【ダークファンタジー】吸血鬼と月夜の旅 -第3話-

前回はこちらから↓

対話と追悼

 二人は、川岸に座っていた。
 お互いに相手の顔を見ることこそしてないが、仲良さそうに肩を合わせ、ぼんやりと川に映る月や星々のきらめきを眺めていた。

 「さっきは、悪かったな」

 しばらくの間続いていた沈黙。 これを先に破ったのは、ロボの方だった。
 彼はすっかり気の抜けた声で、彼女にそう謝った。

 「ん? 何のことだ?」
 「何のって――ほらさっき、お前の上乗って散々ぶん殴っただろ。 すまん、自分でもよく分からなかったんだ、あの時」
 「よく分からなかったのなら、わざわざ謝ってくれなくてもいいぞ? 私は別に、いまさらそんなことに腹を立てるようなことはせん」

 また、静かになった。
 さすがに赤い筋が延々と流れるのを見ているのは気分が悪いということで、今二人はさっきまでいたところよりもさらに上流にいるのだが、ここはさらに川の流れが速い。
 月の光、星の瞬きは激しく流れる水の勢いによって互いに混ざり合い、大きな一つの網目状の光の揺らめきとなってそこに映っている。

 「……実を言うと、だな」

 今度は、エルジェベドの方がこの静寂を裂いた。

 「今回だけじゃないんだ。 今まで何度か、よくしてもらったところはある。 こんな私でも、温かくかくまってくれたところは……」
 「そう、なのか」
 「でもな……いつでも奴らは、あの人間どもは私を襲ってきた」
 「それこそ、今回の件みたいにか?」
 「私の命を狙うだけならまだしも、私をよくしてくれた人らも、彼らの住む村も、すべて破壊された。 吸血鬼をかくまった罰、だそうだ。 そんなのを私は、今まで何度も何度も……」
 「慣れたってのは、そういうことか。 なんとなくだが、お前の気持ちが分かった」
 「はじめのうちは、私だって辛かったんだ。 幾度とない逃亡の中で、自分を責めたりもした。 でも……いつかは、受け入れられるようになるものなんだな」
 「そうか――ありがとう、話してくれて」

 そしてまた、さっきまでより一段と辺りは静まった。 柔らかな水音だけが、この場に響き渡る。
 二人は、今度は空を見上げた。 流水に映るそれとは違い、そこには一つ一つのきらめきが、溶け合うことなくそれぞれはっきりと浮かんでいる。

 「帰るか」

 最後は、同時だった。
 二人は手をしっかりと繋ぎ、肩を寄せ合って自分たちの村まで歩いて帰っていった。
 相手の顔も見ず、互いに何も話しかけず。 だが、それぞれ相手の心には何があるかを考えながら。
 ——願わくば、このまま共に——とも、考えながら。

 ——

 村に帰ってから、ロボの表情が変わった。
 それもそのはずだろう。 さっきまで必死に反らし続けていた現実が、無理やり目の中に飛び込んできたのだから。

 その日から彼は、一言も発することもなく動き続けていた。 あの日あの夜人間に殺された、皆を弔う墓を作るために。
 まず、彼はあたりに散らばった皆の体を集めた。 きっと皆、必死の思いで逃げたことが容易に想像がつく。 かつてこの村で苦楽を共にしてきた友だったものは、彼が思っていたよりも広い範囲に点在していたのだ。
 壊された小屋の瓦礫の下からは、腕を。 へし折れ落ちてきた木の枝の中からは、両の足を。 縦に割られた胴や、絶望の顔のまま固まった頭もそこらに転がっていた。
 彼は初めにそれらをすべて集め、その体を一つ一つ元通りに戻そうとした。

 なかなか衝撃的な見た目に初めは戸惑っていたエルジェベドも、彼のまっすぐな顔を見て手伝うと言い出した。
 彼女も同じように、そこら中に散乱した死体の各部位を集める。 すると、ロボは彼女の手に取ったそれを見て、それは彼のだ、向こうのは彼女のだ、お前の足元にあるのは、お前と仲の良かった――と、一つ一つ生前の思い出を教えてくれた。 彼はそれ以外話すことはなかったが、その時だけは前までのような表情に戻っていた。
 そうだ。 彼はもともと、この村のリーダーだった。 村の皆の顔を覚えているのは、当然だ。
 彼女は彼の思い出を聞くたびに、かすかな怖さのようなものと……それ以上の、確かな優しさを感じ取った。

