林正樹

とりあえず西洋美術のエッセイ紹介をするのに使ってみます。そのほか、ブルース、中国料理、…

林正樹

とりあえず西洋美術のエッセイ紹介をするのに使ってみます。そのほか、ブルース、中国料理、真空管ギターアンプ、雑文、文学哲学、など分野は様々なので、おいおいNoteの様子をみて書こうと思います。

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  • 【連載】西洋美術雑感

    西洋美術から作品を取り上げてエッセイ評論を書いています。13世紀の前期ルネサンスのジョットーから始まって、印象派、そして現代美術まで、気ままに選んでお届けします。

最近の記事

西洋美術雑感 43:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「刈り取る人のいる麦畑」

さて、この西洋絵画雑感もこの印象派で最後にしよう。この後の美術はさまざまな流派に分かれ、いわゆる現代美術の時代へ入って行くが、それはまたの機会ということにしよう。ここでは、印象派の後期の作品として、ふたたびヴィンセント・ヴァン・ゴッホの画布を出して締めようと思う。 実はこの「刈り取る人のいる麦畑」という、ゴッホが南仏のサン・レミの精神療養所で描いた作品には、個人的な思い入れがある。僕がこんな美術批評的な文をなぜ書いているのかという理由に、もっとも深く関係する画布で、僕はこ

    • 西洋美術雑感 42:ポール・ゴーギャン「おまえはなぜ怒っているのか?」

      ゴーギャンは後期印象派のフランスの画家だが、後年、南半球のポリネシアのタヒチ島へ渡って、そのプリミティブな風景に現地の女が登場する絵を多く描き、それが特に有名である。僕は、それらは、純粋に視覚的な意味で好きだった。タヒチへ渡って以来の彼の画布の色彩はとても純度が高く、それを大まかな地図のように組み合わせて塗り、加えて、さまざまな言葉で意味づけされた象徴物の不可解な組み合わせの、その詩的な様子も好きだった。 実際、ゴーギャンという人間は、才能に満ちあふれた知的な人で、絵の才能

      • 西洋美術雑感 41:クロード・モネ「しだれ柳」

        モネの絵で自分がいちばん好きなのは、中期から晩年にかけての、あのひたすら光の効果のみを追求して、他の雑音がほとんど入らない一連の画布である。積みわら、ルーアン大聖堂、睡蓮、日本の橋、といった平凡な、意味のほとんど入る余地のない主題を、ひたすら光の効果をさまざまに変えながら描く、あの純粋に視覚的な追求はすばらしく、頭を空っぽにして見入ってしまう。あるいは、以上のモネはいささか行き過ぎなところもあり、まだ人間とかが現れる風景の光を描いた「散歩、日傘をさす女」のような絵の方が安心し

        • 西洋美術雑感 40:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「オーヴェールの教会」

          ゴッホは僕にとって特別な画家である。かつて上野のゴッホ展で「刈り取る人のいる麦畑」という絵を見て、それによって僕は西洋美術に開眼したからだ。したがって彼は僕の好きな画家というだけではなく、いわゆる人生の恩人であった。僕に、膨大な西洋美術のめくるめく魅力を教えてくれた人、ということになるからである。そんな大切な存在であり、その後自分は、ゴッホに関するエッセイ評論まで書き上げ、そこに、彼の芸術について自分が考えたことをすべて書いた。 その本に書いたことの骨子は、ゴッホという人

        西洋美術雑感 43:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「刈り取る人のいる麦畑」

        • 西洋美術雑感 42:ポール・ゴーギャン「おまえはなぜ怒っているのか?」

        • 西洋美術雑感 41:クロード・モネ「しだれ柳」

        • 西洋美術雑感 40:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「オーヴェールの教会」

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        • 【連載】西洋美術雑感
          43本

        記事

          西洋美術雑感 39:ポール・セザンヌ「リンゴの籠のある静物」

          再びセザンヌを取り上げよう。なぜセザンヌが多いかというと、それはやはり彼が、その後の現代美術に多大な影響を与えた、ということが大きいからだ。彼自身は遅咲きな人で、中央のパリの画壇では彼の絵はなかなか認められなかった。後年、田舎にこもってひたすら描き続けたが、その画布は、まず先に、他の画家たちを説得して行ったのだが、最終的に、その影響力は絶大なものになった。 彼は、その現代的な絵画感覚ゆえに、現代美術の元祖みたいに解説されることが多い。そのせいで、さぞかし先進的な感覚に富ん

