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「っ……。ぅ……………」
女の目がより一層大きく見開いた。限界まで開かれた目は、切れ長で温度を感じない普段の彼女のそれとはまるで別人のようで、眼球は今にも飛び出しそうだった。血の稲妻が眼球を侵食し、徐々に端から赤くなっていく。眼球全てが真赤に染まり切ると、死ぬのか。
(阿……ぁ…ア…………)
声はきこえない。そう言っているように見えた。本能か何か、呼吸を妨害する腕を引き剥がそうと先程から女の手が僕の手首に絡みつき、思い切り爪を立てている。馬乗りで床に押さえつけるように首を絞めていた僕は、痛みからか更に両五指に力を込める。既に開き切っていた瞳孔は、瞳の中で苦しそうに目蓋まぶたの上へと消えていく。丁寧に織られた上質な絹ような白い肌が濁って土色になった。女の口角から泡が出始め、急に怖くなって細い首を力一杯握った手をゆるめた。

「げほっげほっ」

目的を失い呆然と脱力した力ないからだを女が全力で突き飛ばし、躰は後方へと尻もちを付いた。
四つん這いで咳込み、涙、涎、汗でぐちゃぐちゃになった苦患くげんな表情を眺めながら、これが真の垂涎すいぜんの表情かとどこかで落としたはずの自分のユーモアに笑いそうになった。他人事ひとごとのようにそんなことを考えている自分自身が、この日常に染まっているようでなんだか気持ち悪く感じた。

「弛めるなよ。あと少しだった」

女が今にも僕の喉を掻き切りそうな表情でめつけた。垂涎などではかった。そうだ、この女は死を望んでいたのだと思い出し、失笑した。

「何故弛めたの」

男が判りやすく失意の色を表情に浮かべて言った。

「自殺と殺人は全く別の願望だから」

「なんだ。びびったの」

女がわらった。

「鬱血痕が残るほどの力で僕の手首に爪を立てて握るくらいにはびびったかもしれない」

正直この二人は何を考えているのかわからず、普段は反抗することに臆していたが、実際にびびった事実を悟られないための精一杯の強がりから出た言葉だった。

女の目は一瞬怒りの色に染まりかけたが、

「言うようになったね」

と、笑った。

僕達三人は、死にたがっていた。

僕はまるで家畜同然のように生きていた。この十六年と三月みつき、生きる悦びを感じたことはない。親と呼ばれる自分をこの世界に産み落とした存在が指し示す方角そのまま生きた。なにかにれない、人の形をした也損ないが僕だった。也損ないであるから、いぶせしことに感情はあった。孤独で心がくらい。嘲笑ちょうしょうおそれ、自我を飲み込む虚無に涙した。そんな僕ではあったが、親の言うまま生きたお陰か学はいささか持ち合わせており、進学校に進みほどなくしてこの二人と出会った。他の人間とは違い、彼らは僕をすんなり受け入れた。僕達を繋ぐものは「死」だった。
僕達は学期中も長期休みも死に方ついて考え、語らい、それを実践した。練炭、列車への投身、OD諸々全てが未遂に終わり、出会ってから半月が経とうとしている今、二週間程前に男が発見した廃屋で、絞殺という最もシンプルな方法を試していた。
男は気違いそのもの、殺しをいとわなかったが、僕と女が嫌がったためにそれを避ける方法を選んでいた。しかし、やはり人目につくやり方では邪魔が入り今日を迎えていた。

「なぜ、二人は死にたいんだ」

これは前にも話した。今更、という表情で二人は顔を見合わせ、

「選ぶ自由があるから」

女が先に口を開いた。

「生きる自由も選べる」

と、僕が言うと

「お前、死にたくないの」

と、女は返した。僕は口をつぐんだ。

「産まれる場所も、時代も、産んでくれる親も選べない。始まりに一つの決定権も与えられないのなら、終わりくらい自分で選びたいじゃない。
女が夫を捨てて盛った末に産まれた、いやしさにまみれたけがれたキメラ。綺麗なのは顔だけ。死にたいと考えることの何が奇怪おかしい」

動機に耳を傾けていたはずが、自身の容姿を綺麗と何の曇りもなく言える彼女の顔を見て羨ましく思った。その容姿があれば世間の大方のしあわせは享受できるだろうに。

「その容姿と知性があれば欲しいものは大方手に入るだろうになぜ死にこだわるんだ?生きる選択肢をその若さで捨てる必要はないと思うのだけど」

「本気で死にたいと言っている人間に生きろなんて、生きたいと思っている人間に死ねと言っているようなものだと思わない?」

黙って聴いていた男が言った。僕はまた黙った。

「私の持ち物はあなたにとっては価値あるものなのかもしれないけれど、私はそれらになにも感じないの。この世界に存在する万物、価値のあるものなど存在しないと思っている。めいめいなにかに価値を見出しているだけ。絶対は自分なのよ」

価値と認めてもらえるなにかが欲しいと思っている僕が価値と認めているものに対して、それをごみ同然かのように話す彼女に、かける言葉は思いつかなかった。
今度は男に問うた。男がゆっくり口を開いた。

「死んでみたいから」
「死の先は地獄。また、死の先は輪廻りんね。また、死の先は無。世界に存在する死後のシナリオは文化の数だけある中で、誰一人真理を知らない。それを知りたいと思うことの何が奇怪しい?」



結局、その場では誰一人死ぬことなく解散した。今夜、それぞれの部屋で十二時に首を吊る約束を交わして。
僕は十二時を回っても首を吊る覚悟を持てなかった。僕以外の住人が寝静まり、物音一つ聞こえない静閑せいかんな自室で、首に触れたロープを両手で握りしめ、朝を迎えた。
いつもの様に仕度をし、学校に向かった。変わり映えしないはずのSHRで、クラスメイト二人の自殺を知った。

また僕は独りになった。

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