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葛藤

ちょっと昔の僕なら全く理解出来なかった種類の
葛藤について思ったこと。

それは
「相手を想うからこそ自分はいるべきではない」
という葛藤。

最近観たとある作品で
それをとても痛く苦しいほど共感し、
そんな今の自分に対して
とても人間らしくなったと
驚きも感じたりしつつ

相手の為に「言う」のではなくて
相手の為に「言わない」という選択

無理に何かを伝えたところで
結局は本人が自発的に進んでやった事でないと
何も意味がないというのが事実で

そこをわかった今の僕にとっては
とてもよくわかる選択だなと感じながら
「本当に人を、相手を想った行動」
というのはきっと
「自分の気持ち」すらも
何も言う必要が無い場合もあるのかも知れない。

ハッキリ言うことが良いと
昔は僕も思っていたけど
それでも本当に相手を傷つける言葉ではない
愛のある言葉だけを交わせることはないし
その時のなにかたったひと言で
すべてが終わってしまう事も知っている

だからこそ、自分自身の本音に
よく耳を傾けていなければ
相手の声も、言葉も、きっと聞こえない。

僕のnoteのプロフィールに
もう2020年から載せている言葉がある

それというのは

言葉は自分のためのもの
人を想うなら
耳を傾けて  耳を澄ませて

二階堂 新太郎

本当に我ながらまた今こうして
言葉を並べつつ
その通りでしかないなと改めて実感する。

相手のためにかけられる言葉というのは
もしかしたらこの世にはないのかもしれない

僕はますますこの先
人へかける言葉がなくなっていきそうだ


2024年6月15日(土)
二階堂 新太郎

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