の照明によって水色とピンクと緑の三色によって彩られていた。フロアに照らしつける濃い水色の色合いはどこまでも深い海を思わせた。ステージ上には多彩な楽器が置かれていた。これからそこに来る演奏者にものだろう。大きなスピーカーでケルト音楽が流されていた。無印良品で流れている優雅なバイオリンの音楽だ。ケルト音楽について何も知らなかった僕はそこでようやくそれが何を意味するのかが分かった。 客は子連れが多かった。前列に座っていた2人の少女はあたりを見回していた。袖の部分がフリ

          ケルト音楽を踊る(前編) 社交ダンスの文化

          ケルト音楽を踊る(序)

          4月14日、日曜日。19時15分に学校の前に集合しミュージックホールに向かう。ケルト音楽を鑑賞するイベントだ。 先日の美術館に比べて多くの生徒が集まった。ドイツ人のニスィ、コロンビア人のカタリーナ、カミーラ、ニコラ、ブラジル人のモアナとその母親、そして、ラトビア人のサンドラ。全員女性だった。サンドラは僕より一週遅く入学した上級クラスの女性だ。茶色い髪に程よく焼けた肌、水色の瞳、身長も僕より少し低い程度のがっちりした、同時に女らしさも持ち合わせる妖艶な人だった。これまで身近に

          ケルト音楽を踊る(序)

          アバディーン大学図書館

          4月13日。どうせすることもないしアバディーン大学の図書館に出向くことにした。改めて僕が今住んでいる寮はアバディーン大学生にとって絶好の立地だと感じた。寮の場所自体は人通りが少なく1人の時間を楽しめるのだが、車道を北に進みベッドフォールド通りに入ると巨大な駐車場を併設したマクドナルドや大型スーパーで買い物を楽しむこともできる融通のきいた街だ。 大学への一本道になると、周りを行き交うのは全員アバディーン大学の学生になっていった。土曜日の昼間から多くの学生が勉強をしに大学へ登校

          アバディーン大学図書館

          中国人と僕

          僕がハンスと歩きたくなかった理由は彼がどう見ても中国人だっからだ。ハンスの横顔が目に入る度突き出た唇と低い鼻に視線が集まってしまう。彼と歩いていると僕も中国人のように見えてしまうのが気に入らなかった。イギリス人から見たら気持ち悪いアジア人2人が下手な英語を話しているようにしか見えないだろう。 「もうだいぶん近いんだけど、どこだろう。この辺で間違いないんだけどな」 僕は何も言わずに彼のちょっと後ろを歩いていた。僕は今からハンスが連れて行ってくれる場所に興味はなかった。早く開放

          中国人のハンス、つまらない美術館

          4月12日金曜日。午前の授業が終わり一時帰宅した。今日は4時から近くの美術館に行くことになっている。学校のイベントとして張り出されていたので、美術館という響きだけで参加のサインをしたのだ。 4時前に集合場所の学校前に行くとまだ誰も来ていなかった。イギリスで集合時間に移動を開始できることはまずない。集合時間の数分後に着くことが流儀とされているかのように誰もかれもが守ろうとしない。流石に少し遅かったか、と急ぎ足で集合場所に向かってもそれが報われることはない。彼らは僕の予想を上回

          中国人のハンス、つまらない美術館

          イギリスの料理がまずいわけじゃない

          昨晩キッチンメイトのフランス人女性から譲り受けた白米を炊いてみることにした。鍋に適当な量の米を入れ水を入れた。4,5回揉み解すと濁っていた水が透明になってきたので蓋をしてIHの上に置いた。 ここのIHはややこしいつくりをしていた。四つの場所があるのだが、どのスイッチがどこに対応しているのか分からなかった。また強火と弱火のサインがまるでないことも僕を困らせた。弱火でも強火でも見た目は少し赤く点滅するだけであり、面に触ってみても特に違いは見られない。昨日の晩に彼女に聞いておくべ

          イギリスの料理がまずいわけじゃない

          20歳のフランス人から大量の白米をもらう

          4月9日。午前、午後のクラス共に一つレベル上がりpre-intermediateからintermediateになった。アブスやサリ、ヴィン、レオといった馴染みのあるメンバーが僕を迎え入れてくれた。先週まで午後の授業では黒人中心のクラスに入れられ、肩身の狭い思いをしながら登校していた。日本を出て二週間足らずで僕は一つの安全地帯を見いだすことができたのだ。 緊張と疎外感を常に感じていた一週目とは異なり、語学学校に行くことに楽しみを覚えるようになった。新しいクラスには初見の生徒が

          20歳のフランス人から大量の白米をもらう

          デンマーク人のロルフ

          4月8日。 受付の掲示板に今週のイベントが張り出されている。 TUESDAY CAFE FRIDAY Tolbooth Museum SUNDAY Ceilidh 今日、月曜は何もないことに少し安心した。午後の授業もないため、アブスとマクドナルドに行き昼飯を食べた。ダブルチーズバーガー、サラダ、ポテトMサイズを注文した。家に帰ると昼寝をした。深く途切れることのない眠りだった。 ロンドンで買った£1のメモ帳にデンマーク語で日記を書いた。なぜかデンマーク語の学習

          デンマーク人のロルフ

          素人がイギリスでサッカーに誘われる(後)

          こんなコートで僕なんかがサッカーをしていいのか。ドアを開けて思ったことがまずそれだった。 フルコートが2分割されており、大きなゴールは側面に置かれていた。小さなゴールがあるべき場所に二つあった。人工芝はアイススケートリングのように滑らかにすべった。 アブスはゴールの後ろで着替えたり話したりしている僕が見たことのない面子に慣れた手つきで挨拶をした。彼らは僕に気づきハイと言った。8割がサウジアラビア人、残りはどういうつながりか分からないが人数合わせの2,3人イギリス人だった。そ

          素人がイギリスでサッカーに誘われる(後)