【ダークファンタジー】 吸血鬼と月夜の旅 -第1話-

初めに

この作品はフィクションであり、実際の人物、団体などとは一切関係がありません。
また、この作品には流血、暴力的な表現をはじめとしたグロテスクな描写が多く存在いたします。 そのようなものが苦手な方は、この作品を見ることを推奨しません。 ご了承ください。



~作品のあらすじ~

 かつて自身の故郷、住みかを追われ、一生のうちの長き時を放浪の生活をして暮らしてきた吸血鬼、エルジェベド。
 この世界において吸血鬼とは、恐れられ、忌み嫌われ、そして命を狙われる化け物と同義の存在、生きることを許されない存在。 しかし彼女は幾度とない悲劇に見舞われ、心無き暴力にさらされても決してその命までを奪われることもなければ、自身の夢を忘れることもなかった……
 この物語はエルジェベドという名の吸血鬼が自身と目的を同じとする者たちを仲間に、自らの夢、だれにも傷つけられることのない安寧の地へとたどり着くことを目的に放浪の旅を繰り返す話である

第1話

何もかもを失って

 時は深夜、空には大きな月が浮かぶころだった。
 その月は三日月ではあったものの、とても大きく空に映り、まるで手を伸ばせば届いてしまいそうなほどであった。

 そんな夜、とある山の上の古城の中にて——
 一人の男、一人の女が、互いにじっと顔を見合わせていた。
 男は白と黒のスーツをまとっていた。 艶やかで丈夫そうな、丈の長いスーツ、それはまるで鎧にも見えた。
 彼はそれだけではなく、その手にしっかりと銀色に輝く剣を握り、それをまっすぐ女の方に向けたまま彼女をじっと睨みつけていた。
 一方女は灰に包まれたようなくすんだ色のドレスを身にまとい、地面にへたんと座り込んだまま真っ白な引きつった顔を男の方へとむけていた。
 彼女の顔が白いのは、ただ恐怖に襲われているからではないことを男は察していた。

 「お前が、放浪の吸血鬼、エルジェベド……ようやくここまで追い詰めた。 お前ももう、今日で終わりだ」

 男は目の前の女性に向かい、そう言い放つ。

 「お前ら人間は——いったいいつ、私がお前らに何をした? この私が殺される理由など、どこにも――」

 エルジェベド、と呼ばれた女はそう声を張り、目の前にいる男を糾弾する。 しかし、その男はだから何だ、それがどうしたとでも言わんばかりに大きな声で彼女に向かい言い返した。

 「殺される理由だと……? そんなもの、お前が吸血鬼だからに決まっているだろう。 お前ら吸血鬼がいつどこで何をしたかどうかなど、関係ない。 どうでもいいことだ」
 「——はぁ、案の定」
 「これ以上お前が何を言ってももう聞かん。 とっとと始末させてもらうっ!」

 次の瞬間、エルジェベドは勢い良く立ち上がり、恐怖のままに急いでこの場から逃げだした。
 目の前の男は自分を殺す気でいた、このままでは……そう考えるよりも先に、体が動いていた。 どうにかして逃れようと、この城の奥へ奥へと駆け出していった。

 「っ! 逃がすかっ!」

 一歩遅れて、男も彼女の背を必死の形相で追いかける。
 部屋を抜け、階段をのぼり、家具などを倒して時間を稼ぐも、ニ人の距離は離れることはなく、むしろどんどん追い詰められていった。
 そして——彼女はとある一つの部屋にたどり着き、そこで足を止めた。

 「ここ、は……」

 そこはこの城の最上階。 いわゆる展望台のような部屋だった。
 彼女は窓を開けバルコニーへ立ち、柵から身を乗り出して下の様子をうかがう。 ここから下の世界は真っ暗闇に包まれており、もし飛び降りて逃げようものならどうなるか分からない。

 「ここからは、無理そうだな……。 どこか別の逃げ道を——っ!」

 早くこの部屋から出て、違うところへ逃げなければ——そう思い立ちバルコニーから戻ろうとした時、男もまたこの部屋へたどり着いてきてしまっていた。
 彼は血走った眼を、まっすぐ彼女に向けたまま絞り出すように声を出す。

 「はぁ、はぁ……どうやらここまでのようだな」
 「……そうみたいだな」

 突然、彼女の左肩に激痛が走った。
 焼けつくような痛み、指先の感覚は早々に薄れ、足元には小さな深紅の血溜まりができあがっていた。
 彼女はふらつきながら前を見る。 男はいつのまにか銃を取り出し、それをこちらへと向けてきていた。

 「チッ、外したか......」

 もう一度、二度、さらに数度、力強い炸裂音が城内に鳴り響く。
 エルジェベドは両腕を、両足を、体のいたるところを撃ち抜かれ、立っていることすらできなくなった。

 「いや、こっちの方が吸血鬼にはふさわしい......存分に苦しんで死ねばいい」

 逃げ道は、助かる術は、ない。
 今ここでどのような行動を取ろうが、目の前の男に敵うはずもなく、この状況を覆すこともない——
 そう、考えてるだろう。 もし今この場にいるのが、彼女でない者ならば。

 「もう抵抗する気も失せたか」

 そんなことはない。 むしろ起死回生のチャンスを、彼女は今か今かと待っているところなのだ。
 今彼女の考えている作戦がうまくいくかはわからない。 成功する確率の方が低いだろう。 だが......

 (もし、選ぶとするなら......わずかでも未来のある方へ......!)

 かちん、かちんと何度か音がなる。 どうやら男は持っている銃の弾丸を全て撃ちつくしたようだ。
 彼女は灰色の服も、髪も、真っ白な肌も、石造りの城の床まで己の血で真っ赤に染め上げていた。
 男は銃をしまい、剣を構えなおし、彼女の顔をみて話しかける。

 「これで最後だ。 何か言い残したことがあるなら、一つぐらいは聞いてやる」

 そう、問いかけてきた男に向かい、彼女はうっすらと笑みを浮かべる。
 その様子が不審なものであると気がついた男は、何か胸騒ぎがした。 何か自分は——間違ったことをしたのか?と。

