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恋愛における信用の意味

※前置きの補足として
この手の話の際に「依存・執着」で
論点がズレるので先に書いておくと
相手に依存してしまう人のケースでは
癇癪(かんしゃく)を起こすことがあるが
相手に依存をしない人のケースでは
1発アウト判定で別れることがある。
またここの判断基準については
千差万別になるので
あくまでもわかりやすい
それぞれのケースとしての補足に留める。

なんで信じてくれないの?


大昔から今でも変わらず
よく昔から目にしたり耳にすることで
わかりやすいテーマとしてあるのが

「彼女や彼氏、恋人が出来てからも
異性の友達とふたりで出掛ける論争」

これは結論をいえば
あくまで男女間での恋愛の目線にはなるけど

「相手の幸せを考えられる友人なのか否か」

そこを見ているということに他ならないんだ。

"友達のことはお前に関係ないやんけ"
と言ってしまうのは乱暴なわけで

「その友人はちゃんと
人に対しての配慮があるのか否か」

恋人はそこを見ているんだ。

「お相手の方が不快に思うんじゃないか」
「周囲から見たときによく思われないだろう」

そういう目線がある人なのか否か。

大昔から今だに変わらない話として
恋人のいる異性や
ましてや既婚者の異性と
ふたりで出歩く事に対して
有名な人の場合なら
「軽率な行動を取り」と
謝罪することにも成りかねないほど
いつの時代も
良い印象を抱かれないけれど

そこにはその友人が
「相手のパートナーを無視してしまっている」
という事実が明確に現れているからで
人としての配慮があるか否かという事が
すでに行動として
「配慮がない人」として現れてしまっているから

だから例えばあなたが
"一途で浮気なんて全くあり得ない"
というタイプの人だったとして

「こいつは、この人は、本当にただの友人です」

と思っていたとしても
またそれを相方や周囲に訴えたとしても
厳しい話だけど昔からこういう場面では
それは自分都合の自己弁護としか思われない。
これもまたやはり「相手を無視しているから」

そしてこれはもう僕の文筆ではいつもながら
「相手を無視している、ということは
つまり、自分のことを無視しているから」

「自分は別に好きにしたらいいと思ってるけど?」

という人に限って、全くそんな事はない。
ただそれは
相手からよく思われたい見栄だけの行動として
実際にこれも昔から世界中のテレビや映画でも
身近な形で実証されている普遍的な話。

だから人を優先してしまう人ほど
その辺で苦労する人も多いので
まずは相手がどう感じるかの前に
仮に
「自分がこれを相手にされたらどう感じるか」
を本当のシンプルな本音の部分を抽出した方がいい。

まずはそこに想いを巡らせることが
「互いを大切に想う」という言葉の
(互い)=(自分と相手)
「どちらも大切に想う」という
本来の意味を持ったものとなって
またそれがはじめて行動となって
ようやく意味を持つ
のではないのかなぁと思っている。

なんでこんな急に説教じみた話を
と思う方もいれば
本当そうだなその通りだな
と思う方もいるのがまた不思議なんだけど

つまりは
「本当に自分を愛せているか」

もうすっかり最近のメインテーマでもあるけど
今書いているこれについてもそうで
佳き人間関係のすべては「双方の自立」
という所に差し当たって
繰り返しにはなるけれど
相手はもちろん、相手の友人が何よりも
「社会的に配慮のある人間か」
を見ているのは他でもなく
またその人が
「自分の取る行動の意味や
その振る舞いの意味を理解しているのか」
を見ていて
つまりその人がちゃんと
自己愛と自分の軸がある人ならば
恐らくは相手方に対して配慮や遠慮をする。
それはいつの時代も変わらず。
という事を知っているからこそ見ている。

まぁこの辺りは最近の僕の気づきから来る
持論の部分も色濃く反映されてはいるけれど
ただ人の深層心理としても
概ねはこういう事ではないかとも感じる。

そして「人との付き合い方」について
最後にひと言

「人との付き合い方は人生を左右する」

どんな努力をしても、どんな苦労をしても、
必要な人数・必要な距離感・必要な密度
これらが自分にとってそれぞれ
どのくらいがバランスを取れるのか。
ここを知らないと何の意味も成さない。

友達100人出来るかなという
一年生の歌が嫌いな人は沢山いるけど
ただそれ以上に本当は大嫌いなのに
それを無視して無理して暮らしている人が
ものすごくたくさんいるのが世界の事実。
そりゃあうまくいく人の方が少なく見えるのも
納得だなと感じる。

器の大きい人もいれば
僕みたいに対人キャパが
お風呂の手桶くらい小さい人もいる。
僕は大企業の社長に憧れてきたけど
そんな器のデカい人間じゃないと
36歳ももう終わるのに最近やっと悟った。

だからここからは
益々自分を極められると思う。
僕の中にある世界を届けるという意味で。

話変わってるなあ!!

おしまい

2024.05.14(火)
二階堂 新太郎

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