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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2024年1月の記事一覧

「俺より先に」という宣言について。

「俺より先に」という宣言について。

先週の日曜日、名古屋国際会議場センチュリーホールにて
UNICORNのライブ『2023-2024ツアー「クロスロード」』
を観てまいりましたことを昨日のブログでは申しまして、
今回もまたライブの感想をしるしたくて、
この下よりまた、セットリスト及び
ライブの演出のねたばれ込みで申しあげます。。。

昨年リリースの新アルバム『クロスロード』では、
過去作のオマージュ曲が収録されていたり、また、
アル

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2023-2024ツアー「クロスロード」

2023-2024ツアー「クロスロード」

前回noteで申しあげました、このまえの日曜日には
名古屋市へとゆきましてまずは名古屋市美術館にて
『ガウディとサグラダ・ファミリア展』鑑賞後はね、
昼食を取り、地下鉄名城線に乗り「西高蔵駅」下車、
名古屋国際会議場センチュリーホールにて、
UNICORNのライブ観ました〜。

ぼくは奥田民生さんの音楽が大好きなのですが、
民生さんの在籍するUNICORN及び
ソロ等のご活動を含めてコロナ下以後、

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自然の形と地球の不思議さ。

自然の形と地球の不思議さ。

昨日は、昨年の夏以来でね、
名古屋市へと行ってまいりました。

今回はふたつ訪れる場所があって、まずは
昨年開催『マリー・ローランサンとモード展』ぶりの
名古屋市美術館にて、
『ガウディとサグラダ・ファミリア展』鑑賞しました。

昨年12月、豊田市美術館にて
『フランク・ロイド・ライト  世界を結ぶ建築』展を
鑑賞したときのブログでも申しあげましたが、
ぼくは大学では工学部建築学科に在籍していて、

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「好き」だけど記さないこと、などなど。

「好き」だけど記さないこと、などなど。

ぼくのnoteの自己紹介欄では、
「好きなことや考えたことや興味のあることを、
 じぶんのノートへ記すみたいにnoteを書いています。」
と記しているのだけれども、つまり、
このぼくのブログでは、ぼくの
「好きなこと・考えたこと・興味のあること」
を日々記していて、それ以外のことは
たぶんほとんど記していないと思う。
つまりはさ、
「好きじゃあないこと」
「考えていないこと」
「興味のないこと」

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じぶんへの批判はなされないのではないか?

じぶんへの批判はなされないのではないか?

最近のブログでは、幾度かにかけて
「批判」ということについて書いているのですが。
昨日にはね、「批判」のコミュニケーションとは、
上の立場の人から下の立場の人へと行われる、
つまり、同等の立場の人同士の場合では
「批判」は許されない、
という仮説を考えながらしるしたけれども。
仮にね、この仮説より考えてみるとすれば、
結局のところ、否定的な意味合いもある「批判」って、
たとえその意見がまっとうだっ

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許されない批判と信頼と尊敬のこと。

許されない批判と信頼と尊敬のこと。

このごろのブログでは「批判」について
考えていることをしるしているのですが、
昨日はね、「批判」とは
「否定」的な意味合いもあったとしても、ただ
「否定」をしているのではなく、そこには
「批評」の目のようなものがあるのではないか?
みたいなことを申しながら、でも、やっぱり、
「批判」されるのはこわいし、なおかつ、
「批判」のコミュニケーションも、ある意味では
とっても大切なことなのだとしても、でも

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困難な批判のコミュニケーション。

困難な批判のコミュニケーション。

前回noteでは「批判」と「否定」について、
前者の「批判」とは、よく読んだり
よく見たりよく聞いたりすることによって
その対象についてよく考えること、
後者の「否定」とは、
その物事を認めないこと、
というのを申したのですが、とは言ってみても
「批判」には、やっぱり、どうしても
「否定」的な要素があるとも思う。

このことで思い出すのはね、ぼくは以前
専門学校でグラフィックデザインを学んでいたで

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「批判」と「否定」のちがいについて。(もしくは、「批評」とは何か?)

