職場での「ちゃん付け」はハラスメントになる。相手は「さん」付けで呼ぶべきいい歳の大人なのに、健常の人が、大して親しくもない障害者を子供扱いしてちゃん付けで呼ぶのをよく見る。「障害者は自分より下」という意識があるからそんなことをするのだ。普通の健常者相手なら絶対しないだろうに。
誹謗中傷だらけのきつい世の中で、それでも何かを表現しようとする人がいたらそれだけで凄いことだから邪魔しちゃいけない。役に立つか、お金になるか、そんなのはどうでもいい。命ある人間なら誰でも持っている自分の世界、表現したいという欲求。それは生理現象だ。がまんしろという方が不健康だ。
正社員さんたちが「住民税が大幅に上がった!」と騒いでいた。大変だろうけど羨ましい。それだけ稼いでるってことだから。障害者雇用で万年最低賃金の身にはそういうことは起きない。楽かもしれないが、ちゃんとした大人になれていないような気もする。 税金払えるって恵まれてることなんですよ。
「ちゃんとした大人とは何か」という話題になり、「人のためにお金を使えることじゃないか」という話になった。姪っ子にお小遣いをあげるとか、後輩におごるとか、そういうことだ。貧困で出すものがない人間は大人ぶることすらできないのかもしれない。お金以外の、親切とかで勘弁してもらえないかな。
メロディーを重視するか、リズムを重視するか、ぼくはメロディーこそ、 音楽の根幹だと考えてます。 メロディーは言葉で理性で、リズムは直感、感覚。音は空気振動なんですけど、作曲においていかに、良い印象深いメロディーとレトリックのある歌詞が書けるか、j-popは踊れなくていい。聴くのだ
むしろシティポップはアメリカナイズです。ぼくはアメリカやイギリスの影響から脱却したj-popの音の方が日本的で好きです。 ポピュラーミュージックはアメリカ生まれですが、団塊世代とバブル世代の共通認識みたいな感じ?!彼らはアメリカに最も憧れた二つの世代です。
j-popは歌メロ詩的で、アイドルやボカロはむねきゅんか、 インディー・ロックなにか、じわるかエモいか、多種多様な声質と歌い方がある。本当は個性的だとぼくは考えています先人たちが築いてきた日本的なものでいい。“日本語の発展とj-popとはなにかの永続的な問題意識”。
シティポップ?いまだに、なにかはぼくはわからない。 八十年代の都会的な雰囲気の持つサウンドが特徴らしいですが…。 日本のバブル期がそんな良くて懐かしいですか?平成生まれのぼくからしたら、あれのせいで、いまの日本が沈没しかけているのに…。 ある種の皮肉と自画自賛ですね。
ハナレグミがカバーする、テレサ・テンの『別れの予感』を聴きながら、 ぼくは考えさせられてしまう。慈しみ深み。 そして、穢れてすぐに実行できない軟弱なぼくの固定概念。
桜井さんの声質は母性本能をくすぐるような触りとどこ果汁感のあるさわやか歌声。水上バス、擬態、マショマロデイズ ぼくらの音、しるし、エソラ、 放たれる、など不幸なニュースを読んだ新聞紙をくしゃくしゃに壁に投げつけてやりたい衝動 やさしくて常に一貫性のあるソングライターだ。敬愛🙏
ふるさと納税やNISAが普及すればいいですが、マイナンバーカードさえあまり役に立たない(笑)まあ、政治不信もあり、銀行通帳と紐付けの決済機能すら対応できてない。これができれば国民生活や行政もはるかによくなる。コンビニで住民票やネットで納税できるだけでは、あまり効果ない。
なんとなく不安ですね…。世の中、見てると。
j-popを聴くと残念におもうのは、年々、歌の品質が劣化してる。 まあ、ぼくからすれば音楽がない人生は無味無臭です。 外見より曲を磨いてほしいし、低予算のアイドルグループももう見納めしてほしい(笑)💨 髭男やMomやtomoo、asmi、a子はj-popの成長株だ。