p60~ ・テーマはかえって小説の運動を妨げる 感覚的に思い出されたのが、自己紹介の窮屈さだ。 私は自己紹介を書くのが苦手だ。というか、好きじゃない。 妙なところで記憶力がよく律儀なので、書いたことに忠実であろうとしてしまい、身動きがとりにくくなる。
p86 小説のネガティブな磁場に冒されないで、人間をポジティブに書く=何かを志向している面を書く 安吾さんの言っていたことと重なることが多い。 安吾さんは深刻ぶるのを本当に嫌っていた。 そして、良く生きるということを志向して書いていた。
p89 登場人物に“役割”を与えない 安吾さんも人を類型的に扱わないということについて書いてたな。どこでだったけ。
「~ます。」という語尾と「~だ。」という語尾が混在している。 校正で直されそうな、ですます調とである調との混在に、その使い分けに保坂さんの「感じ」がでている。 「小説の書き方マニュアル」本では、こういう「感じ」は消されてしまっているのだろうか。今度試しに見てみようかな。
p101 停滞や歪みが起こるのが会話 映画監督の今泉力哉さんもツイッターで関連したことを言っていた。たしか、会話では同じ言葉を重複して言ってしまうことがよくあるから、映画のセリフでも敢えてそうしているとか、そんな感じのこと。
p194 小説には「笑い」が必要だ。 笑いは、とことん無意味でばかばかしくあるべきだ。 またまた、安吾さんと通じるところが出てきた。 安吾さんの『ピエロ伝道者』『FARCEに就いて』を思い出す。
保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』読了。 読みながら連想したことはつぶやいたので、振り返りたいときに振り返りたいところを振り返ることにする。 書評は書かない。 これから何回か読むうちにこの本に書かれていることについて考え、自然と書く文にも出てくるようになるだろう。
p215 書くこと(書きあぐねること)の心細さを信じてそこに留まりつづけた。 留まりつづける、ということから連想されたこと ・太宰さんの『答案落第』「大マラソンである。」 ・坂口恭平さんの『継続するコツ』
p138 ストーリー・テラーは、結末をまず決めて、それに向かって話をつくっていく たしか平野啓一郎さんと金原ひとみさんの対談で、あるシーンを書きたくて、それに向かって小説を書く、という話があったと記憶しているが、それは保坂さんによればストーリー・テラー的な書き方だと言えるだろう
p102 発言のつまらない「裏読み」はしない 相手の発言を裏読みすると、会話はそこで終わってしまう まず言葉通りに受けとめること 以前受けたコーチングの授業で、勝手に解釈をしないことや、相手の発言をそのまま繰りしつつ話を進めていくということを聞いた。身に覚えのあることでもある。
p101 「会話を書く」ことは会話がなされる空間を書くこと 永井一郎さん『朗読のススメ』の次の文を思い出す。 「イメージを「目の前の絵」から「今いる空間」に変える」、すなわち、「イメージを絵ではなく、立体、環境として捉え、その中に自分を置くこと。」
p61 作品には作品固有の運動がある。 以前は評論と小説は別物だと考えていた。評論はある一つの主張とそれを支える根拠によって成り立つもので、構造さえわかれば文の流れは大して重要ではないと思っていた。が、千葉さんや國分さんの著書を読んでいて、小説的な評論があるということを知った。
p52~57 外から見る・俯瞰するのではないということ。 「俯瞰できない対象を俯瞰せずに思索したプロセスの全体」 ここはまた読み返したいな。 ふと浮かんだのは、太宰さんの「主観的たれ!」という一言と、國分功一郎さんの「中動態」の考察。
p40 小説以外のことを考え続けてみることを私は勧めます。 安吾さんの『新人へ』にもそんなようなことが書いてあったと記憶している。
p28 それらは絶対に必要なのか? p30 本当に自分が書きたいことは何なのか、それを書いている時間を通じて自分が考えたいことは何なのか、ということを考える 安吾さんの「必要」と通じる。
p24 二時間で三枚。それを一週間続ければ二一枚という単純計算が絶対に成り立つ。 保坂さんも「ジム」をしている。 坂口恭平さん『生きのびるための事務』との関連。
p18 新しい面白さというのは、新しいがゆえにそう簡単には読者には伝わらない。 千葉雅也さんの「変化は最初、劣化の顔をしている」の記事を思い出す。
・直感的な認識が非常に多くの情報量に裏打ちされていることは、八〇年代からかなり理解されている。 ・論理的に説明しないと理解できない、というのは六〇年代、七〇年代の思考様式 わかりやすいことやエビデンス主義がもてはやされる現在は、後者が強い傾向にあるのかな。
17ページに、きわめて“社会化された人間”は「大変だから大変」だということが理解できない、とある。 兄と母の会話が思い出される。
「思い出すこと、忘れないこと、見えなかったものを見えるようにすることには、それだけで意味があるはずだと私は思う。」 書く、表現することへの肯定。 「意味があるはず」と曖昧に信じるということはかえって強固なのかもしれない。
これから保坂和志さんの『書きあぐねている人のための小説入門』を読む。 保坂さんという作家を知ったきっかけは武田砂鉄さんのエッセイで、その後千葉雅也さんや坂口恭平さんの著作でも幾度も言及されていたので興味を持った。