 「そうだな、言い残したことか......」
 「早く言え......!」
 「では、これだけ。 私を散々痛めつけてから殺そうとしたのは、判断を誤ったな、と」

 この場から、異音が聞こえてくる。 しかし、その原因はどこにも見えない。
 何かまずいことが起こる。 そう判断した男は剣を構えたまま女の元へ迫るが——

 「一歩、遅かったな!」

 彼女の今いる場所、最上階のバルコニーが丸ごと崩壊した。
 一体何が起こっているのか、男はわからなかった。 しかしその原因を、すぐに知ることとなった。

 「散々私を撃ってくれたおまけだ! これでも、食らいなっ!」

 彼女の大きな声と共に、鳥の翼のような赤い刃物が数本、男めがけて飛んできた。
 幸いにもその狙いはあまり正確ではなく、男はただ突っ立っているだけでその全てを躱すことができたが、彼にとってはそれどころではない。
 男はすぐに、崩れ落ちたバルコニーの下を覗き込む。 真っ暗な世界。 そこに何があるのかも、彼女がどこへ落ちていったのかもわからない。

 「くっ、逃した......! あの吸血鬼め......!」

 男が振り返り、部屋に飛び散った刃物を拾い上げて確認する。
 真っ赤な刃物。 質感、触り心地、そして......異様なこの臭い。 男はすぐに、その正体に気がついた。

 「これは......血か? 奴の血液で形作られているというのか?」

 ということは、あのバルコニーもこの血の刃物を作る要領で......そこまで想像を張り巡らせた時、彼は自身の行動を後悔した。

 「まんまとしてやられたと言うことか......? この、クソが......!」

 怒りに満ち溢れたまま、男は小さな箱のようなものをいくつかあたりにばら撒いた後、古城を後にしたのだった......

 それから数時間後——
 ここは深く暗い森の中。 時折ガサガサと、何者かが草木を揺らしかき分けるような音が聞こえる以外は、何もない。 静かな森の中。

 真っ暗な暗闇の、ほんの小さな隙間から零れ落ちる月のひんやりした光が、何者かの体に降り注ぐ。 そしてその者の目を覚まさせる。

 「う、うぅ……ここは……」

 そう、その者こそが、つい先ほど自らの命を狙わんとするものからの逃亡に成功した、あの吸血鬼だった。 半径5,6mほどの血の池の中心に、脱力しきったように寝そべっている。
 とは言っても——彼女は確かに目を覚ましたが、一向に動く気配がない。 体を起き上げようとすらしない。 あの時男に撃たれた傷が、そして崖の上の城の最上階というかなり高いところから落下したことによる衝撃が、彼女が動こうとするのを阻んでいるのだろう。

 「おお、月だ……綺麗だな」

 ただ彼女は全身の怪我などお構いなしにぼんやりと空を眺めている。
 相当高い位置から落下してきた時にその辺の木の枝をへし折ってできたのだろう、森の中にぽっかりと空いた大きな覗き穴。 そこから見上げる景色を、彼女は自分の怪我が治るまでのんびりと天体観測を楽しんでいた。
 もとより彼女は吸血鬼。 たとえ全身の骨が粉々に折れたとしても、十分な時間さえあれば元通りに再生することだってできる。 わざわざこの状況について彼女が焦ったり悩んだりする必要などないのだ。

 ただ——そうもいかなくなってきた。
 先ほどから何度か聞こえる、草木をかき分ける音。 それがだんだんとこちらへ近づいてきているのだ。
 風が吹いたからその音が鳴っているわけではない、ということはすでに彼女も気づいている。
 獣だ。 おそらくは大型の獣が、ゆっくりとこちらに向かって迫ってきている。 彼女が流し、ここら一体に広がった大量の血の匂いを嗅ぎつけ、こちらへと近寄ってきているのだ。

 「想像していたよりは、ちょっと早かったかな……?」

 その獣が、彼女の前へ姿を現した。 周囲の暗がり、それに加え大怪我で視界が少しぼやけてしまっているためか、かのっ所にはその獣の姿をはっきりと確認することはできなかった。 ただ、大きな熊のような生き物であることぐらいは判断が付いた。

 獣はゆっくりと、いちいち確かめるようにして彼女へとにじり寄っていく。 びしゃっびしゃっと、血にまみれた草を踏みしめるいやな音が静寂を乱す。 
 彼女も能登へとたどり着くと、その獣は彼女を鼻先で数回ほど頬をたたき、前足を使って転がすように放り投げたりもした。
 その間彼女は一切の無抵抗だった。 声を出すことも、まともに動かない四肢で暴れることもなく、全身の力を抜いてそれらの暴行を受け止めていた。
 まるで、今から食われることを待ち望んでいるかのようにも見えた。 おとなしく餌になる決意を決めたかのようにも見えた。

 彼女は獣につかまり、その体をひょいと持ち上げられた。 体中の骨が砕けてしまっているからか、胴体のありえない位置から彼女の体が前へ折れ曲がる。
 このまま食われてしまっては、体がばらばらに引き裂かれてしまっては、いくら再生能力の高い吸血鬼と言えど元通りになることなどできない。
 そして彼女をどこから食おうかと、獣が彼女の体をもう少し上へと持ち上げた時——

 「いい子だ。 私の理想通りに動いてくれて……」

 と、小さくつぶやいた。
 そして力なくだらんと垂れ下がっていた上半身をわずかに反らせ――獣の首元へ、勢いよく鋭い牙を突き立てた。
 突如としてその身に降りかかる、死の脅威。 あまりの衝撃と激痛に悶え、なにをされているのかさえ分からずに力なくのたうち回った。
 あの獲物が自分を襲っているんだ、と気が付いた時にはもう手遅れ。 ものの数秒ほどで獣からすべての血は彼女に吸い尽くされてしまったのだ。
 血を失った獣はまるで干し肉のように枯れ果てしぼみ切ってしまい、音もなく地面の上に崩れ落ちた。

 「ありがとう。 そして、すまんな。 私だって腹が減っていたし、生きることについては必死なもんでな」

 彼女は体についた泥を払いながら、足元に転がる干し肉を冷めた目で眺めつつそう告げる。 彼女なりの勝利宣言だ。
 銃に撃たれ、はるかな高所から落下した多数のひどい怪我も、いつの間にか治っている。 大量の血を摂取したおかげか、今はもう両の足で立っていることも可能なまでに回復していた。

 「一か八かではあったが……うまくいったようだな」

 無抵抗なふりをしてわざと相手からの攻撃を受け、流れ出た大量の血によってバルコニーを破壊、そしてここまで落下。
 この下に広い森が広がっていることは、つい先日までこの城でくらしていた彼女は知っていた。 もしあの城のどこからこの森へ落下したとしても、死ぬことはないことは分かっていた。 あくまで最終手段としてだが——
 その後、自分が負うであろう大怪我は時間経過か手ごろな獣の血を吸って回復する。 今回は偶然にも早々に大型の獣がやってきてくれたので、一気に全快まで回復することができたのだ。

