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Oさんと八角弁当

著者: 六甲もこ

初めて社会人として働いたのは、小さな老舗の画廊でした。お客さまは裕福めな芸術家さんや吉本の芸人さんなど、愉快で優しい方ばかりで、当時はバブル末期で景気も良かったせいか、お小遣いをいただいたり、食事に連れて行ってもらったり、かなりよくしていただきました。はい、バブリーな時代でした。

当時はまだ20代前半だったため、全く物知らずで夢見がちだった私は、この職場で社会人としてのイロハを叩き込まれました。職場の先輩や同僚とも仲良く、特にOさんには、本当に良くしていただきました。Oさんは、ご自身も老舗の奥様だったのですが、子どもたちも巣立って寂しいと言う事で、親戚筋のこの画廊でパートをしておられたのです。

Oさんは古き良き大阪のおっとりとした奥様で、優しくてはんなりとした雰囲気が、年配の芸術家さんたちの間で大人気でした。南大阪の田舎者の私は、Oさんや画廊の社長夫人達が纏う空気感にすごく憧れて、その言葉遣いや立ち居振る舞いを、背伸びして真似ていました。

たくさん若い子がいる中で、お互い本が好きと言う事で、Oさんは特に私によくしてくれたようで、たびたびお弁当を作ってきてくれました。恐縮していると、「ええの、ええの、私が好きで作ってるだけやもの」と、いつもニコニコ優しくて、実の母に甘えるのは苦手だったのですが、Oさんには甘えまくっていました。Oさんのお弁当は本当に美味しくて、見た目も美しかったです。

こんな柔らかくて優しいOさんですが、一度泣きながら怒られた事があります。今となっては馬鹿な話ですが、若かった私は気の荒い既婚者の男子に夢中になり、それを知ったOさんから、「あの子はあかん、あかんのよ。六甲もこ(仮)ちゃんには絶対あかんのよ。こんな事私が言うのは何やけど、でも絶対あかんのよ」と、泣きながら言われたのでした。なのに、私はOさんの忠告も聞き流してしまい、やはりひどい結果となったのでした。今でもたまに、Oさんの声を思い出しては、なんとも言えない切ない気分になります。

そんな優しいOさんの大好物が、写真の駅弁、水了軒の八角弁当でした。いつも、「ほんまに全部のおかずが美味しいのよ。脂っこいものやしつこいものがなーんもあらへんの」と大絶賛だったので、私もいつのまにか、八角弁当のファンになったのでした。

実は今所用でたった5日間だけ日本に来ているのですが、新大阪〜博多間の新幹線に乗る際、本当に久しぶりに八角弁当を見つけて、「ほんまに全部のおかずが美味しいわ」と、思わずOさんそっくりの口調でつぶやいてしまったのでした。

あれから30年以上が経ち、Oさんとの交流もいつしか途絶えてしまいました。私がOさんの年齢になりつつある今、まだまだ雑駁でOさんのようなはんなりとした雰囲気は、これからも出せそうにありませんが、若い時に素敵な人に出会えたのは、本当にラッキーだったなと、八角弁当のイカのウニ焼きを食べつつしみじみと思ったのでした。

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