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目的は果たせなかったけど、みっちり濃かった日本への旅(2)

著者: 六甲もこ

新幹線で脚が…

前編からの続きです。ちょっと長めですが、もう少しだけお付き合いください。…さて、この旅の目的だった「母に会う」と言うミッションは、母の施設でコロナ発生と言う不測の事態により、あえなく頓挫してしまったわけですが、気を取り直し父母の故郷の福岡へ向かいます。

大阪から福岡へ行く方法としては、新幹線または飛行機が一般的かと思います。私が日本にいた頃は、まだLCCがなかったので、今回の福岡行きはごく自然に新幹線を選択したのですが、実際には飛行機の方がかなり安く、荷物の取り扱いも楽だと言う事がわかり、大阪への帰路はピーチ航空を使いました。

今回の日本行きは、中型のスーツケース一個に荷物をまとめたのですが、途中でその車輪の一つが割れると言うアクシデントが発生!プラスチックが経年劣化していたのでしょうね。なので、コロコロがうまくいかず、ほとんど持ち上げながら移動と言うキビシイものに。良い筋トレになりました。

新幹線って、スーツケースを上の荷物棚に上げないといけないんですよね。大型スーツケースなら特別料金を支払えば、所定の位置に置く事ができるのですが、私のスーツケースはその条件(3辺の合計が160センチ以上)に合致せず。さて、荷物を上の棚に…と思ったのですが、これがどうしてもうまくいかず、仕方なく座席の真ん前にスッポリ嵌め込み、わずかな隙間に脚を入れ込むと言う辛い体勢で2時間少々を過ごしました。ハワイだと何も言わずとも筋骨隆々の若者が手伝ってくれるはずですが、ここは日本。しかも、このご時世だし仕方ないですよね。しかし脚はしっかり鬱血してしまったのでした。

新幹線の旅の醍醐味は、車窓を眺めながらお弁当が食べられるところ。この時食べたお弁当に付いては、下記の記事をご覧ください。

博多到着、外が騒がしいと思ったら!

脚を鬱血させ、さらにスーツケースの壊れた車輪を微妙に浮かすと言うキビシイ体勢で、博多駅に踊り込んだ私。加えて雨模様という三重苦でしたが、父母の故郷で、私も8歳まで住んでいた福岡の空気を吸うやいなや気持ちがみるみる上がり、一気に元気になりました。

フルフルの明太フランス、パリパリもっちりで美味しかったです

福岡でのミッションは、父のお墓参りに加え、叔母、そして友人に会う事。「着いたよ〜」などと彼女らにLINEを送り、博多警察署近くのホテルへチェックイン。まずはお風呂にゆっくりと浸かり脚のマッサージ。その後、おやつに大好きな明太フランスなど購入して、一旦部屋に戻りました。

さて、博多駅方面にでも行こうかな…と思っていたら、突如窓の外の博多署が騒がしくなりました。駐車場からサイレンと共にパトカーがどんどん出ていきます。窓から駐車場がよく見えるのですが、たくさんの人々でただならぬ気配です。

と友人からLINEが。博多駅近くで女性が刺され、刺した男は逃走中と言うではありませんか!その時はまだ詳細がわかっておらず、通り魔の犯行かと怖くなり、外出の予定を急遽中止。窓の外、SNS、テレビのニュースを交互に見ながら、緊張の数時間を過ごしました。

後ほど速報で、被害者の女性がお亡くなりになった事を知りました。本当にお気の毒で、ご冥福をお祈りするばかりです。

なお、この事件が通り魔の犯行ではない事がわかったので、翌日のお墓参りと叔母とのお茶、友人とのディナーは続行する事に。その日は遅くまでニュースを追いかけながら過ごしました。

誰もいない墓地で父に挨拶

叔母と出会って涙、涙

翌日は墓参を終えて、叔母と会いました。待ち合わせ場所は、昨日の事件があった場所のすぐ近くのホテルです。ロビーで叔母を待っている間、すぐ近くでは刑事さんがホテルの人々に聞き込み中。光石研似の刑事さんはとても丁寧な言葉使いでした。

叔母は母の年子の妹で、母とは双子のようにそっくりです。叔母は毎月母の元を訪ねてくれています。本来なら娘の私がやらなければならない事なども、海外在住を言い訳に、叔母に任せっきりです。妹が亡くなった時も、コロナ禍のなか、叔母が真っ先に駆けつけてくれました。

優しい叔母はいつも、「私が姉に会いたいから訪ねているだけだから、気にしないでね」と言ってくれますが、叔母も高齢なので、もっと頻繁に日本を訪ねられるように、今年はうまく調整していきたいと思っています。たとえ2泊4日とかの弾丸スケジュールでも、数回は日本に帰れるように頑張らないと。

叔母は、妹が亡くなる前後のことを詳しく話してくれました。そして妹の形見として、妹が使っていたスマホと小さなポーチ、ネックレスを渡してくれました。もう妹はいないのだと言う事が胸に迫り、叔母と共に涙、涙。あまりに泣いていたからか、お店の方が美味しいクッキーをくださいました。

ひとしきり泣いて、しかし、障害があった妹は、母より先に逝く事ができて、お互いのためにもこれがベストなタイミングだったと、叔母と語り合いました。父が逝き、妹が逝き、後は認知症の母と私だけになりました。妹だけが残るよりはずっと良かったのですよね。

また春には戻って来ると叔母に誓い、日本最後の夜は、長年の友人と過ごす事に。学生時代、ルームメイトだった友人は現在、福岡の大学で教えています。学生時代から20年以上が経っても、気分は当時のままで、懐かしい話や最近の話題で大いに盛り上がりました。

今まででいちばんのお寿司

お任せのコースのお刺身
九州の新鮮なお魚に感激!

友人が連れて行ってくれたのは、隠れ家的なお寿司やさん。壱岐出身のご主人が選んだ最高に新鮮なお魚が楽しめます。私にとっては間違いなく、人生で一番美味しいお寿司とお刺身でした。

ご主人も奥様も優しくて気さくな方で、どんどん話が進みます。人見知りな私ですが、あっという間に馴染み、忘れられないひとときを楽しみました。久しぶりに美味しいものをたっぷりいただき、懐かしい友と語り合いつつ、日本最後の夜は楽しく更けて行きました。

母と会えずにガッカリし、爆買いして反省し、新幹線で脚を鬱血させ、事件のピリピリした雰囲気に遭遇し、誰もいない冬のお墓に参り、大切な人々と泣いて笑って大食いして。

目的は果たせなかったけど、みっちり濃い日本への旅でした。次はいつ行けるかな?

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