 「どうせまたいつかは私を殺しにかかってくるだろうが、とりあえずはつかの間の自由を手に入れた、ということか……」

 彼女はもう一度、木々の隙間、というより穴から空を見上げる。
 いまは体力も十分にあり、視界がぼやけることもない。 月だけでなく、空に瞬く無数の星まではっきりと目にすることができた。
 さらにはさっきまで自分がいた古城も、月と隣り合って拝むことができる。 彼女の髪色と同じような、くすんだ灰色の石造りの古城、それはこうして真下から見上げているからか、想像以上の迫力を占めていた。

 「私はちょうど、あそこから落ちてきたのかな? 思ったよりも高いな――」

 そうのんきなことを言いながら空の景色を見ていたその時——突然、城が爆発した。

 「——は?」

 あまりにも唐突で突然の出来事。 彼女は一切の思考が止まり、ただ茫然とその光景を眺めていた。
 天まで立ち上る黒煙、橙色の業火、巨大な瓦礫となって次々に森へ零れ落ちてくる城だったもの。 その衝撃的な出来事を目の当たりにし、ただ立ち尽くすしかなかった。
 ——だが、しばらくその光景を見つめたのち、彼女は一つの答えにたどり着いた。

 「……あの男め……城に爆弾でもしかけやがったな……」

 それ以外に何も持っていない彼女は、ついに住みかすら失った。
 さっきまでの自由を手にした喜び、輝く月や星々を眺めていた時の気持ちも、こうなってしまうとすっかり冷めてしまった。

 「だが、こんなことはもう何度も味わった。 今更あれこれ言っても、仕方がない」

 激しい爆炎、轟音とともに崩れ落ちてくる古城を背に、彼女は歩き出した。
 その顔は、一切の悲しみや未練を捨て去ったような、非常に晴れやかですがすがしいものであった。

 「いつものようにまた見つければいいだけだ。 とはいっても……今度は相当時間がかかりそうな気がするが」

 ここはとても深い森の中、そしてここから先は彼女にとっては未知の世界、どんな危険が押し寄せてくるのかもわからない。 だが彼女はそんなことを気にする様子もなく、一歩一歩、たしかに歩いていく。

 「そういえばあの城は、その前の住みかを追われてから二十日ぐらいで見つけたんだったな……だとすると……よし。 もっともっと遠くへ、旅をするのも悪くないのかもしれない」

 行く当てもない、終わりがあるかもわからない、とてもとても長い旅。 平穏と安寧の地を求める彼女の旅が、こうして幕を開けるのだった……

森の獣?とともに

 吸血鬼エルジェベドが新たな旅を決意したよりも、ほんの少し後のことである——

 彼女を討伐しに城へと赴き、そして惜しくも逃してしまったあの男はとある大きな町の、立派な建物の中へと入っていった。
 今はもう深夜であるが、その建物だけはこんな時間でも明るく、中からは大勢の人たちが談笑する声が聞こえてきた。 まるで昼間のような賑わいだ。
 その建物の中にいた者らは、男がここへ入ってくるのを見るや否や次々に声をかけてくる。

 「おー、最強のクルセイダーさんじゃないですか。 お帰りなさーい」
 「今回の成果はどうだった? 俺らにも聞かせてくれよ!」
 「せっかく仕事を終えて帰ってきたんだ。 君も何か食べるか?」

 その者達もまた、男と同じように白と黒のスーツを身にまとっていた。
 男はそんな彼らの方を向くと、すぐにさっとうつむいた後、小さな、しかしはっきりとした声で告げた。

 「いや……逃げられた」

 その一言を聞いた途端、あたりは一瞬にして静寂へと変わった。

 「逃げられ——お前にしては珍しいな」
 「いや、彼は確かエルジェベドを殺しに向かっていたはずだ。 あいつなら……どんな者が相手をしても、逃げられてもおかしくない」
 「おかしくない、だと……? もしオレがあの時、あいつをきちんと狙えていれば、下手に苦しませずさっさと殺していれば、もっとオレの判断が速ければ……あいつはあの時、俺の手で……」

 明らかに様子がおかしい。
 震える声、どことも焦点のあっていない瞳孔が開ききった眼、引きつる表情筋、力いっぱい握りしめた拳は今にもはちきれそうだった。 いま彼の感じている怒りの総量は誰にも察せないが、少なくとも下手に放っておくといけないことだけはわかった。

 「ね、ねぇ! そんなに怒ることないって!」
 「お前……」
 「逃がしたって言っても、たしかそいつその辺旅してばっかのザコなんでしょ? どうせまた出会うし、その時ボコボコにしてやればいいって!」

 常軌を逸した怒りを彼から感じ取った皆は、何とかしてその怒りをなだめようと、気を落ち着かせようとして語りかける。

 「君には実力が、そして実績がある。 奴を殺すのには十分すぎるほどの。 またすぐにでも奴を見つけ出し、何かをしでかす前に再び駆除におもむくことだってできるはずだ」
 「そうそう! それにお前は俺よりずっと若いんだから、そんなに気負うこともないぜ? もっと頼ってくれても——」
 「いや、もういい……ありがとう、みんな」

 皆の思いが伝わったのか、彼なりに心の整理がついたのか、彼らの言葉を聞くたびに男の中の怒りも少しずつ引いてくるのが分かった。
 さっきまでの自分は、こんなに皆を心配させるほどおかしかったのか……と思い、男は着ている服を脱ぎながらこの建物の奥の方へと去っていった。

 「なんか、疲れてたみたいだ……オレはいったん休むよ」

 その様子を見て、皆も少しは安心した。

 「そう。 それじゃお休み、レン……私たちは次の仕事に向かうからね」

 ——

 そしてさらに時は経過し、およそ二、三日後——
 ここは森の中。 放浪の吸血鬼エルジェベドの新たな旅の出発地……なのだが、

 「広い! どれだけ広いんだ、ここは!」

 彼女はいまだにこの森を抜け出せずにいた。
 城の上からたまに見ていたころはこの森の広さには気付かなかったが、歩いても歩いても同じような木と岩が並ぶこの広大な森を抜けることは彼女にとって相当の苦行であった。

