素人がイギリスでサッカーに誘われる(後)

こんなコートで僕なんかがサッカーをしていいのか。ドアを開けて思ったことがまずそれだった。
フルコートが2分割されており、大きなゴールは側面に置かれていた。小さなゴールがあるべき場所に二つあった。人工芝はアイススケートリングのように滑らかにすべった。

アブスはゴールの後ろで着替えたり話したりしている僕が見たことのない面子に慣れた手つきで挨拶をした。彼らは僕に気づきハイと言った。8割がサウジアラビア人、残りはどういうつながりか分からないが人数合わせの2,3人イギリス人だった。そのイギリス人の素性は最後まで明かされることはなかった。立派な髭を生やした白くて太いのと、アバディーン大学の生徒であろう若い男性。

1人の青年が僕に話しかけてきた。サウジアラビア出身のハズムだ。彼の外見はアブスやサリと異なり、どちらかと言えばトルコ系だった。
サウジアラビア人の見た目は多種多様である。サリはインド人に見えるし、アブスは肌が人一倍黒いので西アジアのどこか、そしてハズムのように白くスペイン、イタリア人に見えなくもない者もいる。ハズムは身長は僕より少し高く細身で爽やかな印象だった。アバディーン大学の学生らしい。海外の学生は休日をこぞってこのような整った環境で運動することが決まりのようなものなのだろうか。

ヴィンやサリもすぐに見つかった。彼らも以前に参加しているらしく、集団に紛れてアップを始めた。

僕はある人物を探していた。ヴィンやサリ以外にもう1人知っている人がいるのだ。僕はその男の目星をつけていたが、実際に目にしたのは少し予想に反したものだった。


アブスが「ヘイ!ロルフ!」と叫んだ。そのロルフという男はこちらを向き僕に近づいてきた。
彼はデンマーク人のアバディーン大学生であるロルフ。僕がアブスに以前、彼のルームメイトにデンマーク人がいると聞いて今日ここに誘ってくれと頼んでいたのだ。デンマーク人と知り合っておくことは僕にとってなんらかのアドバンテージになる気がしていた。それに生のデンマーク人という不確かな存在を目にしてみたかったのだ。ロルフは身長165センチくらいとかなり小柄だった。髪色は金で目の色素は薄く青くたしかにイギリス人とはまた少し違った雰囲気を醸し出していた。肌の色はひやけをしているのだろうか、イギリス人の薄ピンクのようなものとは違い茶色を限界にまで薄めたような色をしていた。ロルフは僕に「君が日本から来たヴァタだね」と言った。そこでようやく彼が本当にそのデンマーク人なのかを確かなものにすることができた。なんとなく性格が大人しそうで僕は彼に好感を持つことができた。


ゲームは突然始まった。チームを割り振られて僕はゼッケンを着た。
素人目から見てもここイギリスにおいてサッカーというスポーツは国技であり、慣れ親しんだものだということがすぐに感じ取れた。
とにかくスピード、威力、選手の体の大きさが違う。サッカーが不得意に見えるものは誰もいなかった。ヴィンやサリも紛れて上手く見える(というか実際に上手い)のはしゃくだった。
ロルフは僕の次にサッカーが下手そうだった。走り方が運動をしていない人のそれであり、しかしボールにがっつくことだけはしようとする。

アブスは22人全体で見ても巧い方だった。身長も1番高く彼の蹴るボールはまるで弾丸だった。そして予想通りハズムは僕の目から見るとプロと遜色ない。立派な太いイギリス人はサッカーボールをおもちゃのように扱った。もはや彼にとってボールを操ることは幼少期から体に馴染ませてきた一連の流れにすぎないのだ。
アバディーン大学の若い学生は僕が昔暇つぶしにしていたサッカーゲームの選手そのものだった。彼らの実力が一般のイギリス人から見てどう写るのか気になった。
マークする選手をハズムから教えられていた。君はあいつだけを見ていればいい。しかしそれはそれほど単純ではなかった。気がつくと僕のマークは遠ざかり、追いつけないところまでボールを運んでゆく。そこからチャンスが生まれ、ゴール前まで展開しコーナーとなる。
サッカーという競技をこの1時間で大方理解できた気がした。それだけ集中してやったのだ。つまり22人という一見大勢に見える人数でも、中では一対一の個人技が繰り広げられている。サッカーのハイライトではゴール直前からしか流れないが、ことを辿っていくとマークを外した原因が必ずある。もはやフリーでキーパーと対峙させてしまった時点で点を取られることは全員が承知している。キーパーとはあくまで形でしかなく、あれだけ左右に広いゴールを隅から隅まで守ることは不可能なのだ。

後半になると僕の脚も場に適応してきた。転がってきたボールを相手布陣に戻しチャンスをリセットする。誰もいない空間にボールが転がるとそこに走っていきチームメイトにできるだけ近い場所までドリブルしパスする。僕の役目は次第に固まってきた。周りが全員上手いので心配することはない。
しかしボールを持った勢いのあるオフェンスが向かってきた時に僕はそこにいる人と化した。日本でのサッカーと速度がまるで違う。一歩一歩が大きく蹴る瞬間が見えないほど速い。そしてどこに誰がいてちょうどいい落とし所がどこか把握している。サッカーとは瞬時に誰にパスするかを考え、そこに的確なボールを繋ぐことが前提のスポーツなのだ。僕は今すぐ日本の友人たちのサッカーがしたいと思った。

問題はキーパーだ。僕の順番が回ってき、一気に注目の的となった。ボールがハーフラインより奥にある状態がずっと続けば良いと思った。ボールが近づいてくると僕にできることは目を離さずに立ち位置を変えるだけだった。
一度正面のボールをその威力に弾かれゴールされた。僕はその時、これほど惨めに感じたことはここ数年で初めてと言わんばかりの屈辱感を抱いた。僕の見た目から彼らもそのボールが押し込まれても無理はないと思っている。キッカーも僕相手なら多少コースは甘くてもなんとかなると思う。他のみんなはその一本のゴールについて特に考えなかったかもしれない。
太いイギリス人が僕を見て猫の手を真似してニャーと言った。彼のその侮辱した態度に腹を立ててもいいところだが、僕はひどく落ち込んでおりそれをそのまま受け止めるしかなかった。


2時間のサッカーは一瞬ではあった。得意ではなくとも体を動かすのは喜ばしいことだ。ロルフとはメッセンジャーを交換した。デンマーク語学習でわからないことを聞くために最適の人物だ。

アブスは他の友人がいるにも関わらず僕と帰った。コート近くのテスコでファンタオレンジを買った。

「洗濯ってどれくらいの頻度でするもの?」僕は前からの疑問を聞いた。
「僕は1週間に一度か、それくらいかな。」
「日本だと毎日するんだよ。」
「どうして?おかしいよ」
アブスは本当におかしそうに僕を見て言った。
「たしかにおかしいかもしれない。」
「だってもったいないよ。1日じゃそれほど汚れないだろ」
「みんなそれがルールみたいにするんだよ。イギリスに来るまで知らなかったよ、僕らが異常なんて。」

そんな会話をしながら僕らは別れた。こうしてはじめての休日が終わった。