見失わない為には、ちゃんと、目を閉じることが大切
目の前にある何かについて
相変わらず気がつくと
自分の軸を
僕はすぐその対象となる物事や人など
自分の外に置いてしまう悪い癖が
まだまだ抜け切れていないなって
自覚することがある。
ただこれを今書けているという事は
そうなりかけのタイミングで
この事実に自分から気がついて
自分に軸を戻せた。という証明に他ならない。
自分のペースをちゃんと護れる人を
本当に尊敬する。
正直かなり羨ましいと感じる瞬間もある。
しかし、とはいえ
でもそれもどこかで
意識を変える為の努力をした・してきた人
なんだと思うし
もちろん生まれつきの性格の人が一部いても
日々の中で自分のペースを保てるよう
時間を使い分けたりしている人が沢山いる事実に
やはり羨ましいなんて失礼な話だし
そこに対しては敬意を感じる。
人を傷つけてしまう時は
自分の気持ちを置き去りにしているときだと
気がついてから
これまで何度となく僕はここで文章にして
書き続けてきた。
何かに対して我慢をしてしまい
その結果として
酷い言葉かもしれないとわかっていても
言葉が止まらなくなってしまうのは
自分の辛さをわかって欲しいから。
でもその辛さを本当にわかって欲しいのは
目の前の相手にではなくて
何よりそれを我慢している自分自身になんだ。
自分自身へのSOSなんだ。
悲鳴を上げているのは、自分に対してなんだ。
我慢するくらいなら手放せばいい。
でもそんな簡単に手放せないのなら
ちゃんと目を閉じる。
視界に入るものではなく
音を聞く感覚。
自分の気持ちに耳を傾ける。
目を閉じると、色んな音が聞こえる。
本当の声が聞こえる。
自分の正直な気持ちが聞こえる。
おしまい
2024.08.01(木)
二階堂 新太郎