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オリーブの本当の価値を巡る旅② / オリーブは食べるものである、は本当か?

創業73年オリーブの専門家集団「日本オリーブ株式会社」の5代目 代表取締役社長を務めています、服部芳郎です。

前回記事で
『現在一般的に考えられているオリーブは本当の姿ではない』
『オリーブには忘れ去られてしまった本当の姿がある』
というお話をしました。

では、その本当の姿とは何でしょうか?
それを語るには、歴史・文化に潜る必要があります。

何故、歴史・文化などを調べる必要があるのか?
それは、歴史・文化とは単なる古臭い言い伝えではなく
何百万人何千万人もの人が
何百年何千年もかけて正しいとしてきたこと

が含まれており、よくある"最新の研究!""最先端科学!"などの軽薄な謳い文句では及びもつかない"本当の科学"がそこにあるからです。

そしてとりわけ神話は、その民族、果ては人類が生きるために最重要視した要素のかたまりであり、これを調べずして何事も語ることはできないといっても過言ではありません。

Igreja de Sao Roque(サン・ロッケ教会)。"我々は魂の問題に生きているのだ"と言ったのは、イベリア スペインの大哲学者ミゲル・デ・ウナムーノであるが、オリーブの世界一の生産国がスペインであることと、魂に生きることは関連がある。

オリーブは食べ物である、は本当か?

オリーブについては、色々な思い込みがあります。
今回のnoteの中で語りたいのはその中でも最も大きい
『オリーブ、オリーブオイルは食べ物だ』
という思い込み
です。

確かに、オリーブ、オリーブオイルは食べることが出来ます。
それどころか、ワインのように年、場所、生産者、収穫時期、種類、、、
さまざまな要素が絡み合い、味は千変万化しそれぞれが素晴らしく、
なおかつ栄養も健康効果も優れている、となれば食べるためにあるもの、と認識するのは当然のことのように思えます。
(かく言う私も毎日食べています。というよりオリーブオイル以外の油を使うことがほとんどありません)

しかし、オリーブを食べ物と認識するのは一面的な見方であり、本来の姿から言えば、"食べる"という使い方は第二義的である、というのが、歴史・文化、とりわけ神話を研究してきた私の結論です。

何故、そんなことが言えるのか、見ていきましょう。

聖書におけるオリーブ

世界中で最も読まれている本である、キリスト教のバイブル。

キリスト以前の預言者と神の契約を旧約と言い、
キリスト以後にキリストの言行や奇跡を弟子たちが記したものを新訳
と言い、両方を合わせてキリスト教ではバイブル、聖書と呼びます。

欧米はじめ西洋社会は「契約社会」と言われるが、それはこの聖書(神との契約が記された本)が全ての基本だから、である。モーセやヨブ、ダヴィデなどどこかで触れたことのある物語も実は聖書から来ていることが多く、読み物としても非常に面白い。

この聖書の中にオリーブが出てくるのですが、その回数は幾つだと思いますか?
5回?10回?いや、もっといって50回?

答えは『200回以上』です。

オリーブの木にふれた下りだけで100回近く、オリーブオイルに至ると計140回も登場しています。
こんな植物や動物は他には全く見当たりません

このことだけをとっても
『オリーブは他の植物と比較にならない、
人間にとって特別な地位を与えられてきた植物』
ということがわかります。

「救世主」とオリーブ

聖書においてオリーブが特別視されていることを示しているのは、登場回数だけではありません。

オリーブオイルと香料を混ぜ合わせた香油は、太古より宗教上大きな意味を持っていました。
そのことを示す記述が、レビ記 4章 3、5、16節、6章15節に見られます。

それは『神によって油注がれた者である祭司』という言葉です。
※この時代において、単に"油"と言った場合、オリーブ油を指します

この「油注がれたもの」のヘブライ語「マーシアッハ」が、
全世界を救うもの「メシア」の語源となっており、
そして「メシア」のギリシア語訳「クリストス」こそが
日本語で言う「キリスト」を指します。

フィレンツェ ミケランジェロ広場のダヴィデ像。
サムエル記に曰く、主から新たに王になる子に油を注ぐよう命じられた預言者サムエルによって油を注がれたダヴィデは、全イスラエルの王となり、預言者に列せられる。ここにも、神に選ばれたものの条件として"油を塗る"行為が登場する

