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西洋美術雑感 43:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「刈り取る人のいる麦畑」

さて、この西洋絵画雑感もこの印象派で最後にしよう。この後の美術はさまざまな流派に分かれ、いわゆる現代美術の時代へ入って行くが、それはまたの機会ということにしよう。ここでは、印象派の後期の作品として、ふたたびヴィンセント・ヴァン・ゴッホの画布を出して締めようと思う。
 
実はこの「刈り取る人のいる麦畑」という、ゴッホが南仏のサン・レミの精神療養所で描いた作品には、個人的な思い入れがある。僕がこんな美術批評的な文をなぜ書いているのかという理由に、もっとも深く関係する画布で、僕はこの一枚の絵によって絵画に開眼したのだ。そういう意味でこの作品は自分にとって記念碑的な存在なのである。
 
開眼なんて、そんな大げさな、って言いたくなるところだが、これがぜんぜん大げさでないところが、驚きなのである。当時まだ自分が若かったころ、僕の西洋絵画への常軌を逸した傾倒が、このゴッホの一枚の絵から始まるのである。
 
それは1985年のこと、上野で開催されたゴッホ展へ行って、そこに来ていたゴッホの画布およそ五十点の実物を初めて見た。そのとき自分はすでに画集や書簡集でゴッホに夢中になっており、過度の期待を持って美術館へ入った。しかし、その憧れていたゴッホの絵なのに、どれを見ても完全になんにも感じなくて、感動どころか、いいとも思わなかった、という恐ろしい経験をした。自分が25歳のときのことである。
 
あまりの感動のなさに唖然として、それでもあきらめられずに会場をひたすら行ったり来たりした。それでも印象は変わらないままだったのだが、何時間も会場をうろうろしたあと、とうとう、この一枚の絵が目に留まったのである。そうしたら、催眠術にかかったように絵の前から動けなくなった。そのとき僕は、この絵の中に広がる恐ろしい静けさにようやく気が付いたのだった。こんな、死んでしまったような静寂をそれまで僕は、見たことも、聞いたことも、感じたこともなかった。
 
のちに自分はそれを
 
「色と線という画家の扱う手段の純潔」
 
と書いたが、まさにその通りだった。その純潔を一気に悟った僕は、この絵を離れたあと、それまでなんにも感じなかった五十枚におよぶ彼の絵をふたたび見ることになるのだが、それはもう、この世のものとは思えなかった。すべての画布が見たこともないような光に輝いていた。僕は、そのとき彼の絵画が一気にすべて分かったと思った。
 
この経験をして以降、彼以外の画家の絵画もすんなりと分かるようになった。これが、開眼でなくしてなんであろうか。それから自分はたっぷり十年ぐらい西洋絵画に夢中だったが、ようやくその憑き物が落ちて、それなりに落ち着いて、なんとさらに二十年が経ち、いまここでこのように西洋美術の雑文を書いているという次第である。
 
僕の人生を美術によって色とりどりにしてくれたこの一枚のゴッホの画布については、感謝の念しかない。

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