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【歴史19】エジプト史備忘録32(サラディン・アイユーブ朝・第3回十字軍)

エジプト史の学習内容を深めていきます。

①ヌール・アッディーンが派遣したエジプト遠征軍の司令官はシールクーフというクルド将軍であった。彼と兄のアイユーブはイラク北部ティクリートの出身であった。

②そしてモースルに移ってヌール・アッディーンの父ザンギーに仕えた。アイユーブの息子でシールクーフの甥にあたるのが対十字軍の英雄であるサラーフ・アッディーン(サラディン)であった。

③シールクーフは3度にエジプトへ遠征した。エルサレム王国軍とそれと結んだファーティマ朝の軍勢と戦いを繰り広げた。1169年にシールクーフはカイロ入城を果たした。

④シールクーフはファーティマ朝の宰相となりエジプトの支配者となった。シールクーフは在任2ヶ月で亡くなった。宰相を継承したのがエジプト遠征軍に参加していた甥のサラディンであった。

⑤サラディンは宰相としてエジプトの実権を得た。ここからアイユーブ朝が成立した。ファーティマ朝カリフは政治に介入せずに1171年に宮殿で亡くなった。

⑥サラディンはファーティマ朝のシーア派政策を転換した。エジプトにスンナ派の国家体制を確立した。

⑦アッバース朝カリフに忠誠を誓った。スンナ派の学問を教えるための学院を建設した。カイロとフスタートに複数つくった。新しい支配拠点としてカイロとフスタートの中間にあるムカッタムの丘に山の城塞(カルア・アル=ジャバル)と呼ばれる王城を建設した。近代になるまでここがエジプトの居城となった。

⑧サラディンがエジプトで独立の姿勢を強めたので主君であるヌール・アッディーンとの軋轢が生じた。1174年にヌール・アッディーンは亡くなり息子が後を継いだ。

⑨サラディンは君主の交代で動揺するシリアに進出してザンギー朝の領土を少しずつ併合していった。1186年までにサラディンはザンギー朝のシリア領土を併合した。エジプト・シリアにまたがる勢力となった。

⑩1187年にサラディンは十字軍国家の連合軍をパレスチナのガリラヤ湖西方のヒッティーンの戦いで倒した。勝利したサラディンはそのままエルサレムを奪還して十字軍国家を征服していった。

⑪サラディンはエルサレム奪還にきた第3回十字軍と激闘をした。1192年にイングランド王リチャード1世と停戦協定を結んだ。次の年にサラディンはシリアのダマスカスで亡くなった。

■参考文献
『1冊でわかるエジプト史』 山崎世理愛 五十嵐大介 河出書房新社

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