つまり、世界を、人類を救う救世主の条件とは
『オリーブオイルを身体に塗られたもの』
とされてきたのです。

「英雄」とオリーブ

今度はギリシア神話に目を移してみましょう。
ギリシア神話はそのもの以外にも星座や様々な創作物で現代に伝えられており、日本でも馴染みが深い神々が登場します。

ゼウス、ヘラ、アテナ、アポロン、ポセイドン・・・
ギリシア神話は、一神教であるキリスト教、イスラム教とは違い、日本の八百万の神様のように、多くの神々が登場し、人間さながらの愛憎劇を繰り広げる物語です。
そして、その内容の深さ、普遍性から、西欧のあらゆる哲学、思想、世界観に影響を与えています。

このギリシア神話においても、オリーブは数え切れないほど登場します。
また別に機会を取ってそれぞれのエピソードに触れていきたいと思いますが、ここではオリーブの本来の姿、使われ方について示唆を与えてくれるエピソードをひとつ紹介します。

ギリシャ アテネのアクロポリスの神殿群の中でも最も有名なパルテノン神殿。ギリシア神話の女神であり、アテネの守護神 女神アテナが祀られていた。アテナとオリーブも密接な関係があるのでまたどこかで触れたい。

ギリシア神話の中に『英雄』と呼ばれる人々がいます。
英語では『ヒーロー』、古代ギリシア語では『へロス』と呼ばれたこの人々は、"神と人間の間の子 = 半神" であり、その多くは、その身に宿した神の力によって勝利し、人々に恩恵を授ける力を獲得した者とされます。

例えば、ゼウスとアルゴスの王女ダナエーの子でメデューサ退治やアンドロメダ救出を成したペルセウス。
例えば、ゼウスとペルセウスの孫アルクメネの子で12の難行を攻略しギリシア伝説最大の英雄とも云われるヘラクレス。
ローマ建国の父ロムルスも、軍神マルスとトロイアの末裔アエネーアスの子孫シルウィアの子、という『英雄』としての出自を持っています。

その『英雄』のひとりにオデュッセウスがいます。
ギリシア神話の原典であるホメロスのイーリアス、オデュッセイア
で語られる英雄で、10年もの間続いたトロイ戦争の勝敗を決定付けた"トロイの木馬"を立案した、神話を代表する知将です。

トロイ遺跡。神話上の架空都市とされていたが、19世紀にシュリーマンにより発掘され、神話と歴史が結びつけられた。このトロイ攻めで最後の攻略を行ったのがオデュッセウスである。

このオデュッセウスを主人公とした、トロイ戦争の勝利の後に凱旋する途中の10年間にもおよぶ漂泊の物語こそが上記オデュッセイアです。

この物語中、主人公オデュッセウスとパイアーケス王の王女ナウシカアの出会いの場面において、ホメロスはオリーブオイルに儀式的な価値を与えています。

即ち、筏による漂泊中、激しい雷雨に襲われ全身ボロボロになって漂着したオデュッセウスがナウシカアから受け取ったオリーブオイルを水浴のあとその身体に塗ると、たちまちにして逞しく輝く肉体を取り戻した、というエピソードです。

つまり、この、古代ギリシア文学の最重要叙事詩に数えられる「オデュッセイア」の中でもオリーブは"肌に塗ることでその神性を取り戻すもの"として扱われていることがわかるのです。

オリーブは元来、肌に塗るものである

これだけではなく、オリーブの登場する神話や伝説はまだまだ書ききれないほどありますが、このようにオリーブ、オリーブオイルが伝説、宗教、神話に登場する際には、食べるよりもむしろ、身体に塗るものとして、その特別な地位を与えられていることがわかります。

つまり、オリーブは本来、人類とオリーブの繋がりが強かった時代においては"肌に塗る"ものとして認識され、実際に使われていたのです。

これが先に、オリーブを食べ物と認識するのは一面的な見方であり、本来の姿から言えば、"食べる"という使い方は第二義的である、と述べた理由なのです。

それは『オリーブが化粧品に使われているのなんか知っているよ』というレベルの話ではありません。
むしろ『オリーブを肌に塗ることこそが、人間として重要である』とさえ云えるということです。

そして、この神話、歴史、文化から紐解いたこの仮説を「神話で言っているから」で終わらせず、最新の科学を研究し裏付けを取ることが重要だと考えています。そしてその裏付けの歴史こそが我が社の研究の歴史であり、そのことについても今後のnoteで語っていきたいと考えています。



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