天文23年(1554)1月24日は信長が初めて鉄砲を使用し今川方の村木砦を攻略した日。西三河から尾張へ勢力拡大を狙う今川氏が水野氏の緒川城攻略のため築いた砦。義父の斎藤道三から送られた安藤守就らを留守居部隊として信長は強風の中を熱田から渡海。緒川城を経由してこの日攻撃を開始した。
天正3年(1575)12月27日は家康が信長の命令により三河大樹寺で伯父の水野信元を斬った日。信長の家臣佐久間信盛による讒言により武田との内通を疑われた。家康は石川数正や平岩親吉らを送り信元を斬った。桶狭間合戦後に家康を落ち延びさせ信長との同盟を仲介したのが信元だったといわれる。
天正3年(1575)12月27日は家康が信長の命で伯父の水野信元を斬った日。信長家臣の讒言により武田との内通を疑われた。信長に味方し家康との同盟を仲介したのが信元。このとき従属同盟の家康に拒否はできない。冤罪だったらしいですが粛正が与えた双方への影響は後々でないとわかりませんね。