人間は死に直面しなければ真面目になれない。絶対安全を追求する現代文明で育ったわたしたちは生まれてから、そのつもりがなくても、ずっと不真面目であり、何をやってもふざけており、本気に届かない。
毎年、子供が学校の窓から落ち、給食を喉に詰まらせて窒息し、運動場で熱中症に倒れている。早急に対策が練られるべきだろう。わたしたちはこうして死を排除しないではいられない。生きて暮らすどの場面でも死が顔を見せると不安で何も手につかなくなるからだ。
死がまともにわたしを見ると、わたしは限りなく不幸である。けれども、死が別の誰かを見て、わたしの横を通り過ぎたときは、限りなく幸福である。そして、その幸福は安心の日々の中で逓減してゆき、やがて、政治の在り方などに不満を感じて「この国に生きることは不幸である」と思うようになる
絶対安全を追求する現代文明に生まれ育ったわたしたちは、どんなに溌溂としているつもりでも、歩む人生の暗渠を倦怠感と空虚感が流れている。むしろ、自分は決して幸福ではないと感じている人が少なくないのだろう。日本人の幸福感が低いのは学校にも職場にも街にも、どこにも死が顔を見せないからだ。