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金木犀1

プロローグ ー 1 ー 目が覚めて時計に目を遣る。五時半を回ったところだった。引越した際にケチった遮光でないカーテンから、薄暗い外の様子がわかる淡いグレーの光が透けている。中途半端な時間に起きてしまったと寝起きにも関わらず妙に冴えた頭で考えながら体を起こしてキッチンへ向かった。冷蔵庫を開けて500mlの水が入ったペットボトルを手に取り一口飲んだ。乾いた喉に水が流れ込み、ごくりと音がした。休みである土日くらいゆっくり寝ることも叶わないのかと、自分の体を恨めしく思った。目は冴

    • 星星

      ─ 夜空に浮かぶ光にそっと手を伸ばした。 ─ 冬の澄んだ空で一際大きな存在感を放つオリオンと呼ばれる星座は、その体躯に二つの一等星と五つの二等星を宿している。普段光光とした賑やかしい市街からですらも容易に見つけることができるそれは、深山の闇に溶けて望むと名状し難いほどの美しさだった。 オリオン座だけではない。名のある星もそうでないものも、藍錆綾なす光の天蓋が二人を包み込み、彼と過ごす記念すべき日を祝福してくれているようだった。 倖せだと思った。愛する人と大好きな星たちの下で

      • 金木犀4

        ー 4 ー 仕事終わりに携帯の画面を見ると、陽乃から今週日曜の午後に朝田の個展に一緒に行かないかという誘いのメッセージが入っていた。特に予定もなかったし朝田がどんな絵を描くのか気になったのもあり、承諾の一文を送った。 あの四月上旬の飲み会から二ヶ月が経とうとしていて、季節は梅雨に入りかけていた。結局あの日は終始陽乃と山本さんが二人で盛り上がっていて、終電が迫り切った二十四時頃に解散となった。解散後、帰りの電車内で陽乃から、朝田と喋ってみた?というメッセージが入ったので、目玉

        • 金木犀3

          ー 1 ー 「いやあ、結月が相変わらずのひねくれ者で私はなんだか安心したよ」と陽乃が笑いながらビールを口にした。 「私はひねくれてるつもりは全くないけれど陽乃くらい楽観的だったらもっと楽だったなとは思うよ」 それ褒めてるのと言いながら彼女はまたけらけらと笑っている。 今日は久しぶりに高校からの友人である陽乃に会っていた。高校を卒業してからは大学在学中に数回会ったくらいで、社会人になってからも連絡は取り合っていたけれどお互い仕事が忙しく顔を合わせるのは一年振りだった。 「あ

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          金木犀2

          ー 3 ー コンビニを出てゆくあてもなく住宅街を歩く。思いつきで決めた散歩で目的地もないため、特に見どころもない民家や標識をぼけっと眺めながらふらふらと歩いた。そうだ、久しぶりに川沿いの土手でも歩いてみようか。少し気分も変わるかもしれないと思い、左に舵を切った。少ない機会しかない中でもお気に入りの場所だけは見つけていた。最近は特に疲労感が足を引っ張り家を出る気にもなれなかったため、初夏に行ったきりだった気がしていた。夏特有の空気に包まれて、緑の匂いと川の流れる音、遠くで騒ぐ

          誰とも交わらず今日を過ごした。孤独が肌を撫でる感触が心地好い。誰も私が嫌がる…

          誰とも交わらず今日を過ごした。孤独が肌を撫でる感触が心地好い。誰も私が嫌がることなんてしない。 みんなが私に優しかった。 君は私が寝ている間ずっと優しく抱きしめてくれていた。あなたは私が眠るまでそっと手を握りながらお話してくれた。そっちの君はぼろ雑巾みたいになりながら私の気が済むまで殴らせてくれたし、こっちの君は溢れ出る涙を理由も訊かずに拭いてくれた。 もう誰も触れないことを願う。この狭い砂時計の中で、都合の良い幸せ達に包まれたまま砂の渦に呑まれてしまいたい。

          誰とも交わらず今日を過ごした。孤独が肌を撫でる感触が心地好い。誰も私が嫌がる…

          「鼠径部にほくろがあることまで知っている人間が、私でない人間の影響で私の知らない生き物になっているのを目の当たりにして頭がおかしくなりそうなほど苛苛した。吐くほど気持ち悪い。あの子も私も。」

          「鼠径部にほくろがあることまで知っている人間が、私でない人間の影響で私の知らない生き物になっているのを目の当たりにして頭がおかしくなりそうなほど苛苛した。吐くほど気持ち悪い。あの子も私も。」

          「お母様。私蛹になりたいわ。模様も形も色も全部私が決めることができるのでしょう?それまで連れ添った自分をどろどろに溶かして粘土をこねるみたく全部自分の好きに作りかえてよいのでしょう?幼体の時にひどくおそろしい世界を見たのなら、そのままおへやから出てこなくったってよいのでしょう?」