 「終わりも見えんし、何より腹が減った……もうここから一歩も動けん」

 そしてなんと、ついには地面に倒れこんでしまった。 顔を下に、四肢をだらしなく四方に放り投げ、のべっと寝そべるその姿はまるで踏みつぶされたカエルのようにも見えた。

 すると彼女の声を聞いたのか、それともにおいをたどったのか、どこからともなくこの場に獣が一匹やってきた。 まるで数日前の夜のように。
 その獣はあの夜と同じようにゆっくりと彼女のもとへ近づき、あの夜と同じように何度か鼻先で小突いたりした後、あの夜と同じように彼女の体を持ち上げ……この後何が起こるのかは、容易に想像がつくであろう。

 「——ご馳走様」

 これが彼女の得意技、騙し討ちである。
 生まれたころから争いを拒み、鍛錬を避け、誇りや誉れを早々に投げ捨て常に『逃げ』の選択肢をとり続けてきた非力な彼女にとって、騙し討ちで獣を狩るなどお手の物。 この道においては彼女の右に出るものなど誰一人としていないのだ。

 「とてもおいしい血だったよ、ありがとう」

 小物臭い狩りをしておきながら彼女は少し大物ぶるようにして、今日の獲物に対しそう告げた。 自分が弱いと自覚しているからこそ、こういうことはやってみたくなるものなのだ。
 先ほどの食事のおかげでおよそ五日ほどは歩き続けることができるようになっただろうか、彼女は再びこの森から出るために探索を続けた。

 今の時刻は昼、太陽がちょうど空のてっぺんにいるころだ。
 吸血鬼は太陽の光が弱点で、こうした昼間はまともに活動することさえできないと思われているが、実際のところはそうでもない。 というより、彼女がそういう体質なだけなのかもしれない。
 まったく影響がないというわけではないが、強い日差しを浴びても多少肌がピリピリするぐらいでそこまで体に大きな問題もなく、昼は夜に比べて凶暴な肉食獣に襲われることも少ないため、彼女は昼間に旅を続けているのだ。

 「だがしかし……いっこうに外に出られる気配もないな」

 当然のことではあるが、どれだけ進めども木と岩ばかりの景色。
 物珍しいものなどこの森のどこにもなく、はじめのうちは未知の世界に少しはワクワクしていた彼女も次第にこの景色に飽きてきた。 早くこの森を出たいという思いが強くなってきた。
 しかし周囲の様子、外に近づいているという雰囲気は一切感じられない。 いま彼女が進んでいる道が本当に正しいのかさえ分からない。

 「こうなれば……いっそこの森に住むというのもありだな」

 突然何を言い出したかと思えば、彼女はおもむろに近くに生えている立派な大木に近づき、勢いよく拳をぶつける。
 ぱしんという軽い音、木の幹はびくともしない。
 彼女はもう一度、二度、さらに何度か殴ったのち、血の刃物で切りかかりもした。 しかしやはりびくともしない。
 それならばと、次に彼女はちょうど目の前にあって行くてを邪魔している岩に目をやった。 そして少し屈み、持ち上げでそれをどかそうとする。 だがその岩もびくともしない。
 そう、彼女はあまりにも非力なのだ。

 「くっそ、うまくいけば小屋ぐらいは建つと思ってたのに……」

 しょうもない考えは仕方なく忘れてしまい、今はこの森から抜け出そう。
 そう思いなおした彼女はさっき痛めた両手の甲をさすりながらも先へ歩いていく。

 とはいえ、ただやみくもに歩いてもこの森から出られるとは思えない。
 彼女は考えた。
 まず、下手に蛇行すると一度来たところに何度も訪れてしまう可能性があるので、可能な限り一直線に進んでいくこと。
 次に、川を見つけられるよう動くこと。 普通は上流へ行って周囲の様子を確認するのが定石だが、今はとりあえず森を抜けることさえできればいいのでもし見つかったら下流へと進んでいくことにした。

 「どっちに行けばいいか……向こうの方に行けばいいような、そんな気がする」

 自分の命がかかっているというのに勘で行動はしてもらいたくないものだが、彼女は今までの経験からおそらく川がある方へと進んでいった。
 できるだけまっすぐ、岩を乗り越え、木の枝のトンネルをくぐり、もはや無心で突き進む。

 結果として、想像よりもずっと早く川にたどり着くことができた。

 「おお、いきなりか」

 彼女はその川のほとりへと歩み寄る。 川岸に敷き詰められた砂利を踏みしめた時のじりじりという小さな音が、この静かな森の中に鳴り響いた。
 その川についてだが、川底の様子が常に拝めるほどに澄んだ冷たい水が、一切波紋をだすことなく流れている。
 川幅はそれなりには広く、試しにその中へと入ってみると深さも川の中心の部分では彼女の腰までに達し、相当なものであることが分かった。

 「それと、流れも案外速いな。 早くここから出ないと溺れそうな気がする……」

 じゃぼじゃぼと流れをかき分け彼女は岸まで上がっていく。
 途中、小さな魚を見かけた。 彼女には捕まえられそうにもない速度で川底付近を楽しそうに走り回っていた。

 「あいつさえ捕まえられるなら、ここに住むのも悪くないのだがな……」

 一度はあきらめた計画なのだが、彼女はまだそんなことを言っている。
 実際、ここは深い森の中。 誰かに襲われる危険もなければ、住みかとして活用できそうな場所もいくつもある。 本来なら脅威となりうる森に潜む猛獣も、彼女にとっては食事を提供してくれるだけの存在にすぎない。

 「やはり、どうにかできないものか……」

 彼女の目的は、だれからも命を狙われることのない場所に移り住むこと、そして、この場所はその条件を満たしているといっていい。
 先ほどは彼女が岩も持ち上げられないほど力がないからという理由で諦めたものの、もう少し考えればうまいやりようこそあるはずだ。
 彼女は川岸に座り、なんとなく足だけを川の中に入れてぴしゃぴしゃと水しぶきを上げる遊びをしながらも、これからどうしようかとぼんやり悩みだした。

 そんなことをしていると、彼女の真後ろの背の高い草が大きく揺れた。
 獣ではない、それよりも何か体格こそ小さいものの、背は高い生き物である。 彼女は今までの経験から、そう感じ取った。
 彼女は、後ろを振り返ってその正体を確認しようとは思わなかった。 それよりも逆に、このまま向こうがこちらに近づいてくるまで気が付いていないふりをしていた方が賢明だと判断した。
 また、その背後からの音を聞いた瞬間、彼女はもう一つのことにも気づくことができた。

 「誰だ」

 声が聞こえた。
 どう考えても獣の鳴き声とは違う、はっきりと意味を持った言葉だ。 声の質的に、おそらく男だろうか。
 彼女はまだ反応しない。 後ろを振り返ることもせず、じっくりと相手がどう出るかをうかがっている。

