自分は弱きものや自分以外のものを大切にする優しさが力や知識の使いどころの中心であってほしいと願う 優しさを中心に力や知識が集まった時、何かしらの希望の道筋が見えてくると思う 人間の作り出した合理性も理論も大事なものを守るためにあってほしいと願う
012歳児像が人間性を育てる最大の方法だけれど、どうしてもできないならほかの手段で人間性を回復させるしかないと思った 自然や友情も人間性を豊かにし倫理観を育ててくれると聞く。最終的に命と人間性を第一にしていける倫理観を共有できれば良いのだから、道は広く持ちたいと思った
国単位のことを考え実行するには、多くの人とつながり協力し合うのが不可欠だ なるべく、多くの人とのつながりを作るためには相手にシビアな基準を設けず、最低限の志向性を求めはするけれど、寛容に多くの人を受け入れる姿勢を示すのが大事だと考える 少なくとも敵対をメインに置いてはいけない
人はワクワクなどのポジティブな感情と罪悪感などのネガティブな感情、どちらで動く?もとい行動を促したほうがいいのか? 見方によっていくらでも人を善人にも悪人にも、被害者にも加害者にも挿げ替えることはできてしまう。そこに正解はない どうみたいか?という個人の責任にゆだねられているのか
「自分にとって不都合な事実を指摘する」 なかなか認められないけど、 「相手の立場をわかってるんです、それでもこれは譲れないんです。わかってください」 これは意識すべきところだなって思った #法曹意識 #倫理感 #表現技法
力の上下や知識の有無は補い合えれば問題ない だが、志向性の違いは補ったりするのは難しい。幸せにあり方も主体的であるがため、必ずしも共有できるとは限らない 分かり合えない、協力し合えない境目、感覚の違いは存在しているともいえる 人間だからや同じ民族だからでの絶対性はないと思う
知ることで、人は不安になり、自己嫌悪に陥り、絶望に至る可能性は結構ある 知ることが必ずしも善ではない。知ることが相手を殺すくらいの悲劇を生み出す可能性もある 知識を伝える側にも責任があり、無責任は許されない 伝える手順や配慮を踏まえ、相手を見て行うのがいいと思う