白人のジュジー

4月17日。午後の授業が終わり写真フォルダを見ると覚えのないセルフィーが保存されていた。満面の笑みで親指を立てたザディオだった。画面右下のアブスの右腕が写っていた。「ヘイ、ザディオ、スィー」と言ってインカメラを向けたアブスの様子が目に浮かぶ。

今思うとこの頃と学校に入りたての頃では慣れが違うと思った。僕は3週目に入った頃にはすでに一つの居場所として彼らを受け入れていた。アブスはもちろん、二人の黒人ザディオとジョージ、サリ、ヴィン、講師のラジェシ。留学をハードルが高いと考えている人にも僕が0の状態からここまできたことを伝えてあげたい。僕は特別何かをしたわけでない。外国人は皆優しいのだ。それはうわべだけの優しさではなく、彼らがこれまでの生涯で積み上げてきた根っからの愛想なのだ。


3週目のある午前の授業でドアを開けるとそこには見知らぬ白人が座っていた。彼女は僕を初めて見た時から「はあい」と歯茎を見せて笑った。イタリアのシチリア出身のジュジーだ。ジュジーは35歳で夫がアバディーンに転勤になったことにより自分もついてきたそうだ。

クラスに白人がいることにはもちろん驚いたが、もっと目を引いたのは彼女の脚だった。よく見ると松葉杖が立てかけてあり分厚いギプスを巻いていた。白人にギプスという組み合わせは僕に種類の異なる箸を思わせた。白人でも骨折をすることはあるのだ。

ジュジーは僕の周りにいなかったタイプの体型だった。俗に言うデブだ。それが彼女を一層チャーミングにしていたことは言うまでもない。黒縁メガネにブロンド、威勢の良い声、堂々とした雰囲気。ハスキーな声も彼女をジュジーたらしめていた。授業中もことあるごとに発言をし教師の発言を遮っていた。教師陣も彼女に話題を振れば安心であることを知っていた。ジュジーは文法には問題があったが、その積極性から彼女が話す英語に憧れを持った。彼女の不完全な英語は100パーセント教師陣に伝わるのだ。「Absolutely」が彼女の口癖だった。教師が彼女に「〇〇だよね?と聞くと必ずabsolutelyと二、三回連呼した。彼女には僕がいつも思う「定期的に発言しなければ」「聞き取られなかったら恥ずかしいな」という気持ちは一切ない。彼女が口を開くとクラス全体が和んだ。

初めてジュジーと話した時もまるで初めてな感じはしなかった。僕はイタリアに旅行に行くならどこが良いかを聞いた。彼女は出身のシチリアを押した。シサリー、シサリーと何回も言うものだからそれがイタリア語で「シチリア」であることは予測できた。シチリアは暑いが私のような元気なイタリア人がたくさんいるとも言った。妹の写真を見せてもらったが、ジュジーとは似ても似つかなかった。

「私がおかしいのよね。普通シチリアで生まれたイタリア人は肌が黒くて髪も茶色なの。妹が正常なのよ。私はブロンドに白い肌で妹と並んでも姉妹にはとても見えないでしょう」

嫌味なく彼女はそう言った。彼女にとって白人の外見であることはどうでも良いことなのだろうか。生まれてくるときに選べるものなら僕も白人として生まれることを望むだろう。白人をこれほど近くで、友人という関係で話すのは初めてだった。肌の色は白とピンクを混ぜた赤みがかった透明だ。それはどれだけ見ても飽きることはない。まさに先天的なアドバンテージだ。ジュジーとの出会いは僕をイギリスで過ごすにおいて一つの安心材料になった。それほど彼女はフレンドリーで頼もしい存在だった。