ゆ。

なんとなく、思っていることを綴ります。

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最近の記事

誇るべきなのは運が良かったこと。

自分自身を誇れる人間と、自信を持って言うことはできない。自己肯定感が高い間は、「俺ってすげー」となることもあるかもしれないが、基本そんなことない。 ただ、それでも誇る事ができるものがあるとするなら、それは「運」だと確信している。 人生のターニングポイントを挙げるなら、まずは高校時代。 入るつもりのなかった部活。そこで出会った同期のおかげで、気弱だった自分が少し上向きに変わることができた。きっと、これがなかったら、今よりももっともっと貧弱だっただろう。 次は大学時代。 第

    • 努力にすがる。

      結果を出せない人間ほど、努力というものにすがってしまう。これは経験談。 僕は、勝ちよりも負けのほうが多い人生だと思う。そもそも勝ちが多い人なんていないと思っているが、そうではなくて。 負けている記憶に、自分が囚われ続けていると言った方が正しいかしれない。 どうせ勝てない、無理だ。できっこない。 失敗する前提で動くことしかできない。そのおかげで、自分が傷つくことから逃げることはうまくなっただろうから、悪いことばかりではない。 自分の人生において、糧となっているものを考

      • 嫌いとかじゃなくて気持ちが悪い。

        ここ最近、他人の行動に対して気持ちが悪いと感じることが多くなった。ニュースとか観ていると、まあ失言した大人の言い訳がたくさん流れてくる。 これが気持ちが悪い。職場にもいる。気持ちが悪い。そんなつもりで言ったわけではない、けど不快にさせてしまったのなら、みたいな文言。何回も聞いた。でも。だって。そんな言葉で言い訳を始めること。全部が気持ちが悪い。 別に、失敗することが悪いとは言わない。不意に誰かを傷つけてしまう発言だって、不快にしてしまうことだってある。仕方がない。僕だって

        • 自分の機嫌は自分で取るって

          この言葉は、みやぞんで知った。 そこから有名になったというか、みやぞんがイッテQの番組内で使ってから、格言で使う人が増えた様な気がする。 実際、大切なこと。 僕は、自立している人が好きだ。 自分の足でしっかり立って、自分の面倒を自分で見れる人。いるようで、中々いない。 僕だって、目指すはそこだけど、中々うまくいかない。納得いかないことが続くと、うまく笑えなくなる。自分の中で整理をつけて、立ち直るのには、少し時間が欲しくなる。 自分の機嫌を取るっていうのは、自立する

        誇るべきなのは運が良かったこと。

          久しぶりにnoteを書き溜めていこうと思う

          なんとなく久しぶりに開いた、自分のアカウント。 今までの記事を眺めて、意外と多いことに驚いた。自分は何事に置いても飽き性で、続かないと思っていたのだが、記事として形が残っている分、昔は頑張れていたんだなと。 これを気に、久しぶりに書き溜めていこうかなと思う。 前は、記事が被らないように、内容を気をつけていたんだが、一旦気にせず、改めて自分の思いをしたためていこうと思う。 似たような話でも、少し変化しているだろうから、そこを自分なりに楽しんでいこう

          久しぶりにnoteを書き溜めていこうと思う

          鶏と卵の話。

          別にこれは親子丼とか、そういう話ではなくてですね。 人間生きていると、対人関係でのトラブルは避けては通れません。 喧嘩になって、「お前が悪い!」「いや、お前の方が悪い!」みたいなことって、子供でも大人でもよくあります。 そんな時、面白い考え方がこの鶏と卵の話で。 卵って、鶏がいないと絶対に生まれないものじゃないですか。ということは、卵の存在を認めたくない場合、卵をいくら潰しても意味ないわけで。大元の鶏をなんとかしないと、一生卵は生まれ続けます。 これを人間関係のトラブル

          鶏と卵の話。

          ネガティブは悪い?

          ネガティブって、直さないといけないとされる。ネガティブが悪い!と直接的な表現はされなくなっている世の中にはなっているが、それでもポジティブの方が良いとされることのほうが多い。 それはなぜか。 なぜなら、ネガティブな奴がネガティブについて、考えてるから。そりゃ、悪いってネガティブな評価になってしまう。 ネガティブな考え方が、悪い風潮を生み出している。そうさせてるだけ。 実際は性質の違いだけ。 それぞれに有利、不利はあると思う。 人間を外側から見れば、この社会。ポジテ

          ネガティブは悪い?