 「——顔を見せろ」

 そう言われて初めて、彼女はすくっと立ち上がると振り返り、相手の顔を拝んだ。 そして、互いに相手の正体に驚いた。
 彼女に声をかけてきたその者は、彼女より二回りほど背が高くたくましい体付きをしており、軽装な服の下にはストレートの柔らかそうな毛が全身を覆うように生えている。
 そして何より特徴的なのが、頭のてっぺんから生えている大きな耳。 それはまるで狼のそれに近い形をしていた。
 となると目の前の彼は、獣の体と力をその身に宿した「ヒト」で無き人間——獣人と言われる種族の者だろう。

 「妙な水音が聞こえると思ってきてみたら……まさか吸血鬼だとは」

 獣人は明らかに彼女を警戒した様子で隠し持っていた石の槍を握りなおし、彼女の方を向けて構える。
 それに対し、彼女は両手を一度相手に見せるように伸ばした後、そのまま後ろに組んで目の前の彼をじっと見る。 まるで、抵抗する意思はないと伝えているかのようだ。

 「? 何のつもりだ」
 「何って、見ての通りだが……」

 ほんの数十秒の、ただにらみ合うだけの時間が過ぎた。
 彼女の、君を襲う気は一切気がない、という思いが相手に伝わったのかは知らないが、彼は一度槍を地面に突き立てると彼女の方へと近づき——その後ろに組んだ手をしっかりと掴み、地面に押し倒した。

 「どうして吸血鬼が、こんな森の中にいる?」

 彼女の両腕を、何か細いものが締め付けてくるような感覚が走った。 紐か植物の蔦のようなもので縛り付けてるのだろう、と思いつつも、彼女は相手の問いに嘘偽りなく答える。

 「簡単に言うと、元の住みかを失ってな。 数日前に人間に襲われて、家にしていた所を爆破された」
 「——爆破」

 彼の手が、一瞬止まった。

 「それでこの森の中に逃げてきて、どうにか抜け出せないかなぁ、いっそここに住もうかなぁと考えていたところなんだ」
 「そうか……人間に襲われて、抵抗はしなかったのか?」
 「しなかった。 相手は武器を持っていたからな、私では勝てん」
 「ふぅん……なるほど」
 「ああ、一応言っておくが、私はお前の想像する吸血鬼とはかなり違うぞ……ある意味な」

 彼女の腕を押さえていた手が離れ、次は首に布のようなものが巻かれる。

 「なあ、聞きたいんだが一体私をどうする気——ぐえっ」
 「村に連れて帰る。 その後どうするかは、あとで決める」

 それも終わると獣人の彼は彼女の肩をつかんで無理やりに立たせ、そのままリードを付けられた犬のように彼女の首を引っ張り森の中を歩いていく。 おそらく、さっき言っていた「村」という場所に向かっているのだろう。
 彼がひもを引っ張るたび、彼女は思わす前へ倒れそうになった。

 しばらくの間歩いていると、日は夕暮れ時ぐらいまで傾き、あたりは少し暗くなった。
 この時間帯ならば、そろそろ一番星が出くるくらいか――そう考えて彼女がふと上を見ると同時に首にかかっていたひもが思いっきり引っ張られ、彼女はそのまま地面に顎から激突した。
 あまりの痛さに彼女が地面を転げまわりながら悶えていると、いつの間にか彼女の周りは他の獣人らに取り囲まれていた。 皆も彼女が吸血鬼であることには一目で気が付いているようで、戸惑いや疑問の声を次々にぶつけてくる。

 「なあ、ロボ、こいつは一体……?」
 「ザコの吸血鬼だ。 すぐ近くで捕まえてきた」

 まるで虫かトカゲのような紹介のされ方に対する不満をぐっとこらえながらも、彼女は地面に倒れたままその獣人らの奥——彼らの村に目をやった。
 そこは木を切り倒してできた広場の真ん中にある焚火と、それを囲うように並べられた椅子代わりの丸太、さらにその周りを囲うようにして建てられたテントのような小屋がいくつかと、村というよりは広めのキャンプ場のようなところだった。
 それとさっきの獣人らの会話から、さっき自分をとらえた者の名がロボであることも知った。
 彼女は黙ったまま、彼らの話を聞く。

 「吸血鬼か……うわさで聞いた通りの見た目だな……」
 「なんか怖いけど、ザコって一体どういうことなの?」
 「まあ、人間に襲われてここまで逃げてきたらしい。 嘘かどうかはわからんが、少なくともそんな感じはしなかった」

 すると話は当然、この吸血鬼をどうするか、という話題に移っていく。
 彼女はおそらく殺されるか、適当な木にでも縛り付けられて放置されるかだろうと考えていた。
 ところが皆は、こいつがどうしたいかを聞きたい、と言ってきた。 彼女に意思決定の権利を与えようというのだ。 これは予想外だったのか、彼女は小さく驚きの声を上げた。
 皆が彼女の顔を、少し離れたところからのぞき込む。 彼女はあおむけになって皆の顔を見ながら、そのまま自分の思いを伝えた。

 「なら……かくまってほしい、ここで」

 その言葉に、周囲はざわついた。 とはいえそこまで大きなリアクションもなかったため、この答えはある程度彼らも予想していたのだろう。
 どうせ断られるだろうし、その時は次になんて頼もうか——彼女はそう考えていたが、意外にも一番最初に返ってきた言葉は

 「まあ、いいんじゃないか?」

 だった。 彼女は再び、驚きの声を上げる。
 まさかこの頼みが通るとはと思って彼女が思わず胴を上げると、ほかの皆も口々に彼女をここに住まわせてもよいだろう、とそれを認めるような意見を述べていく。

 「よかったな、お前。 住ませてもらえるってよ」

 真後ろからロボの声が聞こえる。
 それに加え、いつの間にか両手首の締め付けられるような感覚もなくなっていた。 ロボが解放してくれたのだろうか?
 彼女は後ろを振り返って彼の顔を確認した。 特に何も考えていないような顔。 しかし、彼女に対する敵意や警戒といったものも、そこには含まれていなかった。
 彼女は立ち上がり、皆の方を向く。 そして、名を名乗った。

