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「自分は間違っている」と思う方が強い。

自分は正しい。そう思いながら生きている人って、結構いるんだなと社会人として働き出して思った。何を根拠にそんなに他人を否定できるのか、わからなかった。

ただ、最近はこうかなと思うようになってきて、つまりは、自分が正しいと思っているからこそ、自分と違うことをしている人、または自分の都合の悪い人は間違っている、という根拠を持つことが出来る。だから、自分のことを棚に上げつつ、人を批判することが出来る。

仕事のミスを1つするだけでも、見られた相手によっては命取り。
人格まで否定されることになりかねない。自分の耳にさえ入れなければいい話ではあるものの、気分のいい話ではないのは間違いない。

そんな人たちがいるからこそ、僕は、まわりのミスには寛容でありたい。 例えミスや間違いを犯してしまった場合でも、それを注意すれど、人格まで否定するような言葉は使わないようにしたいと思っている。僕は否定されるのも怖いが、無差別に、気づかないうちに誰かを否定してしまうのも怖い。

なら、どうすれば避けることができるのか。

思案した結果、「自分は間違っている」と前提に考えればいいのでは、と思い始めた。なんなら、「自分は正しい」と根拠なく思うより、強いのでは、とまで思う。

まず、人に否定された時。そもそも自分を自分で間違っていると思っているから、「はい、そうですよね」とプライドなく思える。

次に、人が間違いを犯したとき。自分だって間違っているのだからと仕方がない、と割り切れる。そうすることで、無駄なイライラを他人にぶつけたり、自分の中で処理する体力も時間も温存できる。

あと、自分が間違っている前提で行動するのだから、驕らず慎重になれるし、他人のどんなアドバイスでもありがたく感じることが出来る。

つまり、「自分は間違っている」という前提を置くことで、世の中にあふれている否定を、柔らかく受け止めることが出来る。また、その前提のおかげで、危うい行動を取ろうとしなくなる。

僕は、そもそもがネガティブ人間なので、こう思うことにストレスは感じなかった。ただ、精神衛生上、この考え方がよいのかと言われと、そうではないとしか言えない。どういう意図があれど、無条件で自分を自分で否定することになるのだから。あと、自分を否定し続けると、その負の何かがにじみ出てくるので、周りにそういうネガティブな奴って思われてしまう。

だから、この考え方を採用する場合、こう考えながらもどう周りにネガティブさを悟られないか、というところが重要になってくる。ので、僕は結構ヘラヘラしてるし、「僕なんて全然、へへッ」みたいな、無駄な無能アピールを醸し出す言葉は出さないように気を付けている。

あとは、いくら自分に自信がなくて、自信があるように見せないといけない場面ってある。だから、行動一つ一つに根拠を持つ。そうすれば、いざという時、根拠を話せれば、なんとなく自信があるように見える気がするので。

「自分は間違っている」なんて思っている人間の考え方ですが、参考になれば幸いです。


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