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【人の機嫌や顔色を伺うのを辞められた理由に繋がった発見】

過去の自分と180度、物事の捉え方が変化し
また現在進行形でさらに変化し続ける
自分自身を通した「人間の普遍の記録」
という気分で
いつも通り個人的な話を今日も書いてみようと思う。

好きも嫌いも自分の勝手、相手の勝手


最近あらためてふと頭に過ったこと
それは
「人を好きになる」という動詞に対しては
好きになられた方からすると
「なぜ好きになられたらかわからない」
という風に"相手の価値観目線の捉え方"
になるのに対して

「人を嫌いになる」という動詞に対しては
嫌われたと感じた方からすると
「どこを嫌われたのだろう」とか
「どうせ自分の〇〇が」とかみたいに
"自分の価値観目線の捉え方"になってしまい
何故か単なる相手の好みや
その時の機嫌に対して
"自分の非を探したり、自己否定をはじめてしまう"
という捉え方をする事が、
殊、僕ら日本人には凄く多い様な気がしていて。

僕自身も物心ついた頃からずっとそうだったし
自分の身近な人でも、そうでない人でも、
映画やドラマや漫画やアニメの
登場キャラクターでも、
昔からそういう捉え方をする人たちが
すごく沢山いたなと思った。

ただやはり今書いた通り、
これは「物凄い矛盾した捉え方」

例えば、
食べ物の好みにしても
乗り物に乗れる・乗れないの好みにしても
この色が好き・この色は嫌いという好みにしても
数字でもなんでもそうだけど
人の好み=好き嫌いなんて
本人もその理由がわからないほど
本能的なことだったりもするくらい
なもので
しかも
好きになられた事に対しては
相手の好みだからわからん、となるのに
嫌われた事に対しては
自分のどこが悪かった、みたいになるのは
まじで意味不明な捉え方でしかないなと
気がついてしまったんです。

いやそんなん知らんし、でしょって。

わかるわけないそんなもん。
合わへんと思うんやったら仕方ない。

でもこの捉え方の人が多くなる理由の
大元にあるのは
「右向け右、左向け左」という
古い古い日本のまだまだ拭い去れない、
というか未だに日本全国どこに行っても
外資系の企業とかでない限りは
ほとんどの職場環境でも深く残っている
軍国主義的な
「歳上が歳下を抑え付ける年功序列なシステム」

歳上の好みに歳下が合わせる、だとか
女性をまだまだ下に見ていたり扱う
という
無自覚な思想価値観が
根深く受け継がれていること
それに連なって、
親子の間でもこれが
当たり前に行われたり
もしていて
結果として
「嫌われるのは自分に非がある」
という謎の捉え方

まるで生きながらに刑務所にいる様な
恐ろしい物事の捉えさせられ方。

ここから抜け出す事に自覚的になって
これを辞めたい、辞めたいと
祈るような想いで願い続けなければ
僕も一生苦しんだままだった。

どうやって個人的に
この捉え方を変えていったのかは結論
僕は完全にひとりになった。

誰の価値観にも左右されない。
とにかく物理的に1人になって
noteで記録のように自分の心境の変化や
見て触れたものから感じたことを
言葉にして書き続けた。

言葉通り、誰にも邪魔されずに。

そんな中で久々に再会した人の数人から
「本人も無自覚な嫌味」
を言われたこともあったが
そういう人はSNSの繋がりなども含め
こちらから絶った。

僕は僕の心を護ることに徹した。
これ以上もう僕に
苦労も不幸も必要ない。
とにかくそれだけを念頭にして。

だから改めて、
またもし今後、僕自身が
何かに左右されそうになった時のために
自分の為の記録の意味を込めて
ちゃんとこうして今日も書いておく。

おしまい

2024年7月16日(火)
二階堂 新太郎

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