 「私の名は——エルジェベド。 これからどれほど長い付き合いになるかは分からないが、よろしく」

 こうして、エルジェベドの新たな住みかでの生活が始まったのであった

――

 それからの彼女の生活というものは——ある意味、予想通りのものだった。
 皆に受け入れられてこの村の一員となった彼女であったが、ここにきてたら初めのうちはほかの皆と話すこともそうだが、顔を合わせることすらめったになかった。 理由としては、ただ単に皆が彼女を避け、彼女もまた皆を避けていたからだ。
 皆からすれば、彼女は吸血鬼の一人。 たとえどんな奴であろうと、何を考え、いつこちらを襲ってくるのかもわからない。 できるだけかかわりを持たない方が吉だろうと、そう考えたのだった。
 また彼女からすれば、皆は自分よりもはるかに力の強い獣人たち。 もし下手な真似をして皆の機嫌を損ねてしまったら、どんな目に遭うか分からない。 今まであまりであったことのない相手であるため、感情を読むのも難しい。 あまり近寄らない方がいいだろうと、そう考えたのだった。
 そういうわけで彼女は一つの小屋を与えられ、そこで布を織る仕事を毎日のように行っては、時折運ばれてくる食事を食べては寝るを繰り返すような仕事をしていたのだった。

 しかし、そんな中でも積極的に彼女と何度も顔を合わせ、関わろうとする者が一人だけいた。 ロボだ。
 はたして彼のその行動は、自分が彼女をここに連れてきたからという責任感ゆえの者なのか、それともまさか彼女に気があるからなのか、まったくわからない。 だが彼は毎日の狩りを終え村に帰ってきた時や、朝、太陽が昇る前に目が覚めた後などに彼女のいる小屋の中を覗き、数分だけ会話をしたり何か欲しいものがないかと聞いたりしていた。 日々の食事を彼女のもとへ持っていっているのも、また彼だった。

 ある日、エルジェベドがいつも通りやっていた布織りの仕事を終えたぐらいの時、これもまたいつも通りロボが小屋の中を覗き込んできた。
 しかし、今回は普段とは違うことが一つだけある。 彼は片手に何かを持って来ていた。 それは、食事とは違う何かではあることは一瞬で理解できた。 布、だろうか?

 「ああ、今日は一体何を——わふっ」

 エルジェベドがその手に持たれているものについて聞こうとした瞬間、ロボはそれを彼女の顔面めがけて投げつけてきた。
 彼がそれを広げてみろというので彼女は顔のそれを手に取ると、それは一つの服であると分かった。 色は薄い麻の色で、大きさもちょうど彼女の体に合うぐらい。 デザインも獣人の彼らが着ているものと同じとても動きやすそうな服だ。

 「これは?」
 「お前、ずっと前に服がぼろぼろだから新しいのが欲しいって言ってただろ。 だから、作ってもらった」

 彼はその服に加え、この村のことについても教えてくれた。
 彼が言うには、この村にいる獣人は皆、昔人間からの差別や迫害を受け、己の住みかを追われたり自身や家族、大切なものを壊されたりして心や体に深い傷を負った者、そしてそれらの子だそうだ。 実際彼自身も人間たちに捕らえられ、悪者退治と称した憂さ晴らしの暴行を毎日のようにうけていた過去があるという。

 「まあ、今となってはオレがこの村のリーダーになってるわけだが……」
 「それで、同じ境遇の者たち同士もっと仲良くしたい、と?」
 「……そうだな。 無理は言いたくないが、お前にはもっとみんなとも仲良くなってほしい」
 「——ありがとう、その気持ちはちゃんと受け取った」

 二人は仲よさそうに笑い合った。

 「ところで、この服のことなんだが……今着ても大丈夫か?」
 「いつでも、好きな時に着ていいぞ」
 「いや、そういうことじゃなくて……ほら、服を着替えるには今着てるものを脱がなければいけないだろう? 別に私はいくら見られても構わんが……」

 数秒ほど、返答までに間があった。
 ロボはその意味を察したとたん、顔を真っ赤にしながら急いでこの小屋を出て行ったのだった。
 彼女はその後姿を見て、何か可笑しいような思いになりながらものそのそと着替えを済ませた。
 その服からは単なる衣類の効能としてのそれとは違う、心の芯から体を温めてくれるような、優しく全身を抱きかかえてくれるような――そんな力を感じ取ることができた。

 次の日から、この村の雰囲気は明確に変わった。
 その一番大きな理由として、エルジェベドが頻繁に小屋から出てきて皆と顔を合わせるようになったのだ。
 村の皆も、ロボからエルジェベドがどういった者かはすでに話を聞いていた。 彼女が想像の吸血鬼よりもずっと優しく、話しやすい相手であることをもう知っていた。 彼女が皆と仲良くなり、打ち解けあうまでにそう時間はかからなかった。
 たまに彼女が皆の手伝いをしようとして、その非力さゆえにかえって迷惑をかけてしまうような結果になってしまったとしても、皆は笑って許してくれた――もちろん、彼女には少し納得のいかない出来事ではあるのだが。

 そして、エルジェベドがこの村に来てからおよそ1年ほどの時が経った。
 今日はいつもより狩りの成果がずいぶんとよかったので、村のみんなでお祝いのパーティーをしようという話になった。 勿論、彼女もその祝いに参加するつもりだ。 もうすっかり、彼女もこの村になじんでいる。
 薪の数を増やして普段するものよりもずっと大きい焚火をあげ、木の実を集めたり酒の用意をしたり村中の小屋を飾り付けるなどして今夜のパーティーに向けた準備をしていた。

 「こういう経験は、エルジェベド?」
 「ない。 ここまでよくしてもらったことなど、ほかにはない」

 彼女もろくに力仕事ができないということで、スープやステーキなどの料理を作る担当を任されている。 これはあの日、彼女がよく小屋から出るようになってから数日後に新たに任せられた仕事の一つでもあった。

 今日は満月の日らしい。 心なしか、いつもよりも大きな黄金色の月が空の真上に浮かんでいる。 あたり一面の星もそれに負けじと輝かしく光を放っており、今日という日にふさわしい。
 皆は食べ、飲み、歌いの大騒ぎ。 中には小石や木の枝を使ったゲームをする者や、地面に描いた大きな円の中で力比べをする者など、いろいろな変わった楽しみ方をする者達も多くいた。
 エルジェベドはというと、次から次へと破竹の勢いで食いつくされていく料理を新たに作るので必死だった。 とはいえそのお祭り騒ぎに参加していないというわけでもなく、たまにこの村でできた友に仕事を任せて皆と談笑したりもしていた。