 数日ののち、皆の体がすべて見つかった。 ここにいる人数的な意味で見ても、部位的な意味で見ても、誰一人として欠けることなく皆見つけ出すことができた。
 そうしたら次にやることと言えば、皆の分の穴を掘ることだ。
 ちょうど皆の体がすっぽりと収まる程度の穴を一つ一つこの村の地面に掘っていき、そこに形の崩れないよう一人一人慎重に収めていき、そうしたら上から土をかぶせて埋めていく。
 これにはかなりの時間がかかった。 それなりの重労働のためエルジェベドが役に立ちそうにもないのもあるが、こうして改めてみると、思っていたよりもこの村のいた者達が多かったからだ。
 一人ずつ、その顔を見て、腕に確かな重みを感じながら穴へと埋めていく。 そうすれば、もう彼ら彼女らの顔を拝むこともできなくなる。 ロボは、その顔をしっかりと心に焼き付けた。

 皆を埋め終わった。 じっくりと、長い時間をかけて。
 それも終われば今度は、皆のための墓標をたてる。 何で作るかは、この村の近くにあった岩を削り出すのが一番だろう。 その方が長くもつ。
 指から手首ほどの厚みになるよう岩を削って一枚の板を作り、その表には名前と、年齢と、生きていたころはどんな者だったかを全て、丁寧に切り出していく。
 一つできればそれを、その名が刻まれた者のもとへと立て、また新たに作り、たて……これもまた、長い時間がかかった。 そこら中の岩を全て使い切り、何日も何日もかけて、休むこともなく皆の墓を作り上げた。

 もう、やるべきことも残り少なくなってきた。 次に、ロボは皆にお供え物を捧げるため、またこの森の中を巡った。
 木の実や、肉、わずかにだが残っていた酒と、色とりどりのきれいな花、この村で作った布に、狩りをするための槍や弓矢、それから小屋の下に隠れていた、宝石のようにきれいな石ころたち……
 みんなが教えてくれた、みんなが大切にしていたこの村での宝物たち。 ロボが忘れるはずもない。 彼はそれらを一個ずつ、そこに彼ら彼女らが生きて立っているかのように語りながら、優しくゆっくりと供えていった。
 そうするとさっきまで寂しかったここら一体の墓たちも、華やかで前までのこの村らしい賑わいを見せてくれた。 あの日できなかったお祝いのパーティを、今ここでこうしてやっているかのようだ。

 いよいよこれが最後、祈りを捧げる時だ。
 自らを置いて亡くなってしまったこの村の皆へ、どうか死後の世界で安らかに、幸せに暮らしていてください、自分だけが助かってしまって済まないと。 ロボは墓の前で手を合わせ、神妙な顔で目をそっと瞑り、頭を深く下げて祈った。
 エルジェベドも彼と同じように手を合わせ、若くして亡くなった命、抵抗すら許されず死という形で踏みにじられる彼らの尊厳への悲しみと、皆へからの施しに対する感謝の思いを捧げた。

 これで、すべてが終わった。

 「——気付かなかった。 もうこんな時間か」

 空を見上げると、そこには一面に広がる星々のきらめき。
 ずっと皆を弔うための作業をしていたから分からなかったが、時はもうすでにあの日、あの事件が起こったのと同じぐらいの、しんと静かな夜になっていた。
 二人はもう一度、この場を見渡した。
 ここにはロボが作り上げた、皆への覆いが深く刻み込まれた墓がずらりと並んでいる。 それらはかつて村だった森の中に空くスペースを丸ごと埋め尽くしていた。

 「俺がみんなにしてやれることは、もうこれぐらいしか……残ってないからな」

 大きなため息をつきながら、彼はそう言った。

 「なあ、ひとつ聞いていいか?」

 ロボが、背後に立っている彼女へと話しかける。 晴れやかな、というか――よく通る澄んだ声で。

 「なんだ? なんでも聞いていいぞ」
 「ありがと。 いや、お前はこれからどうして暮らすのか、気になってな――」
 「どうして、か」

 数秒の間ののち、エルジェベドははっきりと言い放つように告げる。

 「この場所を出て、森を抜けてどこか遠いところへ行く。 そして、そこで自分の住めそうな場所を探す」
 「そっか、出ていっちゃうか」
 「そりゃそうだろう。 ここはもう村じゃない、皆の眠る墓だ。 とうてい私が住めるところではない」
 「そうだよな……なんとなく、エルならそう言うって思ってた」

 そういうわけで、と言葉を残し、さっそくエルジェベドはこの場を去ろうとする。
 その際に、ここまで優しくしてもらったのはこの村が初めてだった、なのに皆の死をそれほど悲しんでやれなくてすまない――と、思いを残し、彼女の姿は少しずつ小さくなっていった。 陰に隠れ、いずれ目も耳も届かぬ所へ行ってしまうのだろう――

 「あ」

 と考えていると、彼女はそんな気の抜ける声を出して立ち止まった。 そして踵を返したかと思うと、またこの墓地まで帰ってくる。

 「どうかしたか?」
 「いや、私もお前に聞きたいことがあった、というかできたんでな」
 「なんでも聞いてきていいぞ」
 「そうか、それなら――お前こそ、これからどうやって生きていくつもりなんだ?」

