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西洋美術雑感 29:クロード・ロラン「日没の港」

長い西洋古典絵画の歴史において、ただ自然だけを描いた絵というのはだいぶ後になって現れた。それはたとえば、フランスのミレーやコローといったバルビゾン派の画家たちが描いた、情緒に溢れる広大な土地の風景画あたりまで待たないといけない。それまでの絵画では、そこには必ず、神話の主題があり、宗教的な主題があり、なんらかの人間劇があり、物語があった。そして、自然の風景はその物語の舞台として描かれたのであって、その物語となにかを共感して共有するがごとく、物語の注釈としての役目を果たしていたのである。
 
それが徐々に、自然の風景の方が主題になって、そこに登場する人間たちの方が逆にその自然の意味に注釈を加えるような形で逆転して行くことが見られるようになって行く。そして、知っての通り、それは近代の印象派の絵画となって世に明確に表れるようになる。前にも書いたように、その逆転現象で特に目立ったのは、最初はオランダの北方の絵画だったように思う。自然の中の農民を描いたブリューゲルから始まり、レンブラントが出て、そして、その後、それがフランスのバルビゾン派の自然の表現につながって行く。なぜかこれが主に北の方が中心で興ったというのも面白い。北ヨーロッパの冬の自然は過酷で、やはり人間は自然には勝てず、畏怖と共感のもとに自然を崇拝して付き合って行かないと人間側が持たない、みたいな感覚があったのだろうか、と思ってしまう。
 
そして、ここに出したのはクロード・ロラン、フランスの画家で、ちょうどレンブラントと同時期な画家である。彼はフランスの北東のロレーヌの出身だが、その大半をローマで過ごしたそうだ。当時のイタリア絵画は、それまで通り、主題は神話や宗教で、風景画が描かれることはほとんどなかったらしい。
 
クロード・ロランはそんな中で、ここに上げたような恍惚とした光に包まれる海の風景を多く描いた。たしかに手前に人々はいるが、それは、日没の海辺で一日の終わりに一息ついてその光を浴びてくつろいでいる人々の群れである。この法外に平和で平穏な風景は、その自然の見せる様相の方が、人の劇より勝って見える。そして、その後、フランスのバルビゾンで始まった自然の描写が、過酷な沈黙する大地の平穏のようだったのに比べ、さすがにそこよりだいぶ南のローマに住むロランは、同じ自然の魅力を描いても、ずっと明るい幸福感に満ちている。それは一種の人間的な楽園を思わせる光に包まれている。
 
ロシアは北方中の北方であるが、かのロシアのドストエフスキーは、その小説の中で、ドレスデンで見たクロード・ロランの絵に強い印象を受け(「アシスとガラテア」らしい)、その絵を自分の中で黄金時代と称していたそうだ。太古の人類の揺籃時代、自然と人間が分かち難く結びつき共存していたその完全な調和した時代を思わせる風景に、どうしようもなく魅せられたらしい。彼は実際の小説の主人公にもその夢を見させ、その感覚を美しい言葉で彼に描写させている。ただ、なんと、その夢を見たのは、小説「悪霊」の主人公スタブローギンで、彼はニヒリストとして破滅し、最後は自殺するのである。彼は、このクロード・ロランの美しい夢を見た直後に、自らの犯した幼女凌辱の罪が元の悪夢のような幻覚に襲われる。そして最後に彼は破滅してしまうわけで、ドストエフスキー的には、その黄金時代は、永遠に失われてしまった楽園、だったのかもしれない。
 
このクロード・ロランの恍惚とした光は、その後、イギリスのターナーに引き継がれ、そしてフランスのモネがそれを完成させる、その道筋ははっきりと見えると思う。そして印象派の画家たちが描いたのも、ロランが描いたような、光の幸福感であった。

Claude Lorrain, "Sea Port at Sunset", 1639, Oil on canvas, Musée du Louvre, Paris, France


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