          苦労を買うのは、今じゃないはず

          苦労を買ってでもしろ、なんてよく言ったもので。確かに苦労というものを乗り越えた分だけ、その人は強くなれるかもしれない。 でも、それは気のせいで、大体苦労という苦しい状態に慣れて、痛みや苦しみに鈍くなっているだけ。それが果たして、人として強くなっているのか。 強くなっている気がしているだけで、実は傷ついていて。鈍くなっているから気付けなくて、いつの間にかダメージは蓄積されていて。 ふとしたきっかけで、それが身体と心の表に出てきて壊れてしまう。そんな人は、今の世の中大勢いる

          苦労を買うのは、今じゃないはず

          自分にも他人にも期待なんて、しない。

          期待なんてするもんじゃない。 自分にだって、他人にだって。 期待なんて、自分にとって都合のいい事が起こるように願っているだけ。人生で、都合がいいことなんて、中々起こるもんやない。 思い描いたそれは、結局現実になんかならない。ならないのに、勝手に期待して、裏切られて、傷つくのがオチ。イライラするのがオチ。 だから、期待なんてしない方がいい。 それが、現実に対する、一番の自己防衛だと思う。

          自分にも他人にも期待なんて、しない。

          悪口の同意を求めるな、巻き込むな。

          職場では、相も変わらず悪口が横行している。 あの人がどうだこうだとか、誰が悪いだの、本当にしょうもない。 なんやねん。 自分の頭のなかで、誰の事をどう言おうが、僕には関係ない。 ただ、下品な大きな声で、人を傷つけるような言葉を使って、話しかけてくるな。巻き込むな。悪口の同意を、求めるな。勝手に話してろ。 そう、思ってしまう。 人の悪口って、一種のエンタメみたいに扱われている。どの職場でも、コミュニティでも、1つの話題として選ばれてる。手っ取り早いのだろう、共通の悪

          悪口の同意を求めるな、巻き込むな。

          なんとなく、けど。

          なんとなく、「死んでもいいな」って思うことが最近増えた。 別に、人生を終わらせたい程苦しんでるわけでもない。ほどほどに楽しい事はある。友人にも恵まれている。そういう意味でも、運がいい方だと思っている。 それに、これからの人生、どう楽しんでいこうか、過ごしていこうか考えている、前向きな自分はいる。別に自ら幕を引こうなんて、そんな事は思っていない。 けど、ふと、そう思う瞬間が確実にある。 人生を全うしてる訳でもなく、明日死んでもいいと思えるほど、毎日を力一杯に生きれている

          なんとなく、けど。

          自分が傷つきたくないから、言わない

          言いたいことが言えない。 そんなことってよくある。誰にだってある。 言うことで、相手がどんな反応をするか、自然と想像してしまう。 怒るのか、悲しむのか、笑うのか、そもそも反応されないのか。色んな可能性を想像する。 けど、相手がどんな反応しようが、正直関係ない。 大切なのは、その反応によって、自分が傷つく可能性があるかどうか、だ。 言いたいことを言える方が、得かもしれない。自分の気持ちが言葉で伝えられるし、そういう人の方が舐められなくなる気がする。当社比ではあるが。

          自分が傷つきたくないから、言わない

          安易な肯定の為に、自分を傷つけて何になる。

          「僕ってこういうところがダメなんですよね」 なんて、わざとネガティブなことを言う。そう言って、 「そんなことないよ」 って肯定的な言葉を貰おうとする。そんな自分が、凄く気持ちが悪い。 気持ちが悪いと思っているのに、気が付いたら、そんな言葉を口にしている。不思議と勝手に口に出してしまう。心の底では、「そんなことないよ」っていう言葉を欲している。「大丈夫」って言葉を、自分自身にかけてもらえるように、自分で誘導している。 どうすれば、そういう言葉をかけてもらえるか、経験と

          安易な肯定の為に、自分を傷つけて何になる。

          「自分は間違っている」と思う方が強い。

          自分は正しい。そう思いながら生きている人って、結構いるんだなと社会人として働き出して思った。何を根拠にそんなに他人を否定できるのか、わからなかった。 ただ、最近はこうかなと思うようになってきて、つまりは、自分が正しいと思っているからこそ、自分と違うことをしている人、または自分の都合の悪い人は間違っている、という根拠を持つことが出来る。だから、自分のことを棚に上げつつ、人を批判することが出来る。 仕事のミスを1つするだけでも、見られた相手によっては命取り。 人格まで否定され

          「自分は間違っている」と思う方が強い。

          人と比べる事は悪いことじゃない。

          人と自分とを比べるのは、悪いことなんだろうか。比べた結果、なんて自分は愚かなんだろうと落ち込む。そんな話はよく聞く。 だから、『人は人。自分は自分。』精神で、まわりに捕らわれずに生きていく。これは1つの正解だと思う。まわりを気にするがあまり、自分を否定していまうのは、本当に勿体ない。 ただ、自分は自分といっても、その自分自身を知るためには、結局他人と比べる必要が出てくる。もし、比べる対象がいないと、自分がどういう人間なのか、理解することはできない。 例えば、◯◯さんの背

          人と比べる事は悪いことじゃない。

          裏切られるくらいなら、期待を排除する。

          人に対して怒りを覚える時はどんな時か。それは自分に都合の悪いことをされた時だと考えています。 別に自分になにも影響されないことをされても、何も感じません。例えば、ある喫茶店の店員が態度が悪いとします。自分がその喫茶店を利用しない場合、どうでもいい話です。ただ、そこを利用するってなった場合、話は違ってきます。客に対して態度が悪く、接客も雑。それに対しては、怒って当然です。 同じ態度の悪い店員ではありますが、自分に関わるか否かで、それに対してどういった感情を抱くのかが変わって

          裏切られるくらいなら、期待を排除する。