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【歴史20】カナダ史備忘録18(ラムトン・ダラム報告・連合カナダ植民地・キングストン・オタワ・ブルース総督・ボールドウィン・ラフォンテーヌ)
カナダ史の学習内容を深めていきます。 ①1838年にニューファンドランドを除く英領北アメリカ総督としてジョン・ラムトン(ダラム報告)が着任した。英領北アメリカの実情を調査してイギリス議会にダラム報告を提出した。 ②ラムトンはカナダ内の改革派が要求していた責任政府の樹立を認めてアッパーカナダとロワーカナダの統合を主張した。この頃の人口数は合わせてイギリス系住民が約55万人、フランス系住民が約45万人と推定されていた。 ③両地域を統合して住民に立法議会と行政府を運営させれば
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【歴史20】カナダ史備忘録17(リドー運河・英領北アメリカ移民・アメリカ南部労働者・パピノーの反乱・マッケンジーの反乱)
カナダ史の学習内容を深めていきます。 ①米英戦争後にイギリスとアメリカは協定を結び1818年に五大湖の西からロッキー山脈まで北緯49度線をイギリス(英領北アメリカ)とアメリカの国境とする事が決まった。 ②イギリスは軍事輸送を目的としてオタワ川とオンタリオ湖を結ぶ全長200kmの運河を1832年に完成させてアメリカへの防備を固めた。北米大陸で最古であるリドー運河は2007年にユネスコの世界文化遺産に登録した。③北米大陸が平穏となりイギリスからの英領北アメリカへの移民が増えた
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【歴史20】カナダ史備忘録13(13植民地課税・ケベック法・第1回大陸会議・アメリカ独立戦争・パリ条約(1783年)・アメリカ合衆国創立・英領北アメリカ)
カナダ史の学習内容を深めていきます。 ①1763年のフレンチインディアン戦争の終結後にイギリス国王ジョージ3世は北米大陸の植民地に布告を発した。 ②(1)植民地と先住民の衝突を防ぐために五大湖周辺を含むアパラチア山脈から西を先住民の居住地とする事、(2)新しく英領となったケベックに議会の設置を認めるがカトリック教徒は議員になれないという内容であった。 ③この時期にフレンチインディアン戦争によって多額の戦費で困っていたイギリス本国は13植民地に印紙税や砂糖税などの税を課し
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