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平穏無事を保ってくれる人達こそ優秀

 ロルフ・ドベリの『Think clearly』に次のような話が載っていました。
 原文長いので大雑把に要約すると、

A 船が氷山に乗り上げ、乗客の脱出後沈没する。
B 船長は氷山を避けて安全に航行する。

 のうち、映画で観たいのはどちらかと言われたらAに決まってるけど、自分がどちらの船に乗りたいかと言われたら間違いなくBだと(そりゃそうだ)。

 Bの船長のほうが優秀に決まっているのに、歓声をあげられるのはAの船長だ……と。
 つまり、未然に問題が起こるのを防いで、日々予防措置をとることが大事だと、その本には書いてありました。


 ただ、小説や創作の世界では、
 Aみたいな事件の話が売れるのですよね。

 私、自分の作品がエンタメ的になぜダメなのか、この話を読んでわかった気がします。

 私が書きたいのは、Bなんです。
 真面目な人が平穏無事に普通の生活をする話。

 でも、そんな話、誰も読みたくないですよね。

 ネット小説でも人気があるのは、異世界転生、悪役令嬢、裏切り、嫉妬、復讐劇……。

 私、そういうドロドロした話、苦手なんです。
 人が死ぬ話も嫌いだし、
 ドラマに暴力暴言が出てきたらすごく嫌。
 推理モノが読めなくなりました。

 そのせいか、他の人が書いた小説を選ぶのが難しいのです。ちょっとでもモラハラな怖い男性とか暴力の話が出たらもう駄目。性的な表現も嫌い。
 残念ながら、日本の小説って絶対そういう要素が入っているんですよね。一見ほのぼのした話に見える本を開いたら暴力やモラハラがいきなり出てくる……なんてこと、よくあります。
 だから、図書館の棚とにらめっこして読めそうな小説を探しても、なかなか見つからない。
 結局、よくわからん自己啓発みたいな本だけを借りて、とぼとぼ帰ることになったり。

 繊細な人が安心して読める小説が、
 あまりにも少ない気がします。


 といっても、私も若い頃はなぜか残酷な話を書いていました。なぜ若い人は残酷に耐性があるのでしょうか?何も知らないからでしょうか。
 歳を取るごとに、そういうことに敏感になってきたように思います。人が死ぬということはどういうことか、苦悩とは、悲しみとは。実際に生きて重みわかるようになってくると、軽々しく扱えなくなってくる。
 
 子供向けの漫画ってけっこう残酷ですよね。(私は『鬼滅の刃』が怖くてどうしても見れません)。
 あれ、子供だからこそ受け入れられる内容なんじゃないかと思います。
 大人には逆に辛い。



 みんな、過剰に劇的なお話に、
 慣れすぎているのではないでしょうか。

 小説もマンガもドラマもアニメも、
 現実にはありえないような極端な事件、
 個性的すぎるキャラ、
 ありえない設定に満ちています。

 ネットだと特に、アクセスを稼ぐために、
 内容がどんどん過激になっていく。
 犯罪で捕まるユーチューバーがいたりする。

 若い人は知らないかもしれませんが、昔『個性』がやたらに叫ばれていた時代がありました。私が若かった頃です。でも、その『個性』という言葉で人々が何を連想したか考えてみると、曖昧で怪しい。みんな、ドラマやマンガに出てくる、非現実的な天才みたいなのを連想していたのではないかなあ。そして、『個性を重視』というのは、誰もが何かの天才でなければならないという圧力になっていったのではないかと思います。実際にヒーローやヒロインになれるのはごく少数なのに。そして、『個性』という名の『天才』を得られなくてひねくれた人々の鬱屈した心が、数少ない天才への羨望と嫉妬になって今あちこちで炎上しているのではないかなあ……。

 あ、脱線しちゃった。

 何が言いたいかと言うと、

 本来、私達の暮らしは、
 そんなに劇的なものではなくて、
 淡々と過ぎていくもので、

 その『淡々とした生活』を守ってくれるのは、
 冒頭の例でいうBの船長みたいな、
 事故を未然に防いでくれる人、
 地道な安全確認を淡々としている人達ですよね。

 だから、
 あまり非日常に中毒しないように、
 気をつけたほうがいいのではないかな。
 
 架空の天才の物語に熱狂して、
 自分を見失うのではなく、
 現実の、天才でもなんでもない普通の自分で、
 事故や事件に巻き込まれないよう気をつけて、
 まわりの人に気を使って、
 普通の生活を維持することのほうが、
 よほど大事だし、
 頭も使えるんじゃないかな、と思うのです。




 私、エンタメ作家には向いてないな笑




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