20歳のフランス人から大量の白米をもらう

4月9日。午前、午後のクラス共に一つレベル上がりpre-intermediateからintermediateになった。アブスやサリ、ヴィン、レオといった馴染みのあるメンバーが僕を迎え入れてくれた。先週まで午後の授業では黒人中心のクラスに入れられ、肩身の狭い思いをしながら登校していた。日本を出て二週間足らずで僕は一つの安全地帯を見いだすことができたのだ。

緊張と疎外感を常に感じていた一週目とは異なり、語学学校に行くことに楽しみを覚えるようになった。新しいクラスには初見の生徒が1人だけいた。エクアドル出身のグレースという女性だ。肌が黒く唇がぼてっとしている。目が寄っており基本的にはぶっきらぼうな表情をしている。社交的な性格とは言えないようだ。最初は授業中もあまり発言せず常に何かを睨んでいた。僕やアブス、ヴィンのようなクラスの大半を占める20代前半の輪に1人だけは入れないのかもしれない。グレースにはすでに子供がいるらしかった。

しかし授業の中でテーマについて話し合う時間になると積極的に前に出てくるようになった。常に愛想が良いことが社交的につながるわけではないことを僕もこの二週間で学んでいる。つまりグレースのように一見近寄り難くともそれはただ無駄に笑わないだけなのだ。


放課後にLidlに寄って即席の食料を買った。 

キッチンに入るとそこには見知らぬ白人女性がいた。ハイと言い交わすと流れで自己紹介をすることなった。その女性はフランス出身の新アバディーン大学生だった。顔中にぽつぽつとできたにきびと少しぽっちゃりとした体型、愛想の良い笑顔は僕に良い印象を与えた。20歳フランス人女性というだけでちょっとした特別感があった。初対面の若い白人と話すときは緊張してしまう。自分は対等に見られているのだろうか?僕も見た目が白人ならもっと自信を持って話すことができるのに。

フランスからイギリスに留学する人は多いのだろうか?なぜそのような簡単なことを聞かなかったのだろう。当時の僕はまだ限定された定型分しか話すことができなかった。会話の内容は常にある一定の範囲に収まった。彼女とはぎくしゃくすることなく会話ができた。フランス人の話す英語はネイティブほど滑らかでなく単語と単語の境目が明瞭だ。それにしてもカミーラやサリには僕の英語は通じないのに、フランス人の彼女やロンドンで会った黒人とは話せるのはなぜだろう。

「母親と一緒に暮らしてるの」と彼女は言った。
確かにキッチンに1番近いドアから話し声が聞こえることはたまにあった。しかしあの小さな部屋で大人2人が暮らすことは可能なのだろうか。ベッドと机を置いてしまえばあと2畳ほどしかない。それとも彼女の部屋の間取りは僕のとは異なっているのだろうか。それだけの疑問があるというのになぜ僕は日本から来たとか英語を勉強しているとかその程度のことしか話せなかったのだろう。

「フランスの映画をいくつか知ってるよ。あの女優の名前はなんだっけな」

本物のフランス人女性を目の前にすると簡単なことを思い出すのに時間がかかった。彼女は僕が何かいうのを待っていた。

「そう、セドゥ。レア・セドゥだ」

「彼女は世界中で有名ね」

「あとセラヴィ!という映画を知ってる?

「セラヴィ?」

「セスト・ラ・ヴィエ。読み方がわからないな。ちょっと待ってくれ」

僕がポスターの写真を見せると彼女はおそらく知っていると言った。あれだけ映画を観てきたが実際の会話で役に立つここといえばこれくらいだ。


「あとよかったら、これをもらってくれると私としても助かるんだけど」
彼女はそう言ってソファの横に置いてある黄色い袋を指差していった。中には大量の米が入っていた。
「ほんとに?僕もいつかは買いにいかなくちゃと思っていたんだ。でもこんなにいいの?ずいぶん残ってあるけど」
「来週フランスに母と一時帰国するの。2週間くらい開ける予定なんだけど、その間ずっとここに置いとくのも迷惑だし、あなたが減らしてくれるなら嬉しいわ」
「ありがとう。いい節約になるよ」
彼女は大勢の外国人がそういうように「enjoy dinner」と言って出て行った。

米は大量に残っていた。まだ3分の2はありそうだ。手ですくってみると日本の米よりも細く長かった。とれたてのキャベツにこびりついてくる白い小さな幼虫に見える。


就寝前に本屋WATERSTONESのオンラインサイトでデンマーク語の文法本を注文した。ボナコードの店舗で受け取りが可能らしいので学校帰りにでも寄ることにしよう。