「批判」と「否定」のちがいについて。(もしくは、「批評」とは何か?)

昨日のブログでは、なにかのことを
複数人で話し合うときには、場合によっては
批判することも大切だとぼくは思っている、
というのを申しあげました。でもね、やっぱり、
そう言うぼく自身だっても、
批判されるのはつらいし、かつ、こわいから。

「批判」は大切なのだとしても、
「否定」はいけない、というのは
よく言われていることだと思うし、
ぼくもそう思っている。
つまり、たとえば、ある考えを
より良くす

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「批判」は必要か否か?

「批判」は必要か否か?

複数人で何かを話し合うときには、他人の意見に対して
「批判」をすることは必要か否か? と思うとしたら、
ぼくの素人考えとしては、ある場面によっては
批判することも大切なのではないかなあと思う。

でも、たとえば、集団発想法としての
「ブレインストーミング(ブレスト)」では、
誰かの話した考えを批判しない、
という原則もあるのだし、それはつまり
みんなでたくさんの発想を出そうとするときは、
批判され

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とてもむつかしい問題と最高のお手本。

とてもむつかしい問題と最高のお手本。

ぼくはパートタイマーで、市内の学習塾にて
小中学生さんを教える塾講師として勤めておりまして。
先日、中学三年生の「公民」でね、
塾のテキストの問題を解いている生徒さんが
「内閣」及び「国会」の役割について悩んでおられた。

その問題について、たとえば、
テキストとはすこし変えて申しあげますと、、

「内閣」の仕事を、次のア〜キよりすべて選びなさい。
 ア 条約の承認
 イ 予算の作成
 ウ 法律の

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ある批判と国権の最高機関について。

ある批判と国権の最高機関について。

このたびの能登半島の地域での地震ののち、
某政党野党の国会議員氏が被災地を訪れて、
被災者の方々が食べるための炊き出しのカレーを食べた、
ということについて批判がなされているけれども、
でも、ぼくとしてはその批判というのがよくわからない。

カレーを食べたことが問題ではない、
被災地を訪れたことが問題である、
とも言われているとぞんじますが、
つまり、誰しもが被災地を訪れようとすれば
被災地へ向か

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線路はどこまでもつづくとしても。

線路はどこまでもつづくとしても。

行こう、と思えば
どこへでも行ける。
それこそが、つまり、
「自由」である!
とも言えるやもしらない。

とは言えども、
行こう、と思わなければ
行かないのだろうし、もしくは、そこへと
行くためのお金や時間が無ければ
行けないし、かつ、ご縁が無ければ
行くこともむつかしいし、はたまた
行くための計画を立てるのも大変なのだし、
行ったら行ったで疲れてもしまうんだから。

線路も、道路も、
海路も、空

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陸地と海岸の変容と「今切」の復興。

陸地と海岸の変容と「今切」の復興。

前回noteでは日本でこれまで起きた
大震災及び大地震についてを思いながら、そして
本年1月1日に発生しました「能登半島地震」に関して、
今、ぼく自身が思うことをしるしておりました。
テレビや新聞やインターネット等の情報のみ、しかも、
被災についてたくさんのことは存じておりませんが、
前回でも申しあげましたが、その地域一帯で
大規模な被災を受ける、とは、
もう、まさに、このたびの大地震とは
「大震

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祈りの日。(「大震災」とは何か?)

祈りの日。(「大震災」とは何か?)

「大震災」と呼ばれる日本の災害は、
大正12年(1923年)9月1日「関東大震災」、
平成7年(1995年)1月17日「阪神・淡路大震災」、
平成23年(2011年)3月11日「東日本大震災」、また、
平成16年(2004年)10月23日に発生しました
「新潟県中越地震」による災害について、新潟県は
「新潟県中越大震災」と呼称しているとのことですので、
つまり、日本ではこれまで四度
「大震災」とさ

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