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西洋美術雑感 28:ピーテル・ブリューゲル「雪中の狩人」

北方ルネサンスの画家の紹介ではけっこうグロテスクなものを多く出してしまったが、この、農民画を多く残したブリューゲルを紹介しないと片手落ちだろう。
 
ボッシュの影響を受けたらしいと伝えられるブリューゲルは、ボッシュの絵の中の怪物や奇妙な振る舞いの人間たちに代えて、農民をはじめとする庶民を同じような感じでたくさん登場させ、画面を埋め尽くした。その画風はたしかにボッシュの絵に似通っている。
 
ブリューゲルがなぜここまで農民の生活を事細かに描いたかは分からない。いま現代のわれわれは、あまりに文明と都市化が進み、逆に、自然の中で肉体労働して生きる農民に、一種の尊敬や、憧れや、共感を持って想像することも多くなったと思う。それに、もちろん現代文明は農民の生活にまで及んでいるので、農民はすでに自分たちと隔たりない人々であって、仕事や生活は違えども、共通なものも大いにあるはずである。
 
一方、ブリューゲルが事細かに執拗に描いた農民や庶民は、そういう現代風な農民に対する心理的な陰影が、おそらく少しもない。農民の持っているその、奇妙さ、愚かさ、醜さ、残忍さ、のようなものがそのままの形で描写されている。そしてもちろん、呑気さ、気楽さ、おおらかさ、明るさ、のようなものもそのままの形で出てくる。
 
ブリューゲルが農民ばかり描いたその理由を詮索するがあまり、彼自身が農民のいる村での生活を経験していたからではないか、とか、農民に対する理解と共感や愛情がそうさせたのではないか、とか、いろいろ言われる。ただ、これは僕の考えだが、それらはほとんど現代人のロマンチシズムという心の贅沢から来る見方で、ブリューゲルその人は、ボッシュがおもしろがってやたら怪物を書いたがごとく、農民や庶民を描いたのだと思う。
 
彼の絵には大量の農民や庶民が出てきて、およそあらゆることをやってのけているのだが、その恐ろしいほどのバリエーションの大量さは、貴族や、宗教家や、金持ちや、それら上層の生活には、ほとんど出てこない、まるで昆虫のように多様な姿を現すのである。彼は、それを事細かに描いたが、そこには余計な情緒のようなものは、ほとんど一切現れていない。
 
ここに上げた冬の風景は、他の絵と比べ、それでもそれほどグロテスクな農民庶民が現れているわけではない。それでもこれを出したのは、この絵がとても美しいと思うからだ。この雪の白と、空と凍った池の青の色彩の対照、そして、木々と漁師たちの黒、そして家に使われる材木の茶色のコンポジションは、群を抜いて美しい。描かれているものには、なんらの雅味もなく、むしろ過酷なのだが、色彩の美しさと、構図の美しさはたとえがたい。
 
描かれているものを見ると、三人の狩人がたくさんの犬を連れ、成果の少ない狩りから村へ帰るところである。左の看板が傾いた家は宿屋で、火をおこして、これは豚の毛を焼いているのだそうだ。眼下には真冬の村が広がり、凍った池と川では、たくさんの村人がスケートをして遊んでいる。ホッケーも見えるし、カーリングみたいなのも見える。遠くには尖った山々、黒いシルエットの枯れ木、そしてカラス。
 
特筆すべき寓意も特にない。ただただ、寒い真冬の村の、おそらくはありふれた風景を構成して見せている。ロマンも共感も愛情もなにもない、ありのまま。農民画に画家の共感のようなものが入り込んでくるには、もうちょっと時代が進むのを待たないといけない。いま現代の僕らにはそういった共感は当たり前のことだが、逆にそれゆえに、このブリューゲルの農民画のような、感傷のかけらも含まないような描写は、実は、いまの僕らの世界にはなかなか無いものだと思う。

Pieter Breugel, "monthly cycle, scene: The Hunters in the Snow (January)", 1565, Oil on oak wood, Kunsthistorisches Museum, Vienna, Austria


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