安易な肯定の為に、自分を傷つけて何になる。
「僕ってこういうところがダメなんですよね」
なんて、わざとネガティブなことを言う。そう言って、
「そんなことないよ」
って肯定的な言葉を貰おうとする。そんな自分が、凄く気持ちが悪い。
気持ちが悪いと思っているのに、気が付いたら、そんな言葉を口にしている。不思議と勝手に口に出してしまう。心の底では、「そんなことないよ」っていう言葉を欲している。「大丈夫」って言葉を、自分自身にかけてもらえるように、自分で誘導している。
どうすれば、そういう言葉をかけてもらえるか、経験として知っている。だから、味を占めて、何度も、無意識に使ってしまう。
その、自分で誘導した肯定に、気持ちよくなって、安心して、甘えている。
そういうことが、全く必要でないとは思わない。その肯定に、救われている時だって、確かにある。前提として、そういう言葉をかけてくれる人たちは、本当にありがたい。何度も救われている。
でも、それは自分から求めるものなのか。わざと、ネガティブに自分を落としてまで、求めるものなのか。それは甚だ疑問である。
ただ、今この文自体も、わざとそういう自分を悪く仕立て上げ、そうじゃないという言葉を待っているのかもしれない。書き始めた時にはそんな風に思ってはいなかったのに、今になってそう思えてしまう。
たぶん、必要なのは、これが無理に自分を卑下しているのか、そうじゃないのか。
しっかり自分を見つめた上で、客観的にそう思えるのなら、それを改められるよう、これから行動していけばいい。もし、肯定的な言葉が欲しいがために、自分自身を卑下しているのならば、それはやめた方がいい。
自分で自分を傷つけてしまうことになるし、なにより優しい言葉をかけてくれた人に申し訳ない。
人からの肯定的な言葉を安易に貰うより、まずは自分をしっかり見つめて、むやみやたらに傷つける必要はない。
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