見出し画像

西洋美術雑感 33:エドゥアール・マネ「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」

この絵画エッセイも印象派に突入したし、ちょっと気楽に書いてみようと思う。
 
このエドゥアール・マネだが、彼は印象派のちょっと前の人、という気がしていて、でも、その後の印象派の画家たちのブレイン的存在、というイメージがある。というのは、まず、彼の有名なモノクロの肖像写真が、これがまたやけに頭が良さそうな顔なのである。大きな髭を蓄えて、頭はなんかいい感じに禿げてて、なんとなく小柄な感じがして、まるで、シリコンバレーで成功した昔のスタートアップ会社の創業者みたいな風格なのである。
 
そんな先入イメージがあるので、ちょっと調べてみた。そうすると、やはり印象派のリーダー的な人、という扱いになっているらしい。ところが彼自身は印象派の団体とは一線を画し、もっぱらサロンでの名声を求める人だったようだ。でも、実際、印象派の画家たちからの人望は厚かったそうだ。マネの周りを見ると、モネやドガやルノワールや、その他ボードレールやプルーストやらなにやら名前が出てくる出てくる。いろんなエピソードを読むと面白いのだけど、まあ、彼ら芸術家同士で、交流する、泣き言を言う、罵る、喧嘩する、決別する、無視する、復縁する、と目まぐるしい関係を結んでいて、それって、百年以上前の、めいめいが個性の塊のようだった時代の芸術家の交流の日常だったんだねえ。なんだか、そういう率直で自由な感じがすごく羨ましくもなる。
 
マネの絵は、僕はすごく好きで、どれを取っても素晴らしいのだが、中期ぐらいに描かれたこの「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」を選んだ。なぜこれかというと、マネほど黒の美しい画家はいないと思うからだ。衣服の黒の表現のすばらしさでマネに勝る人はいないと思う。
 
そしてこの彼独特な、雑な筆触。この筆使いの偶発性を生かした絵具のなすりつけは、もちろん、ベラスケスもゴヤもレンブラントも、みな使ったのだったが、マネのそれは、そのどれとも違う。なんというか、ホントに雑なのである。先に上げた古典画家の渾身のひと筆、みたいな筆触をよく観察した後、マネの筆触と比べてみて欲しい。マネの筆触は、渾身じゃないのである。まるで、僕ら一般民が絵筆を持たされてザザッと絵具をなすりつけた、みたいな筆跡なのである。それで、まさにそのせいで、僕にはマネの絵はどれを見てもモダンに見える。僕らと同じ空気を吸っているような現代的な感覚があるのである。
 
しかしながら、このベルト・モリゾの肖像で使われている、その僕が乱暴にも「雑」と評した筆触のすごさを見て欲しい。一目瞭然である。彼は、あんな乱雑な筆触で塗っているのに、どこもかしこも、少しも間違えていない。
 
それから、この黒がなんでそんなに美しく見えるかなんだけど、背景の灰色と顔の褐色とのバランスのせいなのだよね。黒は物理的に黒だからね、それは黒以外の色と、微妙なデッサンと共にあるからこそ美しくなる。あと、ここでは黒の美しさばかり強調しちゃったけど、マネの描く明るい色の絵も素晴らしく、特に、塗られたたくさんの色の中、空色がきれいな印象がある。でも、それも、その空色の部分の他に塗った色あっての美しさなのは、黒と同じである。なんにしてもマネは素晴らしい画家である。


Édouard Manet, "Berthe Morisot with a Bouquet of Violets", 1872, Oil on canvas,  Musée d'Orsay, Paris, France

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?