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西洋美術雑感 32:クロード・モネ「印象・日の出」

これより以降は印象派絵画の時代になる。

印象派はだいぶ昔に日本で一世を風靡した感があって、おそらく今でも西洋絵画でもっとも人気があるのが印象派であろう。自然を描いた風景画が主で、それを明るい色をふんだんに使って、主にその光に注目して描いた。これはほぼ純粋に視覚的な特徴なので、見間違うこともほとんどない。それまでの西洋絵画は、ルネサンス、ゴシック、マニエリスム、バロック、ロココ、などなどいろいろな美術史上の区分があって、それを見分けるのは、画布を知っていれば別だが、初見で見分けるのはかなり難しい。
 
むずかしいそのわけは、そこに何が描かれていて、そして、それがどういう視覚的特徴を持っているか精通していないと無理だからだ。それに対して印象派は分かりやすく、描かれた対象物にほとんど影響されず、色と光だけ見ればそれで分かってしまう。描かれた内容の、神話や、宗教的主題や、歴史的物語や、隠喩や、約束事や、そういういわゆる言葉による知識を必要とせず、純粋に画布の上の光と色を受け取って共感すればそれで何らの問題もない。絵画はここにきて、ようやく貴族など上層階級の物から、われわれ庶民のものに降りて来た、ともいえるわけだ。
 
これまで前期ルネサンスから始まって、19世紀ぐらいまでの西洋絵画について、およそ500年ぐらいに渡る期間の絵画についていろいろ書いてきた。僕の好みの絵についてのみ書いているので、だいぶ偏っているものの、だいたいのアウトラインは押さえている。そして、ここで印象派の時代になるわけだが、実はこれは時代的に言って大きな転換なのである。これは、意味はまったく違うが、規模としては、中世の形式的な宗教画からリアリズムに基づくルネサンス絵画に転換したときぐらいに大きい変化で、大変な事件だったのである。それにはいろいろな意味があるが、上で書いたように芸術がかつての特権階級から一般庶民にターゲットが移った、というのもそのひとつである。
 
このようにあまりに大きい事件だったので、そういう意味での芸術史的なことを書き出すときりがなく、書き始めると美術史の授業みたいな文になってしまう。さいわい、昨今はインターネットやYouTubeはそういう美術史的な解説の宝庫のようになっていて、そういうことを知りたければ自分でいくらでも調べ、勉強することができる。なので、僕のこの美術エッセイでは、そういう話はあまりしないことにする。
 
というわけで、自分が好きなモネの絵はむしろ晩年のものなので、そっちを出すのが順当だけれど、それは後にして、ここでは、記念すべき印象派の始まりとして、やはりこの絵を出しておこう。
 
モネ自身によって「印象」という題名がつけられたこの絵は、モネが32歳のときの作品で、実は彼の絵はこれより前の時点でサロンにもときおり入選し認められてもいた。しかし、この絵はそれまでの絵とだいぶ違っていて、かなり思い切って、その後にいうところの印象派的な描き方をしている。この絵は、反アカデミアの画家たちの最初の展覧会に掛けられ、ある評論家がこのモネの絵を味噌糞にこき下ろして、嘲笑の意味でこの展示会を印象派の展示会、と呼んで酷評して、それが元で、印象派という名称が有名になった、というのはあまりによく知られた話である。実際、モネの絵も、この絵を境にして、物を輪郭と色で描き出すことよりも、風景全体の光と視覚的雰囲気を優先して描くことが多くなって行く。
 
それにしても、この絵ではすべてを思い切ってぼんやりと描いている。くっきりした色が塗られているのは、かすんだ霧の向こうの日の出の太陽だけである。まわりの青みがかった灰色の全体の中で、くっきりと明快に朱色が塗られている。まさに印象である。自分がこの光景の中に立っていれば、かすんだ灰色の背景の雰囲気の中で、意識は赤い太陽に向くだろう。その意識の強度みたいなものをそのまま視覚的に再現している。
 
おそらくだけれど、このころ描かれた彼の他の画布と比較しても、この「印象」という絵は、極端に印象派的手法を推し進めて描いているので、ひょっとするとモネとしてもデモンストレーション的な意味もあったかもしれない。そして、案の定、これは酷評されたがゆえに名を知られることになる。当時、この絵を嘲笑にするためにわざわざ見に行った人も多かったそうだ。

ただ、名を知られる、と言っても、名が広まっただけで、これが展示された第一回印象派展自体はほとんど失敗で、その後の第二、第三の展覧会も思うように伸びず、金銭的にもだいぶ苦しんだらしい。印象派の絵画の革新性が明確に認められて、画家たちが金銭的にもあるていど安定するのは、これから十年ほど経ってからで、その間にさんざん困難な目にあっている。すなわち、この印象派という絵画のムーブメントは、当時のアカデミズムに敵対した美術界における、まさに芸術上の革命だったのである。


Claude Monet, "Impression, soleil levant", 1872, Musée Marmottan Monet, Paris


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