 「しかし、お前が小屋からよく出てくるようになりたての頃はほんとあれだったよな……失礼なことばっかり言ってきて」
 「そうだったかなぁ、あまり記憶にない……」
 「いやいや、案外野蛮ってわけじゃないんだなーとか、なんだか襲われそうで怖いなーとか、いろいろ言ってきてたじゃん」
 「それを言うならそっちだって、私の血は吸わないでーとか、目が怖いとか、同じぐらい言ってきていたはずだが?」

 ……なんだかあまり穏やかではない内容の話だが、彼女らの表情を見るに、単なるジョークの一環として述べているだけのようだ。 その言葉に深く傷つく者こそおらず、むしろ笑いさえ起こっている。 これも、彼女がこの村の一員として真に認められ、皆と仲良くなったことの証拠だろう。
 今日の夜は、いつもの何倍も長いものとなった――

 この獣人たちの村で彼らとともに暮らすのは、とても楽しく、明るく、幸せなものであった。
 しかし、彼女の胸の内には、そんな幸せとは違う感情が膨らんでいた。
 苦難を乗り越えたどり着いた幸福の絶頂からはいともたやすく叩き落され、やっとの思いで手にした安寧は小さき蝶のようにするりと手のひらから逃げていく。 それが彼女の今までの人生であり、おそらくこれからも変わらないものであるだろうと、彼女は予感していた。
 つまりは、不安――この幸せも、大切な皆も、いつ破壊されるのかと怯えなければいけないような、そんな思い。

 「ただの、杞憂であればいいのだが」

 誰にも聞こえない場所で、大きさで、彼女はそっとそう呟いた。

迫る足音

 ここは、とある小さな村。 あまり人も住んでおらず、またそれほど豊かというわけでもないが、皆が元気に幸せそうに暮らしている温かな村。
 今日は村の真ん中にある広場に子供たちがみんな集まり、紙芝居の読み聞かせがそこで行われていた。
 大人の女性が子供たちの前に立ち、みんながここにいること、お話が始まるのを今か今かと待っていることを確認すると、さっそく読み聞かせを始めた。

 その話の内容はというと——今よりもずっと昔に起きた、ある出来事の話。 とある吸血鬼一人によって、この世界全てが支配されていたころの話である。
 その吸血鬼は自らの名をディスゴルピオと名乗り、この世にその姿を明らかにしたのち、その圧倒的な力と魔法、狡猾な知恵や吸血鬼としての身体的優位性を用いて瞬く間にほぼすべての国や村を攻め落とし、自らの手中に収めたのだ。
 中でも恐れられていたのは、他者を強制的に自らの眷属に変える力と、その他に類を見ないほどの不死性であった。
 奴に血を吸われたものは、奴の眷属となり完全なる操り人形と化す。 ディスゴルピオは高い身体能力と魔法を使い生み出していった眷属を自らの兵としてではなく、人質としても利用した。 大切な者を傷つけられたくない心に付け込み、次から次へと自らの奴隷を増やしていった。
 また、たとえどれだけの攻撃を受けたとしてもディスゴルピオは死ななかった。 剣を刺そうが、炎で全身を焼かれようが、その体に着いた傷は瞬く間に治っていく。
 絶望しかなかった。 その時を生きた者達は皆、このまま終わりなき支配に苦しめられるものだと諦めていた。
 だが、ある日そんな世界に一つの光が差し込んだのだ。 それは、自図からをエルフ族と称する者達の出現であった。 エルフ族の者達もまた、高い魔法の才と豊富な知恵を備えていた。
 彼らはディスゴルピオがまだ攻めていない村や土地に、同じような薬草が生えていることに気が付いた。 これが、おそらく奴の弱点なのだろうと。
 エルフ族と人間の皆はその薬草をいたるところに植えてまわった。 すると奴の眷属は目に見えて弱っていき、ディスゴルピオが人間の町に降りてきた時も明らかに苦しむ様子を見せたのだ。
 これは、奴を倒す機会は、今しかない! そう思った皆は、次々に武器を手に取りディスゴルピオに攻めかかった。 たとえその傷がいくら治ろうとも、人間らの怒りのこもったおびただしい攻撃の嵐はさすがに堪えたようだ。
 最後には、皆を立った一代で数十、数百年にわたり苦しめてきた最悪の吸血鬼、ディスゴルピオはエルフ族らの魔法によって完全に葬り去られた。 つまり、長きの時を経てこの世に再び平和が戻ってきたのだった。

 その話を終えると、さっきまで静かに話に聞き入っていた子供たちは一斉に紙芝居の女性に質問を投げかける。

 「そのはなしって、ほんとうにあったことなの?」
 「ええ。 でももうずっと昔のことだから、詳しいことは先生もわかんないなぁ」
 「わるいやつ、ちゃんとしんだんだよね?」
 「……ええっと」
 「えー? でも、きゅうけつきがわるさをしてるって、きいたことあるよ?」

 自らを先生と呼ぶその女性は、何と答えればいいか迷った。 下手に子供を怖がらせるようなことはしたくないが、かといって嘘を言うのも子供らのこれからのためによくない……と悩んだ末に、彼女は意を決してきちんと正しいことを伝えると決めた。

 「うん、この話に出てくる一番悪い吸血鬼は、ちゃんと倒されたんだけど……実は、この吸血鬼がまだ悪さをしてた時に……」

 子供たちは紙芝居を見ていた時と同じように、先生の話に集中している。
 先生はとても言いづらそうな顔で、言葉を続けた。

 「……いろんな人に、無理やり自分の子供を産ませてた、らしいの。 その子供たちが、今の吸血鬼の先祖だって言われてるの」

 それを聞いた子供たちは、みな驚きや疑問の声をあげる。

 「えー! そいつ、ひどい!」
 「きゅうけつき、まだいるってことなの? だいじょうぶなの?」
 「せんぞってどういうこと?」

 鳥のひなのように騒ぎ出す子供たちをなだめ安心させようと、先生は優しく、はっきりとした声で皆に呼び掛けた。

 「だ、大丈夫だよ、みんな! 吸血鬼はいるけど、吸血鬼の苦手な薬草だってあるし、今は昔とは違って吸血鬼を倒してくれる強い人だっているの、あそこ!」

 先生は、とある建物の柱のすぐそばを指さした。
 そこにいたのは、一人の大柄な男性。 白黒のオーバーサイズのスーツをまとい、背には巨大な銀色の戦斧を背負っている。
 男はさっきまで何か考え事をしていたようだが、先生が自分を呼んでいることに気が付くと笑顔でそちらへ向かっていった。

