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【歴史20】カナダ史備忘録17(リドー運河・英領北アメリカ移民・アメリカ南部労働者・パピノーの反乱・マッケンジーの反乱)

カナダ史の学習内容を深めていきます。

①米英戦争後にイギリスとアメリカは協定を結び1818年に五大湖の西からロッキー山脈まで北緯49度線をイギリス(英領北アメリカ)とアメリカの国境とする事が決まった。

②イギリスは軍事輸送を目的としてオタワ川とオンタリオ湖を結ぶ全長200kmの運河を1832年に完成させてアメリカへの防備を固めた。北米大陸で最古であるリドー運河は2007年にユネスコの世界文化遺産に登録した。

③北米大陸が平穏となりイギリスからの英領北アメリカへの移民が増えた。1815年から1865年まで100万人となった。

イギリスの大量失業者を英領北アメリカをはじめとする海外植民地が受け入れた。

④英領北アメリカからイギリスへ木材を運ぶ輸送船は英領北アメリカに戻る際には大量の移民を乗せていた。イギリス以外からはドイツ語圏の新教徒が移民した。

⑤アメリカ南部の大農場では多くの黒人奴隷が労働に従事した。厳しい労働から逃げ出す奴隷は英領北アメリカに流入した。

⑥アッパーカナダではイギリス本国と植民地に先駆けて奴隷取引を禁じる反奴隷法を1793年の議会で成立していた。

⑦1830年に英領北アメリカへ逃れた元奴隷のジョサイア・ヘンソンの体験記をもとにアメリカ作家のハリエット・ストウによる『アンクル・トムの小屋』が書かれた。

1852年に刊行されたこの小説はベストセラーとなった。アメリカ奴隷制度廃止が議論される一因となった。

⑧移民人口増加により住民間で政治主導権の対立を招いた。カナダには地域ごとに立法議会があったが実質的な地方政府である行政評議会が政策を決めていた。

⑨ロワーカナダでは総督が自らに忠実なイギリス系の住民ばかりを行政評議会の成員としたので多数派のフランス系住民は無視された。

立法議会でフランス系議員の中心であったルイ・ジョセフ・パピノーが立法議会の権限拡大を訴えた。

⑩1837年11月にパピノーとその賛同者は反乱を起こした。カトリック信仰の保証やイギリスに従順な保守層がフランス系住民には多かったので反乱は支持されなかった。

⑪パピノーはアメリカへ逃亡した。1838年11月に反乱鎮圧され首謀者の12名は処刑され他の数十人は英領オーストラリアへ流刑となった。

⑫アッパーカナダでは少数の古参ロイヤリストが立法議会と行政評議会を仕切っていた。政治活動制限があった新移民の不満は高まっていた。立法議会議員のウィリアム・ライアン・マッケンジーは多くの民意を政治に反映しようとした。

⑬立法議会から選出された者が議会に対する責任を負って行政担当を行う責任政府樹立を主張した。マッケンジーは人々から支持を受けて初代トロント市長となった。ロイヤリストである保守派は総督と結託して政治活動を妨害した。

⑭マッケンジーは政府への反発を強めた。ロワーカナダの反乱に呼応してアッパーカナダでも反乱が起きた。賛同者が少なかったためすぐに鎮圧された。マッケンジーはアメリカに逃亡して主要参加者は死刑や流刑となった。

⑮両カナダの反乱は失敗した。イギリス本国では都市住民の増加により選挙権の拡大や労働者の待遇改善が推進された。その影響は植民地住民の権利拡大につながっていく。

■参考文献 『1冊でわかるカナダ史』細川 道久 河出書房新社

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