ASDの「孤独」に関して思うこと
ASDはしばしば孤独になります。
それは障害の症状から見て仕方無いものでは
ありますが、当事者の中には常に孤独と闘い
日々を生きている者もいます。
今回は、ASDの孤独に関して
考えてみたいと思います!
関わりたいけど、関われない心の葛藤
ASDは
「人の気持ちが読めない」
「興味関心の偏り」
などの症状があるため、
人と関わりを持ちたい感情とは裏腹に、
相手を傷つけないかという不安な気持ちが隠れていて、
自己主張した場合は単に嫌われて人が離れる、
気を遣った場合は上の空で不安定な人間関係が構築され、
結果として表面的な友達しか作ることが出来ません。
そして、ASDさえ無かったら…と自責の念に狩られ
より「自分は人と関わるべき人間じゃない」という
意識が強まり、
人と関わるのが怖い不安を確信に近づけて
揺るぎない物にしてしまうのです。
成長するとともに関われなくなる
ASD患者は自分が年老いるごとに
周りの同世代の人間との落差を感じます。
そして周りの人々も自分と心が通づる仲間のみとの
関わりを重視するようになり、
余計にASD患者は
相対的孤独状態になるのです。
成長すればするほど生きづらさが増していき、
自己否定感も強まっていくでしょう。
興味関心の偏りの症状から、奇妙な趣味を持っていると
同年代の人々と話が合わなくなり、受け入れられず
自分の一人の世界に閉じこもることも
あると思います。
孤独を別の手段で麻痺させる
ASD患者は孤独感を確かに噛みしめています。
孤独な状況に陥ると、全否定モードの思考に
苛まれてしまいます。
しかし、一々ネガティブな考えを浮かべて
それに一喜一憂しては仕方が無い。
そこで「別の手段で孤独を麻痺させる」という
行動を取ろうとするのです。
麻痺させる手段は様々ですが、
そこには「過集中」が隠れています。
過集中に入るのは脳がストレスから心を
保護する防衛反応とも言えるでしょう。
しかし、過集中モードも終わりを遂げると
また空虚感が押し寄せます。
「自分の世界に逃げて孤独を癒やす
しかない自分がバカバカしい。」
こうやって孤独と常に向き合って
終わりのないイタチごっこを
繰り広げているのです。
自分でも、いくら濃密な人間関係が出来上がっても
孤独とは一生かけて格闘し、本質が見えないまま
死ぬことになるだろうと予測しています。
総括
今回はASDの孤独に関して考えました。
この文章を書き終えたあとも、
慢性的な空虚感の影響を受けないために、
僕はひたすらnoteの記事を書きまくるしかないです。
noteの記事投稿は
孤独を直視しないための、ある種
最適な逃げ道です。
孤独を嘘でも一時的に満たす承認欲求の爆発と
普段誰にも話す機会のない自分の頭の中を
言語化する作業に依存して抜け出せません。
ここまで記事を読んでくれて
ありがとうございました!
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