 「あの人が、吸血鬼とか、悪いやつを倒してくれるの! だから安心しても大丈夫よ!」

 先生の元気な声に合わせ、その男も少しポーズをとってみせる。
 その様子を見て子供たちも安心したのか、声も表情もさっきまでのそれより明るいものとなっていた。

 「きゅうけつきたおせるんだ! すげー」
 「じゃああのおじさんがいたらもうあんしんじゃん!」

 皆はワイワイと騒ぎ立て、しばらくすると熱量はそのままに追いかけっこやかくれんぼなどをしにこの場を去っていった。
 ここには先生と男のみが残る。 二人は子供たちの様子を眺めたあと改めて顔を見合わせ、話し出した。

 「えっと、バンバさん、この度は本当にありがとうございます」
 「いいってことよ。 これが俺らの仕事、だからな」

 男は、陽気な雰囲気も感じられるような明るい声でそういった後、満面の笑みを見せた。 さっきの会話から察するに、その男がバンバなのだろう。
 バンバと呼ばれた男は先生に手に今も持たれている紙芝居に目をやると、一つ問いかけた。

 「それ、ちょっと気になったんだけどよ」
 「え?」
 「いつもそうやって、子供たちに教えてんのか?」
 「ああ、はい。 そうですね。 ちゃんと吸血鬼は怖い存在なんだよって教えとかないと、いつかあの子たちがこの村を離れることになっても困らないように……」
 「はっはっは! それはいいこったな」

 二人は、もう一度子供たちの遊んでいるさまをじっと眺める。
 皆、とても楽しそうに声をあげたり、笑いあったりしている。 そこには悩みや不安、何かを恐れたり新派死したりする様子もない。 まさに健全で理想的な子供たちの姿が、そこにはあった。
 ただ……その中には、怪我をしたのだろうか、手足に布や包帯を巻いてるものもいた。

 「なんだかんだ、みんな元気そうだな……」
 「そうですね……数日前のことは、まだ忘れたわけではないんでしょうけど……」
 「ああ、あれか……まあ、俺は子供らの命まで奪われてないだけマシだと思ってるぜ? ここよりもひどいことになってる所は、職業柄今までいくつも見てきたからな……」
 「そ、そうなんですね」

 男は一度大きく息を吸い込み、精一杯優しく、かつ気合のこもった声で先生に宣言するように告げる。

 「ま、この俺に任せておけってことだ。 絶対みんなに、本当の幸せを持って来てやるからな」
 「ありがとうございます! それで、何か分かったんですか……?」
 「いや、それがな――どうも手掛かりになるようなものは見当たらなかった。 だが、俺の勘がこう告げてるんだ……あっちだ!ってな」

 男はある一方を力強く指さした。
 そこは地平線を埋め尽くすように広がる、広大な森。 どこから始まってどこで終わるのかもわからない、まるで行くてを阻む壁かと思えるほどに、その森は村の真正面にそびえたっていた。

 「こんな広い森だ。 悪いやつらが身をひそめるのにはうってつけだろうな……多分だが、奴らはこっちに逃げたんだと思う」
 「奴ら……」
 「ああ。 たしか、獣人らの盗賊団だっけか?」

 男が問いかける。 
 そう、この村はつい数日前に、突如現れた盗賊団に襲われ、食料や金目のものなど、様々なものが盗まれていった。 村の建物のいくつかも奴らに破壊され、大切なものは根こそぎ盗られていったのだ。
 その言葉を聞いて、先生はさっと表情が硬くなった。 顔色も悪く、辛そうな目もしている。 さっき話していた、数日前に何かあったのだろうか? 男はそれ以上聞く気はなかった。

 「というわけで、今から行ってくるわ、俺。 いい知らせってのは、早けりゃ早いほどいいだろ?」
 「今から、ですか——き、気を付けてくださいね!」
 「心配すんな! ドーンと大船に乗ったつもりで待っててくれよな!」

 豪快な大声でそう言い、戦斧をへに担ぎなおした後、男は大きく力強い足並みで森へと歩き出した。 先生は、そのたくましい背に向かって深く礼をして見送った。

 男は、森の目の前までやってきた。 まだ太陽が天高くにあるというのに、外からのぞいただけでその先は真っ暗な影の中になっているということが分かった。 普通なら、とても恐ろしくとうていここへ入っていく気にはならない――だが、今の彼はそんな感情など一切抱いていなかった。 己の使命と、正義感に燃える心持ちでいた。
 彼は、森へ入る前に一度、後ろを振り返った。 少し気になって、村の様子を見たのだ。
 そこにはそれほど広くもない、普通の村があった。 ただ、至ることろに崩れた建物の瓦礫や、何者かに火を放たれたような焼け跡があるぐらいの……

 「待ってろよ……絶対、俺がこんなひでぇことした奴らの首、持って帰ってきてあるからな……」

 男の瞳に、怒りの炎が灯った。 こうなってしまえば、もう彼は何者にも止めることができないだろう。
 行くてを阻む木や蔦は切り払い、邪魔な岩などは打ち砕き、彼はこの森を隅から隅へとくまなく捜索した。 おそらくこの森の中のどこかに必ず、獣人の盗賊団がいると信じて。

 その森の、ずっとずっと深いところでは——

 「ん? どうかしたか、エル?」
 「いや、何でもない――」

 いつの間にか、エル、とニックネームで呼ばれるほどに、エルジェベドは獣人らと仲良くなったようだ。
 彼女は今日、また新たに任せられた、保管している木の実を傷んでいるものとそうでないものに仕分ける仕事をやっていた。 これならたいして力もいらないから、彼女でもできるだろうとのことらしい。

 「いや、さっきから時々手が止まってたが」
 「ああ、そういうことか——私の、杞憂で終わればいいのだが」
 「どうかしたのか?」

 エルジェベドの様子が、どうにもおかしい。 今まで見せたことのない顔色に、声色。 何かを隠しているとも少し違うような気がする。
 もしかしたら具合が悪いのかも――そう思ったロボは、彼女に接近して顔色をうかがったり額に手を当ててみたりする。

 「病気じゃない! ただ、近いうちに何か、よくないことが起こりそうな気がして――」
 「よくないこと、か」
 「まあ、でも多分、大丈夫だ」

 ここは、深い深い森の中。 こんなところに人間なんて、くるわけがないだろう――と、彼女はさっきまでの不安を振り払い、仕事を再開するのだった。



第二話はこちらから↓

第三話はこちらから↓

第四話はこちらから↓

第五話はこちらから↓

第六話はこちらから↓

第七話はこちらから↓

第八話はこちらから↓

第九話はこちらから↓


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?