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それもまた、よし(個人的考察と気づき)

いまは空前の宇宙ブームだ、と思うのはわたしだけだろうか。
前澤さんは民間人として初めて宇宙に行っちゃうし、この界隈じゃ「宇宙と調和して生きる」が人類幸せのスローガンとして掲げられている。
或いは宇宙と繋がる、なんて言葉とか。
宇宙にオーダーして・・・なんてのも聞く。

宇宙意識とか、宇宙の周波数とか。

わたしはそれをぼんやりとした感覚で捉えていた。
言葉にするならキリスト意識というものがそれにあたるのかもしれないとも思っていた。
もしくはオーバーソウルとか。

この世界は言葉の定義も曖昧なまま漠然とした認識で共有されているものが多々あると思う。

でも神秘主義の観点からというのか、学んだ内容を振り返り人間存在というものを認識し直して改めてこのことばを見てみるととんでもなく勘違いをしていたような気がしてきた。

頭でわかっていても智恵として生きていないというか。

いまこの瞬間も呼吸していることを意識していないように。
この踏みしめている大地、地球が地軸を中心に自転しているということ、地球自体まるで原子さながらに太陽を中心に周回していることを普段全く意識していないように。

そうでありながらもそうあることを全く意識していないまま幻想に生きているのと同じように。

気の抜けた笑いしか出ないジョークのオチにいつもながら出会うこの世界で気づいた。

それ、わたし自身のことだよー!!!

あなたのことだよ、みんなのことー!!!

完全にやられた。
大層なことばを使うものだから、頭がかしこまってしまっていた。
根が真面目(のはず)だとこういうとき足をとられる。

わかっているようでわかっていない、一枚悟りというやつだ。

人間存在。
創造の背景にあるもの。
現実。共同創造の場と意識。
マクロとミクロ。
そしてフラクタル構造。

人間、そしてこの現実にあるすべてが創造の唯一無二の表現だ。

現実と調和して生きる。
それは宇宙の創造という叡智に逆らわないこと。でも調和であって服従じゃない。
犠牲者意識を抱えながら、言い訳して自分に言い聞かせて生きることとは違う。それは自分自身と調和していないのだから。

対立を感じるなら、そこに幻想が潜んでいるのだと思う。
自分自身の内側、外側にある不調和の起きている場を真摯に見ていくしかない。

「それもまた、よし」

このことばが内側でなにかを切り捨てる意識を持つことなく、大切ななにかが抑圧されるような感覚を持つことなく、そしてなにものをも裁くこともなく、笑顔で言えれば言えるほどこの世界に穏やかさが拡がっていく……。

そんな気がする。

昔フラクタルということばを知らなかったときに受け取った「意識のフラクタル」ということばがようやく理解できたようなひとときになった。


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