人と関わる上で 「自分の意見や考えを口にしない」 という事が"いい面"を発揮するのは 相手の個人的なことに対する話の場合。 何かに対する意見を求める時には まず自分の意見を述べるというのは礼儀。
個性についてを思い悩む必要はない それ以上に子供の時から 「自分がどんな種類の生き物なのか」 ということを知ろうとする事が重要で 間違いなくそれがわかれば 自動的に個性についてもわかるようになる 比較も承認もいらない ただ自分を知っていけば 無事に生きられる 二階堂新太郎
俳優がやるべきことは 自分を見せること、魅せること、 ではなく 自分が誰かに寄り添うこと。 俳優は他者の人生を生き それを表現するのが仕事。 今の日本の俳優で活躍している人たちの顔を よく見てみたらよくわかる。 美男美女であること以上に、 人に寄り添う"心強さ"を皆持っている
「気安く話しかけて来てんじゃねえよ」 っていい台詞だな。 偽善のブラックホールに呑まれずに済む台詞。 正しいよ、生き物として。 至極真っ当。至極真っ当。
最早本来の意味を失ったハラスメントは "なんにでもマヨネーズ"と同じ扱いで "なんでもハラスメント"となり 強いては"ハラスメント扱いするハラスメント" 略して「ハラハラ」なるものまでが登場し 「ハラハラって言われないかハラハラする」 という親父ギャグまでもが生まれた#風刺SF
シナリオを書く為の時間の中に ただ言葉を並べるだけの時間というのが どれくらい役に立つのかはわからないが ただ個人的な"わたし"という人間の作家性は 今日も鮮明に現れている
SNSなんてなくてもいいって SNSに書いてる私はマイネームイズぼっち 二階堂新太郎 2024.09.20
見た目以上に中身のいい男も女もいる それがわかるかどうかというのは 人生においてとても重要なことだったりする
ここ最近書いていたnoteを同じテーマの物で まとめてみた時に まるでジキルとハイドの様な 一人の人間が書いているはずなのに なぜか論争が巻き起こってて 我ながら面白いと思った