          「お母様。私蛹になりたいわ。模様も形も色も全部私が決めることができるのでしょう?それまで連れ添った自分をどろどろに溶かして粘土をこねるみたく全部自分の好きに作りかえてよいのでしょう?幼体の時にひどくおそろしい世界を見たのなら、そのままおへやから出てこなくったってよいのでしょう?」

          七月二日

          飛行機の音がして反射的に見上げた。 雲ひとつない空を飛行機がいささかの迷いも見せず飛んでいく。 海みたいな空。美しいと感じた。上手に言えない。でも、それでいいと思えた。 向日葵が風に揺れている。二週間前には咲いていたかな。気づいていたのに目に留まらなかった自分を少し寂しく感じた。 長い髪が風になびいて視界をさえぎる。 心地の良い風だ。やわらかい。夏のにおいもした。 すずめが二匹、電線に止まってさえずりあっていた。とても仲良しねあなたたち。つがいかな。 忘れないでお

          七月二日

          六月十四日

          早朝。 指先からくゆる煙をひたすらに眺めていた。 抑揚のない空。 なにかの合図のように、等間隔で肌に触れる水滴。 いやに静かで、私に都合の良く余計なものたちを排除したようなそんな。 たまに思い出させるように、電車の音が遠くで聞こえた。

          六月十四日

          自画像

          「っ……。ぅ……………」 女の目がより一層大きく見開いた。限界まで開かれた目は、切れ長で温度を感じない普段の彼女のそれとはまるで別人のようで、眼球は今にも飛び出しそうだった。血の稲妻が眼球を侵食し、徐々に端から赤くなっていく。眼球全てが真赤に染まり切ると、死ぬのか。 (阿……ぁ…ア…………) 声はきこえない。そう言っているように見えた。本能か何か、呼吸を妨害する腕を引き剥がそうと先程から女の手が僕の手首に絡みつき、思い切り爪を立てている。馬乗りで床に押さえつけるように首を絞め

          九月六日

          世界が自然形成されることはない。世界は自身で創るものだ。 世界に自分を喰わせて。外界に呑まれてはいけない。拒絶するの。壊すの。 貴方の意志で創造して。想像に奥行きを。絵の具を垂らして色が踊る。世界が誑した自分は見目好い。 貴方は傀儡。貴方は貴方の傀儡。踊って。傍若無人に。野放図に。卑陋に下卑た笑みを浮かべながら。華麗に嫋やかな歩武。踊ることを止めてしまえば、貴方はケースに綺麗に仕舞われて、お利口さんなお人形さん。 だから、踊って。壊れる迄。壊れてまた造って。 やがて喰われ

          九月六日

          向日葵が赤い

          「お姉ちゃんよわ〜!」 弟がケタケタ笑いながら言った。 ゲーム用の小さな画面には左側に赤い文字でwin、右側に青い文字でloseと書いてあった。 「途中ずるしてたからお姉ちゃんは負けてないよ」 と、後ろから幼い女の子の声が聞こえた。 妹はニコニコしながらベッドから足を投げ出し私達を見ていた。 とても天気の良い日だった。二階の窓からは雲一つない青空が広がり、心地の好い風が吹き込んでいる。吹き込んだ風は、図鑑やビーズアート、まだ手が付けられていないであろうテキストブックたちが乱

          向日葵が赤い

          八月十日

          あまりの空腹に耐えきれず、太陽が皮膚を焦がす殻の外へと身を投じました。 水分を多く含んだ空気。空気中で熱エネルギーによって温度を上げるそれは、私の容体に必要以上の接触を求めているようでした。隙をみせれば私に入り込み、自我を冒す機会を伺っているようでした。 際限なく頭上に広がる青と陰湿にまとわりつく目には見えない彼ら。この国の夏を感じながら、日傘をさしてメランコリーな私が歩きました。 帰り道。 蝉が鳴いている。人とすれ違った。私の視界は傘に護られている。影とアスファルト

          八月十日

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          ふゆこは小学一年生。4月2日が誕生日なので、同級生の誰よりも早くちょっぴり大人に近づきます。 そんなふゆこには悩みがあります。最近お母さんと上手くいっていません。上手くいっていないということは、お母さんと仲が悪いということではないのですが、たまに喧嘩をしてしまいます。たまに喧嘩をしてしまうことが、今のふゆこの悩みです。 お父さんとは仲良しです。お父さんはお母さんとふゆこのためにお仕事を頑張ってくれています。ふゆこが寝ている朝早くにお家を出て、ふゆこが夜お風呂に入っている時間に

          - 怜 - 天井。 目が覚めた。寝ようと試みた覚えはなかったけれど、最近読んでいた小説を手にしている様子から考えると、本を読みながらいつの間にか寝てしまっていたようだ。指が最後のページに挟んである。意識を失くす直前の記憶を辿ると、女の、『私たちは生きていさえすればいいのよ』という最後の一文のみ、海馬で鮮やかに存在感を示していた。 ベッドからゆっくりと体を起こす。いくつかスペースが空いている本棚の隣で、水槽がコポコポと水泡を弾き、小気味よいテンポで音を立てている。その中で