 その質問に、ロボは思わず声が詰まった。 自分でさえ、そのことに迷っていたから。
 一度俯き、天を仰ぎ、答えを考える。 その間にも彼女は、まだまだロボに言葉をいくつもぶつけてくる

 「選択肢はいくつかあるだろう。 この墓地に一人残って、生涯を墓守として過ごすか。 それともお前も私のように新たな住みかを求めて過酷な旅に出るか。 はたまた……皆と同じところへ行こうとするか」
 「いや、最後のはダメだ」

 その返答だけは、早かった。

 「ここで俺も死ねば、皆に示しがつかない。 皆の分まで強く生きないと……俺一人が生き残った意味がない」
 「じゃあどうするんだ? お前が答えてくれないとこっちも旅に出て行けないんだが」

 彼女が、感情を消したような声で急かしてくる。 だが、答えが思いつかない。
 ここにいるか、それとも出て行くか、その二択なのに、どうしてもどちらも選べない。
 そう言えば今までの自分は、皆にもとめられてきた自分だった。 今更自分で道を決めろと言われても、どうしても分からない。

 「——答えられないか。 別にいいんだ、それで」

 なぜか、突然彼女の足音が聞こえた。 それは少しずつだが、ここから離れようとしている。
 慌ててロボが真正面を見ると、そこに彼女の姿はない。 自分にしびれを切らしたのか、ここから去っていこうとしているのだ。

 「ま、待ってくれ!」

 思わず、彼女を呼び止めてしまった。
 なぜ? まだ答えは見つかっていない。 自分はどうしたらいいのか。どうすればいいか、何も分からないのに、彼女を呼び止めてしまった。

 「……ほら、待ったぞ」

 普段はあまり感情をあらわにしない彼女だが、その声にはどこか呆れのようなものを感じ取れた。 早く、なんとかして、彼女に思いを返さなければ。
 ロボはその時、ほんのわずかにだが、後ろを振り向いた。 みなの墓がある方へ、何かを求めるように、すがる眼でそちらをちらと見る。
 すると、ふと背を押されるような、そんな感覚がした。 気のせいか、もしくはただの風だろうが、ロボはそれでようやく決心がついた。

 「お――お前と、一緒に旅がしたい」
 「……ほう」

 まだ足りない。 ロボはさらに、言葉をつなげる。

 「お前と一緒にいたい。 お前も、この村でともに暮らした大切な仲間だから、ずっとそばにいて守りたい。 お前まで失いたくない」
 「本当にいいのか? また今回のような……辛く苦しい目に遭うのかもしれないんだぞ?」
 「構わない。 お前と共にいられるなら、どんなに辛いことだって耐えられる」
 「あの、皆の墓はどうする? お前がこの村――いや、墓地を去れば、いずれ森に飲み込まれ跡形もなくなる。 もしくは獣に荒らされることだって考えられる」
 「その皆が俺に言ってくれたんだ。 思いは伝わった、自分たちのことはもう気にしなくていいって。 だから俺は、お前と……どこまでも、一緒にいて――」
 「分かった」

 突然、彼女がロボの手をつかんだ。

 「一緒に行こう。 私だって、いまさら一人は辛い」
 「——! あり、がとう……エル」

 最後に、彼女らはもう一度墓を見る。
 艶やかに磨かれた岩の表面が月明かりを反射し、まるで彼女らに見送りの言葉を捧げるかのようにきらめいていた。 その光を背にたっぷりと受け、二人はここを去っていった。

 ——

 「いやー、それにしてもあんな言葉をお前から聞けるとはな」

 この深い森から出るためにしばらくの間探索をしていると、唐突にエルジェベドはそんなことを言い出した。

 「なんのことだ?」
 「ずっと一緒にいたい、そばにいて守りたい、か……まさかそんなことを言われるとは」

 エルジェベドは何度かロボの顔を見つつ、にやにやした気味の悪い笑みを浮かべながらそう言ってくる。
 その言葉に一体どういう意味があるのか、ロボははじめ分からなかった。 木々の間を抜けながらも、あの時自分が言った言葉、そして彼女の表情を何度も反芻し考え――そして、ある一つの答えが頭をよぎった。
 と、同時に彼の顔が赤くなる。

 「なっ、おっ、おい! 別に俺は、そういう意味で言ったわけじゃ……っ!」
 「あの時のお前の真剣な顔……こっちも応えなければ不作法というもの」
 「何にどう応えるつもりだ! だからそういう意味で言ったわけじゃないと言ってんだろ!」
 「お前が求めるなら、別に私はいつでも――」
 「求めるかっ!」

 おそらくだが、この森を抜けるには相当時間がかかりそうだ……


次回はこちらから↓


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?