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うつ、適応障害で休職して5か月目に入りました。Hayateです。

相変わらず服薬での治療を行いながら、薬の量を減らすと反動があったり、反動を抑えるために増やすと別の反動があったり、みたいなことを繰り返しながらどうにか毎日を生きています。

それでも薬の量は当初の半分以下になってきたし、まぁ、良かったのかなと思います。

これをゼロにしていくために何が必要か、というと、もうやれることはそんなに多くないのではないかなぁと思っています。


変えられるものと、変えられないもの。

人間の心に影響を与えるものは大きく3つのものに分類できます。それは

①感情

②思考

③行動

の3つ。

このうち完全にコントロールできるのは、実は行動だけです。(本当は、行動すらコントロールできていないのですが、それは割愛。)

多くの人は「思考」も、場合によっては「感情」すらコントロールできると思っているんじゃないでしょうか?

僕は思っていました笑

しかし、実際には「忘れたい記憶に限っていつまでも忘れられない」「自分が悪いと分かっているのに怒りがおさまらない」などのように、思考も、感情もコントロールできていません。

そもそもヨガ的なインド思想に基づけば、行動も含め、これら3つを統制しようとすること自体が間違っているわけです。


さて、僕の心に影響を与えられるものはこのたった3つしかありません。

究極的に言えば何か変えられる可能性のあるものは、このたった3つしかない、ということです。

しかも、そのうち、「感情」を変えることは非常に困難です。

嬉しい気持ちに変えよう、と思って変化を起こすことは並大抵ではありません。落ち込む気持ちを抑えられないから、心の病気になってしまうのですから。

行動を変えることは、おそらく出来るはずです。

習慣をつくることは、やや難しいことですが、腕を振り上げて降ろすことが出来るように、行動を変えることは、少しずつでも取り組めるはずです。

雨の日にジョギングに出かけることは非常に困難なように、感情とセットになるものは変化を起こしにくいですが、

心に近く、かつ単純な動作である「呼吸」は変えることが可能でしょう。

最後に、思考を変えることは、もしかしたら、出来るかもしれません。

人間の思考は顕在意識と潜在意識(あるいは有意識と無意識)に分類できます。

潜在意識(いわば、眠っている時の脳の動き)はコントロールできませんが、

顕在意識の目覚めている時の思考は、少しばかりコントロールが出来ます。

実は目覚めている時も無意識の影響を少なからず受けていますので、完全なコントロールは出来ません。

それでも、少しばかりのコントロールを繰り返していけば、クセを治すことが出来るはずです。


認知のゆがみを認識して、治していく。

人間の脳は、すぐに楽をしようとする傾向があります。

自分の母親の顔をまじまじと見てみると、「あれ、こんな老けてたっけ?」と思うことはありませんか?

これは脳が楽をして、顔を正確に認識しないようにさせています。

自分の記憶の中の母の顔を自分に見せることで、脳の省力化を図っているわけです。(なお、この現象は心理的盲点「スコトーマ」と呼ばれます)


さて、ここからは僕の持論も入ってきますが、

思考にはその人がもつ「クセ」があります。

こういう時は、こう考えよう、というクセです。いわゆるネガティブ思考やポジティブ思考、はそれぞれその人のクセと言えるでしょう。

この思考のクセは習慣化されたパターンを繰り返そうと、脳が楽をしているのではないか、と考えています。

脳はパターンを繰り返すことは省略させることが得意で、思考もパターンを組んでいるのではないか、ということです。

ちょっと事例をあげてみます。僕が良く考えてしまうことですが(笑)

失敗した ⇒ 自分はダメな人間だ

のような思考は飛躍しています。本来は失敗がダメな人間かどうかは直結していません。

しかし、何度も失敗を繰り返し、周囲の人から叱責されるという経験を繰り返されると「自分はダメな人間なんだ」と考えるようになり、その思考が習慣化してしまうと、失敗という行動パターンと、ダメな人間であるという思考が直結してしまうのです。

心の病気に陥る人は、このように習慣化された思考に問題点が潜んでいる場合があります。

その問題点を別の言い方では「認知のゆがみ」と言います。

この認知のゆがみを時間をかけて矯正してあげることで、元々のその人本来の素直で前向きな思考を取り戻すことが可能です。

まずは認知のゆがみが発生している、という事実を認識すること、そしてそれを問題点として理解することが大切です。そこまでできたら、解決したも同然と言えるでしょう。

問題は、気付くことが最も難しく、気付いた時点でほとんど解決しているものです。


幸せを拾いながら生きる。


認知のゆがみを矯正していくためには、思考だけでなく、行動の力を借りていく方が良いといわれています。

つまり、「言葉にする」ということです。

言葉にするという一つの行動で、思考を言語化する、言葉として発声する、さらに耳から音として認識する、という3つの効果が得られます。

なので、ネガティブな言葉が多い僕はポジティブな要素を見つけては、言葉にする、ということを行っています。

ネガティブな言葉を抑えられるなら抑えたほうが良いのですが、無理に抑える必要はないと思っています。

また、言葉にするにあたり重要なことがあります。

それは「嘘をつかない」ということです。

本当は嬉しくないのに「嬉しいなぁ」とか、悲しい気持ちで「幸せだな」と自分の感情や思考を誤魔化してしまうと、それは逆効果。心に負担を与えていきます。

ネガティブな言葉を無理に抑えないのも、似たようなところで、誤魔化すとその罪悪感から、さらに無意識に自分を責めてしまうようにさえ思います。

素直な思考で、素直に言葉にするのですが、ポジティブな要素を、これまでよりも大げさに、というくらいから始めてみるのがいいのではないかとおもっています。

それは、幸せを拾い集める作業に似ている、と思います。

幸せや、ポジティブな要素は、実はその辺に転がっています。

日常の色んなところに幸せの要素は眠っていて、まだ自分がそれに気付けていないだけ、ということが往々にしてあります。

その四つ葉のクローバーのようなほっこりした幸せを、無理に探す必要はない、と僕は思っています。

見つけたときに、自分の想像しているサイズよりも、もう一回りだけ大きく、喜んでみるのです。

そうやって喜びを表していると、今まで気づけなかった幸せを拾い始めている自分に気が付くかもしれません。

大切なのは、幸せは転がっている、ということに気付くこと。
そして、いつもより少し、大げさに喜んでみるということ。
それを言葉にしてみるということ。

最後に、出来れば、その感謝の気持ちを言葉にして、相手に伝えてみることができれば最高かもしれません。


そうして、幸せを拾いながら生きることが出来れば、気付いた時には認知のゆがみは、きれいに治っているのかも、しれません。


5月吉日 Hayate

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