          西洋美術雑感 39:ポール・セザンヌ「リンゴの籠のある静物」

          西洋美術雑感 38:エドガー・ドガ「アブサン(カフェにて)」

          ドガの絵を出すのであれば、まずは、有名なバレリーナの絵や、水浴する女や、競馬の動く馬を描いた絵など、そういうものを上げるべきなのはわかっているが、ここでは彼が中期に描いたこのパリの場末を描いた絵にした。ここで白状するが、僕はドガの絵が実はそれほど好きではない。ドガのようなすばらしい芸術家をつかまえてそれはないのだが、自分に引っかかるものがあまりないのである。 先にあげた彼の有名な画布の数々は、いずれも「動き」をとらえていて、当時はすでにカメラが普及し始めた折でもあり、彼が

          西洋美術雑感 38:エドガー・ドガ「アブサン(カフェにて)」

          西洋美術雑感 37:オーギュスト・ルノワール「ピアノを弾く少女たち」

          さて、だいぶややこしい話が続いたので、ちょっと息抜き。印象派を紹介しているのに、このルノワールを出さないのは、ルネサンスを紹介してるのにモナリザを出さないようなものかもしれず、でも、モナリザを出したときも雑談だったっけ、ということで、ここでも雑談である。 ルノワールの絵は、それは自分も見事だと思うけど、僕のガラじゃないといった感じだろうか。 ルノワールの絵をネットで調べてみると、この人、女ばっかり描いているね。しかも、彼に特有な顔つきで描かれていて、肖像画であってもだ

          西洋美術雑感 37:オーギュスト・ルノワール「ピアノを弾く少女たち」

          西洋美術雑感 36:ポール・セザンヌ「水浴」

          これはセザンヌの晩年に描かれた超有名な絵「水浴」である。実は、正直、この絵は取り上げたくなかった。というのは自分は、この絵が好きじゃないからなのだが、前回のアングルとの比較から、いちばん極左な(あるいは極右?)これを出すのがよかろうと思って、出している。 単に好きじゃないなら無視すればいいのだが、この場合、そうもいかない。セザンヌの絵については、僕は、前に出したサント・ヴィクトワール山の風景画や、まだ出していないが彼の林檎を描いた静物画など、大好きなのである。その同じ画家

          西洋美術雑感 36:ポール・セザンヌ「水浴」

          西洋美術雑感 35:アングル「トルコ風呂」

          これはアングルの有名な絵「トルコ風呂」である。もちろん印象派絵画ではなく、印象派画家たちが対抗した当時のアカデミズム画壇の頂点に君臨する画家アングルの最晩年の作である。これが描かれたとき、ちょうどエドゥアール・マネの「草上の昼食」が発表されて物議をかもしている。つまりこれは、アカデミズムと新進の画家たちの対立が劇化しはじめた、その時期に当たっているのである。 しかし、アングルはそんな対立などものともせず、古典絵画手法で女の裸体をこれでもかと描きまくっている。これを描いたと

          西洋美術雑感 35:アングル「トルコ風呂」

          西洋美術雑感 34:ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」

          この絵は僕が初めてセザンヌの絵の美しさに正しく気付いたものだったような覚えがある。それまで、彼の絵を画集でもたくさん見て、その後、パリのオルセー美術館をはじめ、実物をたくさん見たはずだけど、どういう見方をしていいかよく分からなかったらしい。 この絵はセザンヌがパリを離れて郊外へほとんど引き籠り、黙々と製作を続けていたころの作品で、このサント・ヴィクトワール山を彼は、晩年に至るまでたくさん描いている。これはその一つで、彼の最晩年の作に相当し、実物は東京のアーティゾン美術館に

          西洋美術雑感 34:ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」

          西洋美術雑感 33:エドゥアール・マネ「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」

          この絵画エッセイも印象派に突入したし、ちょっと気楽に書いてみようと思う。 このエドゥアール・マネだが、彼は印象派のちょっと前の人、という気がしていて、でも、その後の印象派の画家たちのブレイン的存在、というイメージがある。というのは、まず、彼の有名なモノクロの肖像写真が、これがまたやけに頭が良さそうな顔なのである。大きな髭を蓄えて、頭はなんかいい感じに禿げてて、なんとなく小柄な感じがして、まるで、シリコンバレーで成功した昔のスタートアップ会社の創業者みたいな風格なのである。

          西洋美術雑感 33:エドゥアール・マネ「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」

          西洋美術雑感 32:クロード・モネ「印象・日の出」

          これより以降は印象派絵画の時代になる。 印象派はだいぶ昔に日本で一世を風靡した感があって、おそらく今でも西洋絵画でもっとも人気があるのが印象派であろう。自然を描いた風景画が主で、それを明るい色をふんだんに使って、主にその光に注目して描いた。これはほぼ純粋に視覚的な特徴なので、見間違うこともほとんどない。それまでの西洋絵画は、ルネサンス、ゴシック、マニエリスム、バロック、ロココ、などなどいろいろな美術史上の区分があって、それを見分けるのは、画布を知っていれば別だが、初見で見分

          西洋美術雑感 32:クロード・モネ「印象・日の出」

          西洋美術雑感 31:アングル「浴女」

          これはアングルの有名な「浴女」という絵だが、この裸の後ろ姿のインパクトはたしかにものすごい。ルーブルで見たが、なんといったらよいのやら、その完成度の高さは尋常ではなく、呆れ果てるレベルである。この裸体の、顔もなければ、胸もなければ、お尻もない、この肌のかたまりの描写は、産まれたてのツルツルのなにかの虫のように見えた。 肉付きのよい、ちょっと盛りを過ぎた、しかしまだ十分若い女の後ろ姿、と言えないこともないけれど、たとえば、それまでやたらと女の裸体ばっかり描いていた西洋絵画の

          西洋美術雑感 31:アングル「浴女」

          西洋美術雑感 30:ミレー「晩鐘」

          印象派の絵画へ移る前に、バルビゾン派の絵画を紹介しておこう。中でもこのミレーは日本でもなじみが深く、ほとんどの人が知っているであろう。バルビゾンはパリから少し下ったところにある小さな田舎町だが、ここにかつて幾人かの画家が集まり、その広大で静謐な土地の風景画を多く描いたのである。そこでは主題は風景の方で、かつての西洋絵画のような宗教でも神話でも歴史でもない。 ここにあげた絵はミレーで特に有名な作品のひとつの「晩鐘」である。絵の中の農民二人の姿を見て、これは人間が主題ではない

          西洋美術雑感 30:ミレー「晩鐘」

          西洋美術雑感 29:クロード・ロラン「日没の港」

          長い西洋古典絵画の歴史において、ただ自然だけを描いた絵というのはだいぶ後になって現れた。それはたとえば、フランスのミレーやコローといったバルビゾン派の画家たちが描いた、情緒に溢れる広大な土地の風景画あたりまで待たないといけない。それまでの絵画では、そこには必ず、神話の主題があり、宗教的な主題があり、なんらかの人間劇があり、物語があった。そして、自然の風景はその物語の舞台として描かれたのであって、その物語となにかを共感して共有するがごとく、物語の注釈としての役目を果たしていたの

          西洋美術雑感 29:クロード・ロラン「日没の港」

          西洋美術雑感 28:ピーテル・ブリューゲル「雪中の狩人」

          北方ルネサンスの画家の紹介ではけっこうグロテスクなものを多く出してしまったが、この、農民画を多く残したブリューゲルを紹介しないと片手落ちだろう。 ボッシュの影響を受けたらしいと伝えられるブリューゲルは、ボッシュの絵の中の怪物や奇妙な振る舞いの人間たちに代えて、農民をはじめとする庶民を同じような感じでたくさん登場させ、画面を埋め尽くした。その画風はたしかにボッシュの絵に似通っている。 ブリューゲルがなぜここまで農民の生活を事細かに描いたかは分からない。いま現代のわれわれ

          西洋美術雑感 28:ピーテル・ブリューゲル「雪中の狩人」